Phone: 072-483-0590

礼拝説教原稿―A16 2020.6.28聖書箇所:ヨエル2章27-32節 泉南聖書教会 大寺俊紀
「預言者の言葉」
―旧約聖書入門-1―
聖書:ヨエル2:27-32

はじめに:前回の説教で、黙示録のシリーズが完了し、終末の裁きから永遠の新天新地までお話しましたが、教会の聖書通読はホセヤ・ヨエルに戻り、その後も、アモス、ミカ、ナホム、・・・マラキと続きます。最後のゼカリヤとマラキは黙示録と同じ終末のことを預言していますが、その前の10人の預言書は、「小預言書」とも呼ばれ、旧約時代の北イスラエルのことを預言していることが多いです。その中に、少しですが、終末の預言も混じっています。今日は、預言者全体のことをやさしくお話しし、ヨエルの預言の言葉も少しお話します。

一,旧約聖書の中心は預言書
1)モーセ5書、歴史書、文学書、大予言+小預言
●最初に、聖書特に旧約聖書を見ますと、次のようになります。
1,モーセ5書:創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記
2,歴史書①:ヨシュア記、士師記、ルツ記、
3,歴史書②:サムエル記1,2、列王記1,2.歴代誌1,2。
4,歴史書③:エズラ記、ネヘミヤ書、エステル書、
5,文学書:(預言も多い):ヨブ記、詩編、箴言、伝道者の書、雅歌、哀歌、
6,大予言書:イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書、
7,小予言書:ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ記、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書
(最後の二つは、内容的には大予言書と言わることも多いです。)
2)モーセ5書とは
●聖書は、今から約3500年前から1600年間に渡って、約40人の手で書かれた世界一古い書と言われます。中で一番古いとされるのはモーセが書いた5つの書です。
モーセ5書は、モーセが書いたものと、創世記など、それまで伝承されてきたもの(羊皮紙に書かれている)をモーセがまとめたものがあります。
(1) 創世記-1:「約6千年前の天地創造」から始め、「死がない地球に死が入ったこと」から、その約千年後のノアの洪水による地球の激変(創世の地球が今の地球になったこと)が11章迄書かれています。「人間の罪による死の始まり」が一番理解して欲しいことです。3章15節に書かれている「救い主が女から生まれてくる」ことは最初のキリスト預言です。
(2) 創世記―2:ノアの洪水後の、罪を犯し、偶像礼拝に染まっていた古代文明の中で、創造主を怖れる1人の人アブラハムに声がかけられ、彼は「信仰者の父」とされ、「創造主を怖れるあなたの1人の子孫(キリスト)から、愛する子が空の星、海辺の砂のように増える」と約束されます。(創世記12,15章)
(3) アブラハムイサクヤコブと受け継がれ、ヤコブの12人の男児たちが「イスラエルの12氏族」として選ばれます。彼らは中東全体の7年の飢饉の時にエジプトに逃れ、守られますが、その後エジプトで「奴隷」となり苦しみます。これは、アブラハムが主から預言されていました。(創世記13章13-16)
(4) 出エジプト記:モーセがイスラエルの民をエジプトから救い出します。「紅海の奇跡」、「7つの裁き」などがありました。イスラエル人を迫害し、脱出を妨害したエジプトに対しての裁きの最後は「長子の死の裁き」でしたが、この裁きの時、エジプト人は、王子に始まり、全ての長子が死にました。家畜すら長子が死にましたが、イスラエル人の家族には、その裁きがありませんでした。裁きが下されないようにと、「子羊の血を」家の柱と鴨居に塗りました。それで、裁きが過ぎ越されたのです。それは、「子羊キリストの血による救いを示すもの」でした。
(5) モーセはがイスラエルの民をエジプトから連れ出したとき、主は彼に命じて、民を神の山ホレブの麓に導き、そこで、「十戒と律法」を与えました。これは、今の世界の憲法の土台になるものです。(今の休日も、この時に主からら与えられたものです!)
また、主を礼拝する方法も教え、民を「神の民」として訓練しました。(出エジプト記、レビ記)しかし、イスラエルの民は罪深く、主とモーセに反抗しましたから、怒りを受けました。すぐに約束の土地カナン(イスラエル)に入ることが許されず、40年間も荒野で過ごしました。荒野での最後にモーセは民に再度の説教をしますが、その中に、主からイスラエルの民への約束があります。(申命記)
イ) 一つは、イスラエルは偉大な民族になること、「貸すことはあっても借りることはない」
(=現代のユダヤ人は世界的な大金持ちが多い。ノーベル賞受賞者が一番多い。世界的な音楽家、画家、俳優・映画監督などが多い)。
ロ) 次は、主に従わないと主の裁きを受けること。=諸帝国に苦しめられること、何度も国が滅亡させられること、しかし、また憐れみを受けて回復する。「終りの時に」は、北の大国に総攻撃を受けること。
これは、北王国のアッシリヤによる滅亡(BC721年)や南ユダ王国のバビロン捕囚70年(BC606-536)になる。第二次世界大戦での迫害まで預言。(申命38章)
ハ) しかし、常に守られること。モーセのような預言者(キリスト)が与えられるから、「彼に従え」と命じられます。
(6) その後、民はヨシュアを先頭にして約束の地に入りましたが、長い戦いがあり数百年が経過しました。
(ヨシュア記、士師記など:これらはモーセ以後ですから、作者は別です。)
3)歴史書:3段階あります
●歴史書の1はイスラエル王国が出来るまで:
●歴史書の2は王国時代と、その後の南北に分裂した歴史です。
(1) サムエル記1,2、列王記1,2.歴代誌1,2はイスラエル王国誕生から、ダビデ、ソロモンの二大王が詳しく書かれ、死後の王国の分裂や、崩壊まで書かれています。
中心は統一王国を作ったダビデとその子ソロモンです。2人のことは詳しく書かれていますが、2人は、歴史書に書かれているだけでなく、「次の文学書」にも多く登場します。詩編の半分以上がダビデの作とされ、箴言と雅歌、伝道者の書はソロモン作です。このジャンルは、文学的ですが、同時に信仰的な内容で、多くの預言も書かれています。約三千年前の書です。
●歴史書の3は、北イスラエル王国が消滅し、南ユダ王国もバビロン帝国に捕囚され、70年後に戻って来た後の王国再建の歴史です。
●エズラ記、ネヘミヤ書、エステル書はバビロン捕囚からの帰国後の再建の歴史。
3)文学書=信仰書
例1) 罪の悔い改めと赦しの詩が多く、信仰の大切さを教える箴言も多数あります。
*詩篇1:1-3「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず 嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむひと。その人は 流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。」
*詩篇40:1-2「私は切に、主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け 助けを求める叫びを聞いて下さった。滅びの穴から、泥沼から 主は私を引き上げてくださった。」
例2) 詩篇22編ほか、ダビデが見たキリストの十字架の苦しみと赦しの詩が多数あります。ダビデは、常の自分のそばにキリストがおられことも書いています。
*詩篇22編「わが神、わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。」と十字架の苦しみを書き続け、民の嘲りを受けること、最後に主を求める人たちが主を賛美するとあります。
例3) 創造を教える詩も沢山あります。
*詩篇139:13.15-16)「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。・・・私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、わたしの骨組みはあなたに隠れていませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」
私たちを母の胎内で組み立てられた方が創造主であることを教えます。「仕組まれたとき」は原語では「綴り合わせられたとき」で、DNAを教えることばです。
4)預言書-1
(1) 大予言書5:イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書
イ)イスラエルへの預言:その不信仰を主が裁かれる。ユダはバビロン捕囚を受けるとの預言。150年前の預言(*イザヤ39:6)
*捕囚の民を解放し、(メド・ペルシャの)クロス王が祖国に帰国させる。
~これは200年後の預言で、王の名前まで出ています。(イザヤ45:1)
*エレミヤも、捕囚は70年であることを預言する。(エレミヤ25:11-12)
ロ)キリスト預言:
*イザヤ7:14:「処女懐妊」インマヌエル預言
「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
*イザヤ25章7-8「(万軍の主は)、この山の上で、万民の上をおおうベールを、万国の上にかぶさる覆いを取り除き、永久に死を滅ぼされる。」
*イザヤ53章全編:子羊のように引いていかれ殺されるが、それは民の救いのため
*ダニエル9章25「それゆえ、知れ、悟れ。エルサレムを再興し再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に
、広場と堀が造り直される。その六二週の後、油注がれた者は絶たれ、彼には何も残らない。」
AD26年に世に登場する。(BC4年に誕生、30才で登場)そして身代わりの死。
* 同7:13「見よ。人のこのような方が 天の雲とともに来られた。」:キリスト再臨
ハ)未来預言:
*イザヤ11:6-9「狼は子羊とともに宿り、豹は子ヤギと共に伏し、子羊、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。獅子と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。・・・わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。」
*イザヤ34:4「天の万象は朽ち果て、天は巻物のように巻かれる。」
 同35:4-6「・・・神は来て、あなたがたを救われる。そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない耳は開けられる。足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。・・・」
 同35:35:8「そこに大路があり、その道は「聖なる道」と」呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。」未来の新天新地(新約の黙示録に詳細が出て来る)

(2) 小預言書12:ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ記、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書
●ミカ書5:5では、イエス様の誕生する街の名が予告されています。ゼカリヤ、マラキ書などは後日お話しする機会があると思いますが、他の預言と共通する終末預言です。

二,ヨエル書の預言
1)わたしの霊を注ぐ*2:28)
●今日の礼拝は、ここまで旧約聖書全体を整理してお話ししましたが、如何でしたか?その中でも、多くの書には、「預言」というものが多く登場しましたが、それは、大きく分けて、約千年後のキリスト(初臨)の預言と、数千年後の再臨とその後の永遠の預言でした。
●今日の中心であるヨエルは、通常ユダの預言者中最も初期の1人とされます。ヨアシュの時代(BC830頃)か、ウジヤの治世(BC750頃)の人だろうと言われます。
ヨハネの黙示録のように、地上の収穫を予告する書で、福音時代(教会時代)に聖霊が注がれることを予告しています。

2)いなごの災害*1章)
●100年に一度の割合でいなご(バッタ)の大被害があるそうですが、今年は1月2月から何度も報道されています。アフリカ北東部から、パキスタン、アフガニスタン、インドから中国の一部まで、毎月報じられていますが、「人類の食糧危機」をもたらすそうです。
●このことが、ヨエル1章で書かれています。1:4「噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。」そして、15節では、「ああ、その日よ。主の日が近い。全能者による破滅の日として、その日は来る。」とあります。バッタ、いなごは終りの時のしるしの一つです。
左:異常気象6月のシベリヤで38度、右:イエメンでバッタ被害深刻の写真(アジアまで)

3)北から来るものを、遠ざける*2:20)
●2:10-11に次のことばがあります。「地はその前で震え、天も揺れる。太陽も月も暗くなり、星もその輝きを失う。主はご自分の軍隊の先頭に立って声をあげられる。」
そして、20「わたしは北から来るものをあなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやる。・・・」
●上の記述は、前回、前回お話しした終りの時の北から来る「ゴグ・マゴグ」の軍勢をエルサレムに近寄せず、砂漠の地(ハルマゲドンの地?)に追いやり、そこで、彼らを殲滅されるという預言だと思えます。彼らは天からの火で裁かれるでしょう。
その結果27節のように、「イスラエルの真ん中にわたし=主がいることを知」るのです。
4)預言、夢、幻を見る*2:28)
●2:28「その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。」とある。
これは、終りの時には、すべての人にわたしの霊を注ぐという恵みである。
この「終りの時」は、新時代に移る直前の、終末期の出来事と取る者もいるが、一般的には教会スタート時、福音時代の始まりの「聖霊降誕」(ペンテコステ)の出来事とされている。
「わたしの霊を注ぐ」は「聖霊」とされるが、このことは、聖書の救いに関する一つの重大なことです。
「聖霊」というのは、創世記1章2節にある、創造に係わられた「父、子、御霊」の創造主ご自身です。
*創世記1:2「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を(おもて)を動いていた。」とあります。
●この創造主なる神ご自身が、天におられ(=父)、人として地上に来られ(=子キリスト)、信じる私たち全員に「内住」して下さるのです。それは、私たちが天を受け継ぐ保証であります。
●新約のヨハネには、次のように書かれています。
*ヨハネ14:16-17「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにして下さいます。この方は真理の御霊です。・・・この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。」
5)主の御名を呼ぶ者はみな・・・*32)
●最後に、32節のことばを味わって終ります。
「主の御名を呼び求める者はみな救われる」と約束して下さっています。
「主」とはヤハウエ様、創造主、救い主、永遠にありてある方、イエス・キリストとして示して下さった方です。聖書全体がそのことを教えて下さっていますから。

●お祈り

礼拝説教原稿―A15 2020.6.14聖書箇所:黙示録21章1-4節 泉南聖書教会 大寺俊紀
「永遠の未来・新天新地」
―黙示録入門-④―
聖書:黙示録21:1-4

はじめに:聖書の通読箇所が、とうとう黙示録22章まで来ました。創造主なる神は、この「『コロナパンデミック以後』に起きるかも知れない「終りのときのこと」を学んでおきなさい」と言われているのでしょう。
 私は牧師としては約20年、画家としてはその三倍ほど絵を描いてきましたし、最近二年間は、今日のテーマである『新天新地』をテーマにして描いてきましたので、今日は、特別に、私の絵を背景にして話をさせて戴きます。

一,天から降りてくるエルサレム(都)
1)「獣」の登場以後のこと:「先週の復習」

●先週はまず、17章から始まる、主に「獣」と呼ばれる、終末に登場する独裁者をお話ししました。イエス様はマタイ24:15で「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの荒らす忌まわしいものが聖なる所に立っているのを見たら」と言われ、パウロも不法の者が「自分こそ神であると宣言して、神の宮に座る」と言いました。
●又、同じ終りの時、「悪の勢力・ゴグ・マゴグがイスラエルを総攻撃する」。その時にイエス様が再臨されることを見ました。*ルカ21:20、エゼキエルもゼカリヤも『わたしはすべての国を集めて、エルサレムを攻めさせる。・・・その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。』そして、キリストが再臨されるのです。
●キリスト再臨の結果:
「獣」や「ゴグ・マゴグ」は裁かれ、全ての悪は裁かれます。地球は更新され、山は動き、島々も動くとあり、創世のときの地球に戻されると思えます。このことは、地上で裁きを受ける人には恐ろしいことでしょう。『最後の審判』になるからです。
●キリスト再臨と同時に、クリスチャンに復活のからだが与えられます。それは聖書に多数書かれています。救いの完成ですが、その後の地球、天地はどうなるのでしょうか。それを21,22章から見ます。

2)天と地がある程度つながっていた(?)創世の地球が回復?!
●聖書の最初と最後は共通することが多いです。「最初の天地はどうだったのか」は、「未来の新天新地に共通する」と想像できます。
●そこで、21,22章の記述を、羅列するのでなく、整理してお話ししたいと思います。
① 最初は、「天地は、ある意味でつながっていた」と言えます。最初の人アダムは、天の都(天国)が見えていたはずです。天の父がアダムにことばを教え、動物たちを連れてきて名前を付けさせています。(2:19)
父(イエス様?)は3章ではアダムと直接会話をされていますし、何らかの「お姿」か「臨済」も見せておられると想像できます。
② ということは、地上から天の都が(少し距離を置いて?)見えたかも知れません。しかし、罪と死が入ってからは、人類が罪にまみれて、後の怒りの洪水を受けていますから、「天は閉ざされて、地上から見えなくなり、」殆どの人は、主を無視して生きることが出来るようになり、怒りを受ける生活に変わりました。
③ 新天新地では、その天の都が、「天から降りてくる」とあります。(21:2)それは、「見よ、神の幕屋が人々と共にある。神は人々と共に住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」とあり、天と地は一体に近い関係となります。
④ ~これは、都(新しいエルサレム)は、地続きという意味ではなく、少し浮かんだ状態で、距離があるかも知れないが、聖徒たちは御使いのように上下できます。(梯子は不要)
⑤ 都に入ることが出来るのは、「子羊のいのちの書に記されている者たちだけである」とあり、最後の審判を通って完全に救われたものだけです。不信仰者は一人もいません。21章24節+27節)7-8節には次のように書かれています。
「勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを行う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。」
「臆病な者」ということばがトップにあることに注意!「信頼して進むことが大事!」
⑥ 地上に降りてくる天の都は、「聖なる都、新しい天のエルサレム」とも呼ばれ、そこには「もはや死もない。悲しみ、叫び、苦しみもない」のです。*21:4)
⑦ また、上から降りてくる都(エルサレム)を受ける形で、下には「新しく変えられた地球」があります。その詳細は書かれていませんが、大きな地震が起こり(16:18)「地は過ぎ去り、もはや海もない」(21:1)、「島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった」(16:20)とありますから、地球は、理想的な形に=元の創世の地球に近い形に=回復していると想像できます。太平洋、大西洋、地中海や日本海などもない・・・今の世界なら大変な戦争になりますが安心です。もはや軍隊もない平和な世界です。
創世の地球への復帰ですね!
イ)海がなく陸一つ、水が溢れ出て、全地に流れる(雨に頼らない、川でなく完全な水路で)これは、現在ある災害(地震、台風、水害、津波・・・)がなくなることを示唆しています。
ロ)高い山はなく、なだらかな土地、豊かで植物、果樹などが溢れる
ハ)生きものは互いに殺し合うことなく、全てが草食に戻る(イザヤ65:25)
「狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように藁を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。-主は言われる。」
ニ)大都会、歓楽街などはなく、素朴で自然一杯のナチュラルな暮らしに、コロナで営業が出来なくなっている業務はそのままで回復しないことを示唆しているのかも?
ホ)大工場、石油コンビナートや原発もなく、「古代か、少し中世」に戻った感じかも?
ヘ)エネルギー問題で悩むことはない。交通手段もいらない。

3)新しいエルサレム=都:
●この「都」は「住みつく」所と言うよりも、訪れるところかも知れません。断定は出来ません。地球は、造り替えられてもはや海もなく、今の倍以上に広く、一切の公害がなく、平和な地球に戻されていて、そこを土台にして、都にはいつでも入っていけるということでしょうか?
都全体が、透き通った純金でできていますから、息をのむほどに美しく、荘厳でしょう!
① 東西南北に高い城壁と12の門がある。イスラエルの12氏族に因んでいます。
② 都の城壁は、12の土台石があり、12使途の名が刻まれています。
③ 都は四角形で、長さと幅は同じ。1万2千スタディオンで、欧州程度の大きさですが、立体なので体積、容積は大きい。(現在の地球は、球体であるが、表面しか使えない)
④ 都の城壁は「碧玉」で作られ、「都は透き通ったガラスに似た純金でできていた。」とあります。18)「又、都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。碧玉、サファイヤ、めのう、エメラルド、赤縞めのう、赤めのう、貴かんらん、緑柱石、トパーズ、ひすい、青玉、紫水晶であった。19-20)」
⑧ 十二の門は十二の真珠であり、どの門もそれぞれ一つの真珠からできています。(21)
⑨ 「都の大通りは純金で、透明なガラスのようであった。」とあります・(21)

4)都には「神殿」がない*21:22)
●大変不思議なことに、都には神殿を見なかったとあります。あるのは、「全能の神である主と子羊が、都の神殿だからである。」と書かれています。では、この天のエルサレムの更に上に(別次元で)神殿があり、ケルビムや御使いたちがいるのでしょうか?それは書かれていないのでわかりません。*22)
●二十数年前に、2年間礼拝に集っていた教会では、「永遠の天国では、ずっと礼拝だけをする」と説明をされましたが、それは、私には厳格すぎ、冷たすぎると感じました。
「神殿がない」ということは、礼拝すらあるかどうかわかりません。勿論、常に主とキリストを礼拝したいとの気持を強く持っていますが、何もしないで座り込んで礼拝だけをしている姿を主が喜ばれるとは思えません。イエス様は、私たちが、様々な自然と文化活動をする中で愛と友情を示し、楽しむことを望んでおられるようです。
そういう気持から、私の作品の中には、「動物たち、小鳥たち、そして、人が」楽しく
過ごす様子を描いています。花や野菜を育てる、或いはスポーツをする等です。勿論、美術活動や音楽などの文化活動も一番の楽しみになると思いますが、都の中でそれらが出来るのかどうかという疑問もあります。あるとすれば、歴史的な専門家が直接指導してくれるでしょう。
●私の「新天新地」の作品では、中央やや上に白い斜めの形を描いていることが多いですが、それは、「いつ、どこにでも主を感じる」とは思いますが、特に自分がひざまずきたい、祈りたい場所として、「ゲッセマネの祈りの岩」のような気持で置いています。

5)「太陽と月も必要としない」とは?*23)
 太陽も月も必要ないのは、「神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである」とあります。*23)
現在の太陽は、「明るさと熱やエネルギー」を与える大切なものです。
しかし、同時に、放射線(α線、Ω線)、紫外線なども放出し、有害なものもあります。
創造の際は、一日目に太陽と月が造られることはなく(4日目に創造)、「ひかりがあった」とあり、それは「有害ではないひかり」として、「イエス様ご自身が光られた」と推測していますが、これが真の光なのでしょう。
弟子3人を連れて「山上の変貌」を見せられたときに、光る姿を見せておられますから、これも、新天新地での真のお姿を前もってお見せになったものと思われます。

二,天の都と私たち
1)諸国の民、人々が来る*21:24-25)
●21章の最後には、「都」に入る人々のことが描かれています。
*21:24「諸国の民は都の火によって歩み、地の王たちは自分たちの栄光を都に携えて来る。都の門は一日中、決して閉じられない。そこには夜がないからである。」とあります。
*26節「こうして人々は、諸国の民の栄光と誉れを都に携えて来ることになる。」
「諸国の民、地の王たち、人々」、これらはみな同じです。王たちだけはエリートだけとの意味ではありません。聖徒たちは「王、祭司」とされています。
●「栄光と誉れ」を携えて来る:これは普通はクリスチャンとしての歩みの大切さとして教えられます。多くの人を義とする、また多くの人励まし、慰める、愛の働きが大事です。
同時に、生涯を通しての働きも評価されるでしょうし、アーティストですと、音楽や美術も携えていけると考えることが出来ます。
~私は、個人的に、私の多くの作品の中の特に優れている作品は、天に上げていただける=天でも見ること、見ていただくことが出来ると期待しています。~
●21:3を見ますと、「見よ。神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」とありますから、都=天のエルサレムは、ただ訪れるところではなく、「神がともに住んで」下さるということで、私たちは、自由に都に滞在することや天地を移動することが出来るのだと思います。
2)いのちの水の川*22:1-2)
●最後に、「いのちの水の川」を見ます。
*22:1-2)「御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。」
① いのちの水の川も、水晶のように輝いている。川の水は、今の地球なら山の分水嶺から流れ始めて、次第に集まって川となり、大河となって海に注ぐのですが、その逆ですね。
② 始まりは少しですが、雨の水ではなく、創世の地球と同じで、「神と子羊の御座」から出ます。雨水ではなく、地底から出されるのでしょう。「神と子羊の御座から出る」とあります。それは、都全体に、まるで公園や疎水のように流れますから、私の作品でも、都全体に川を配置しています。
➌ そして、川の両側には十二種の(実際はもっと多いでしょう)木があり実を付けます。それも毎月です。過去の礼拝で何度も話しましたが、ハワイの田舎に行きますと、果物が年に3-4回実を付けると聞き、見てきました。実際に大きな実をつけながら、同じ木に、花から小さい実になったばかりの小さい実、そして次の花も咲いていました。
① 木の葉も、人を癒やすとあります。少しは疲れること、病むこともがあるのでしょうか?
  わかりませんが、死もなく、「のろわれるものは何もない」22:3)と書かれています。22:5)
② 最後に、「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えてくる。」と、再臨の日が近いから、心せよと言われています。
③ そして、この聖書の言葉(預言)に「つけ加える」ことと、「何かを取り除く」と警告されています、個人的な「神学的な解釈・預言」は厳に慎まなければいけません。

●祈り:

礼拝説教原稿―A14 2020.6.7 聖書箇所:黙示録17章7節 泉南聖書教会 大寺俊紀
「終わりの時に
起こること-③「救いと裁き」
―黙示録入門―
聖書:黙示録17:7「すると、御使いは私に言った。『何故驚くのですか。私はこの女の秘められた意味と、この女を乗せている、七つの頭と10本の角を持つ獣の秘められた意味を、あなたに話しましょう。』」
はじめに:先週の黙示録の礼拝説教は、(6/4現在)フェイスブックで200人を超える方が聞いて下さったので、感謝して、次はもっとやさしく黙示録入門をお話ししましょう。

一,聖書が教える『裁きと救い』

1)三つの裁き:
●聖書を読まれたことのない方は、「裁きと救い」ということがあることを理解できないと思いますが、簡潔にお話ししますと―まず、「創造主は、人をとても愛しておられます。」そして、私たちを、「愛する子、神の子」として地上を治め、楽しく、永遠の平和の中で、愛しあって生きて欲しいと願っておられます。
●創世記の始めにある地球は、「死のない世界」でした。皆が愛し合う、素晴らしい世界を創造して下さったのです。動物たちも争うことなく、皆が菜食で、平和な世界でした。
●その中で、ひとは、地球の管理者として、平和に世界を治めることが任務でした。ですから、動物・植物を痛めたり、殺傷すること、人が争って傷つけ、自分の欲望のままに生きることを「罪」として禁じられました。=それが、「善悪の木の実を食べてはいけない」との唯一の戒めで、その戒めを破れば『死』が入ると言われました。(2章17節)
ところが、その「罪を犯して、全ての人に罪と死が入った」と聖書は教えます。
その証拠はどこにあるでしょうか?
今、私たち人類が(動物も)死ぬのはその罪のせいです。=最初の裁きです。
~本当は死のないものだったのに、創造主に従わない罪によって死ぬようになりました~
~ということは、再び、死のないからだにして下さるというのが創造主のご計画です。

2)二つ目の裁き:
●今の世界では、130才140才という人はいません。それは、二番目の裁きの結果です。
創世記6章3節には、「人の齢は120年にしよう」と書かれています。ところが、前の5章を見ると、殆どの人は800才、900才まで生きています。何があったのでしょうか?創造主なる神は、「ひとの心に計ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった」5)から、つまり、罪と欲望のままに他者を苦しめ、自分勝手に生きて怒りを受けたのです。
●この洪水の時、世界中が激変し、「山は上がり海は沈んだ」とありますから、今のような地球の姿になりました。それまでの地球はなだらかで、高い山も深い海もなかったのですが、大陸も大きく移動し、その後「地震や台風、津波、災害」などが起きるように変わったのです。
●その裁きの凄かった証拠があります。一つは、今の地球の三分の二は「堆積層」で、並行地層ですが、それは洪水の時に短時間に出来たものです。堆積層に化石が多いのは、洪水で埋められたものです。石油や石炭もその時のものと想像できます。(岩や砂が石油や石炭になりません)この裁きによる地球環境の激変で、今のように120年が限度の寿命になりました。~ということは、再び、創造主のご計画によって、元に戻して下さいます。
二つ目は、南北アメリカ大陸が、ユーラシア大陸から数千、数万キロも移動して今の位置に移ったことです。(進化論科学者も認めています)それは、陸地が全て一旦水没して、海底で陸地が引き裂かれたのでしょう。
●下左の写真は、大西洋と太平洋の海底にある火山群で、特に、大西洋の数十の海底火山がユーラシヤ大陸と、南北アメリカ大陸を切り離した証拠となるもので、同時に、この海底火山群は、地底にあった「大いなる水」を溢れさせ、陸地全体を水没させた証拠です。
右は最後の審判

●このノアの洪水の時に、創造主なる神のことばを信じて従った者が8人だけいました。ノアの家族8人です。他の人は洪水を馬鹿にして、箱船に乗らなかったのです。

3)三つ目の裁きと救い:
●三つ目の裁きは、今の世の終わりのときに下され、「火の裁き」とも言われます。
これには、次の大きな特徴があり、同時に救いの完成が与えられます。
① 一つ目の裁きによってもたらされた「死」が解決され、「子」とされた者はみな死のないからだ、永遠のいのちに戻されます!
② 創世から約6千年間の聖徒たち(信仰者)は皆、神の子、キリストの子として、永遠のいのちを受けます。
③ それは、2千年前に一度来られたキリストが、私たちの罪を赦して、信じる者を子とするために、身代わりの刑(十字架)を受けて下さったからです。一番目の死の解決!
④ 地球が造り替えられます。二つ目の裁きでなされた=ノアの洪水のときと反対のことが行われ、回復するでしょう。その為に、キリストが天の雲に乗って再臨されます。
 その時、地上から見えるために、イエス様は巨大な大きさであるかも知れません。(黙示録10章1、2節には地球規模の大きさの御使いが登場しています。)
4)「裁きから守りたい」との主の願い:
●創造主なる神は、裁きの神ではなく救いの神、愛の神です。しかし、ご自身を否定する者は怒りを持って裁かれます。
① アダムとイブは、創造主の言葉に従わず、「自分で善悪を判断して自分勝手に生きた」から裁かれて死が入ったのです。
② 洪水前の人たちは、欲望のままに、生きて、他者を傷つけて生きたので、8人以外皆大地に埋められ、化石や石油となりました。(樹木は石炭、珊瑚礁は石灰岩=セメントに)
③ 今度は、すでに二千年前に来て下さって、「わたしがあなたがたの罪の身代わりに十字架にかかります」と言われて死なれ、復活されて、信じる者へのいのちの約束を保証して下さったのです。
「わたしに従いなさい、そして、永遠のいのちを受けなさい」とイエス様は言われています。そうすれば、怒りを受けず、愛を受けます。 

二,再臨

1)「救いの完成のために」=再臨
●私たちクリスチャンは、イエス・キリストを救い主として信じています。それは、どういうことでしょうか?
何故、2千年も前に、遠いイスラエルの地に来られた方を信じるのでしょうか?
そのことによって、救いが確かにあるのでしょうか?
●それは、次のことが「鍵」です。イエス様は再臨されることです。
仮に、再臨がなければ、二千年前の方の約束を信じても確かな保証とはなりません。どんなに立派なことを語っておられても、「ジュリアスシーザー・ソクラテスやカント」らを信じると言うことと大差ありません。
●では、再臨=二度目の来臨の約束は確かなことでしょうか?
再臨は、聖書の次の一節のことばだけでも、確信できます。

*ルカ21:24「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国の人々のところに連れて行かれ、異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」

① イエス様と弟子たちはエルサレムの宮のそばにいて、宮が破壊される日のことを弟子たちが質問します。「そのようなことはいつ起こりますか?」と。
② 「わたしの名を名乗る者=ニセキリストが大勢現れる」「時は近づいた」とか言います。
③ 「戦争や暴動」「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、」9-10)
④ 「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり」11)「恐ろしい光景や天からのしるし」「迫害」もあります。12)感染症のパンデミックも書かれています!
⑤ 「しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、そのときには、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。」20)「ユダヤにいる人たちは山に逃げなさい」と。21)
●そして、24節のことばになります。
① 「捕虜となって、あらゆる国の人々のところに連れて行かれ」~これは、紀元70年に起こりました!しかも、約1900年間も続きました!
② 「異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます」~第二次世界大戦のあと、国連でイスラエル国の再建が認められる迄、エルサレムは異邦人(ユダヤ人以外の人)に支配されたのです。彼らは自分の国に戻れませんでした。
そして、国が回復したのは、1948年、つい最近のことです。つまり、イエス様の言葉は、生きていて、紀元70年の出来事と、つい最近のことを一緒に語られているのです。

2)24節の直後に「再臨」が書かれています!
●エルサレムの、二つの歴史の事件を見て、その後「天変地異」が起きれば、イエス様が雲に乗って栄光とともに来ると25-26節と27節で言われています。(再臨)
「それから、太陽と月と星にしるしが現れ、地上では海と波が荒れどよめいて、諸国の民が不安に陥って苦悩します。・・・天のもろもろの力が揺り動かされるからです。」25-26)
*27)「そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。」
●「これは、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。」とも言われています。エルサレム、イスラエルだけの問題ではありません。全人類の救いと裁きに関する出来事なのです。
●再臨されれば:
① イエス様は、御使いと共に天から来られます。
② クリスチャンは、まず死者が先によみがえります。=復活の身体を受けます。
③ 次に、生き残っているクリスチャンも、天地を上下できる、御使いのような死のない身体を受けます。天に引き上げられます。
④ イエス様による、裁きがあります。地球の造り替え=万物の更新もあります。
「火による裁き」があります。
これらのことは、聖書に多数書かれています。旧約聖書に書かれ、イエス様ご自身も話されています。新約の聖書にも多数書かれています。
⑤ 全ての人への最大の裁きは、「最後の審判」です。ミケランジェロの壁画で有名ですね。

三,再臨前のしるし:獣の支配

1)混乱する地球の支配者=獣」
●ところで、ルカ21章に書かれていなかった重要な「しるし」があります。マタイ伝や、テサロニケの手紙、旧約のダニエル書などに書かれている「獣=独裁者」のことです。
*マタイ24:15「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの荒らす忌まわしいものが聖なる所に立っているのを見たら―読者はよく理解せよ―ユダヤにいる人たちは山に逃げなさい」・・・とあり、そのあと、『大きな苦難があるからです』と言われています。21)22節には「もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。」とあります。
●この荒らす忌まわしいものは、終末の混乱する世界を支配する独裁者のことです。
① 「連合国、世界政府」のような強大な10カ国連合のようなものが出来るとあります。
② 一人の指導者=獣によって、そのうちの3人の指導者(王)が倒れるとあります。その一人の指導者は、頭に致命的な傷を負ったが回復するとも書かれています。
③ 世界的な宗教指導者(竜と書かれています)=世界統一宗教を目指す=が、その一人の王(指導者)を権威ある者として認め、賞賛(保証)します。
④ 獣は約三年半(一定期間)世界を支配するとあり、教会、イスラエルが迫害されます。
⑤ 獣は世界中の人々の右手か額に番号を打ち、(チップを入れ)それがないと、売り買いが出来ないようにします。
  コロナ問題で、ICチップを導入する国が増えています。
⑥ 獣はエルサレムの聖なる所を荒らし、自分こそ神であると宣言します。(偶像を置くのかも知れません)これと同じことをした将軍がギリシャ時代にいました。(アンティオコス・エピファネスは三年半エルサレムを荒らし、その神殿にゼウス像を置いた。)
⑦ イスラエルの北の巨大な国(ゴグ・マゴグとある)=ロシヤだと思える=がイラン、エチオピア、リビアなどと共に大軍でイスラエルを総攻撃してくる。
⑧ その時に、キリストが天から再臨されます。敵の軍勢を一気に打ち滅ぼし、攻めてきた国も天からの火で焼き尽くすとあります。
⑨ 再臨と同時に、復活があります。まず、キリストを信じて召されていた聖徒たちが死から復活し、次に生き残っているクリスチャンも復活の身体に変えられ、共に天に引き上げられます。(後日地上に降りてきます。御使いのようなからだで)

2)それらは皆預言されています(ダニエル、主イエス、パウロ、エゼキエル)
①イエス様ご自身:マタイ24:14-16+21-22)『荒らす忌まわしいもの』=先述
②パウロ:(Ⅱテサロニケ2:3-4)「まず、背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。」
●Ⅱテサロニケ1:7-9)「このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという「刑罰を受け、主の御前から、そしてその御力の栄光から退けられます。」
③ダニエル:(ダニエル9:27)「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼(神殿)の上に、荒らす憎む者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」
④エゼキエル:エゼキエル38:1-23)一部掲載:「おまえ(マゴグの地のゴグ)と、おまえの全軍勢を出陣させる。・・・ペルシャとクシュとプテも彼らとともにいて、・・・多くの日が過ぎて、おまえは徴収され、多くの年月の後、おまえは、一つの国に侵入する。そこは剣の災害から立ち直り、多くの国々の民の中から、久しく廃墟であったイスラエルの山々に集められた者たちの国である。その民は国々の民の中から導き出され、みな安らかに住んでいる。」
① ゼカリヤ14:1-5)「見よ。主の日が来る。・・・『わたしはすべての国を集めて、エルサレムを攻めさせる。・・・その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。・・・』

3)実現が近い世界情勢
●ロシヤの中東への進出は異常に多く、イラクに基地多数(約30)を持ち、イランはイスラエルを滅亡させることを「国是」としており、「イスラエルをロケットで滅ぼす準備は出来た」と宣言しています。また、ロシヤはアフリカ諸国にも軍事進出しています。エゼキエル38:5にあるペルシャ(イラン)、クシュ(エチオピア)、プテ(リビヤ)も、完全にロシヤ(ゴグ)と行動を共にする態勢になっています。
●以上、幾つかのしるしをお話ししました。どうか、それらを記憶しておき、今後の世界の推移を見て下さい。そして、聖書を学ばれ、その教えを正しく理解して下さることをお勧めします。

●祈り

礼拝説教原稿―A13 2020.5.31 聖書箇所:黙示録10章1-11節泉南聖書教会 大寺俊紀
「終わりの時に起こること-2」
―黙示録のまとめ-1―
はじめに:聖書通読は「3年半で一周」なのだが、半年ほど前からハーモニー宣教会の聖書日課に切り替えたので、昨年10月13日に取り上げた黙示録だが、今回また黙示録になった。そこで、前回のまとめを、今回の資料として添付したい。
それで、今日は、黙示録全体、特に1-10章を語りながら、10章に少し触れ、次週は、「獣=独裁者」を中心に見る。これも、コロナ問題を発端として世界が混沌とする中で、今だからこそ「黙示録を語れ」という主のご計画であろう。

一,創造主のご計画
1)永遠の時の中での今

●聖書全体を見て、「私たちは今どこにいるか、創造主の御計画は何か」を見ると、「永遠の昔からあり、今の天地と人類史約6千年があり、アダムの罪によって人類全体に罪と死が入り、すぐにキリスト預言がはじまり(創世記3:15)その後、ノアの洪水を経て今の地球になり、創造から約4千年後にキリストが来られた。
そして、教会=キリストの王国が拡がり、福音の勝利が続いている。同時に、悪は増大しており、キリストの二度目の来臨で、裁きがなされ、救いも完成される。地球を造り替え、永遠の新しい天地にされる。神の子は永遠のいのちを受けるが、再臨の前には困難な時があると書かれている。
 その困難な終末の時代が詳しく書かれている黙示録は、「掲挙」など色々な解釈がなされやすいから、特に慎重になり、勝手な預言、解釈に気を付けなければいけない。
2)今の世の終りと新しい天地
●聖書は多くの箇所で、「今の世の終わり」と「新しい世界」を教える。
*イザヤ」46:10「わたしは終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』という。」
*Ⅰコリント15:24-25「それから終わりが来ます。そのときキリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。」
*マタイ24:14「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、全ての民族に証しされ、それから終わりが来ます。」
*Ⅱテモテ3:1「終わりの日には困難な時代がやってくることを、承知していなさい。」
*黙示録21:5「わたしは、すべてを新しくする。」
*黙示録21:1-2「私は、『新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。』」
3)キリスト再臨が最大の区切りとなる*マタイ24章ほか)
●宇宙の歴史、特に地球と人間に関して言えば、「キリストが二度来られる」ことが最大の区切りとなる。一度目(初臨)は約2千年前、二度目(再臨)は近いうちに起きそうである。
① 初臨:宣教と十字架:キリストが来られるまでは、創世から旧約時代までの約4千年間の信仰者は天に上げられていない。(キリスト初臨まで2人=エノクとエリヤを除いて、みなよみの慰めの場所=アブラハムの懐にいた。)
キリストは十字架刑を受けて死に、よみに降り、彼らを引き上げた。そして「凱旋の行進」をされた。*コロサイ2:15)
② 再臨と再生、平和の時代(千年王国?):新約時代の終わりに地球に再臨され、地球を再生させられる。悪は全て滅ぼし、軍隊もなくなる。平和になる。公害、環境汚染は全て再生され、地球は造り替えられ、核汚染などあらゆる汚染も除去されるだろう。
イ) 千年王国:キリストとクリスチャンが地上を支配、指導する。(千年又は一定期間?)
地球は創世からノアの洪水迄の約千年に近い。
ロ)別の説:キリストが一度来られた、「今の2千年間の教会時代」が千年王国であるかも知れない。(無千年王国説)この場合、再臨後、すぐに最後の審判となる。
その場合は、再臨後に審判があり、すぐに永遠となる。~千年王国時代の最後に、ゴグ・マゴグ・の戦いがあることがイの説の一番の謎。(キリストと聖徒が指導する王国に何故再びゴグ・マゴグが登場するのかが不思議)
③ 最後の審判:サタンに従う者=信仰を持たない、罪を犯す者=を裁く。全時代の、死後よみにいる者(慰め、苦しみの場所)全部を集めて裁きをなされる。(クリスチャンは報告)
④ 永遠:よみはなくなり、天国と地獄だけ。永遠の世界。地上に天の都が降りてくる。
  (牧師が最近描いている作品のテーマ) もはや、死もなく、悲しみ、叫びもない。
*黙示録21:1-2)「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降ってくるのを見た。」
~以上が、聖書全体の救いのストーリー(マスタープラン)

二,黙示録の概要
1)七つの封印と七つのラッパ、七つの鉢、もう一つの巻物)*資料参照

●黙示録の内容は複雑だから、そのまま読むと混乱する。次のことを知っておくことが大事。
① 巻物は七つの封印をしてある。封印を順番に解くと少しずつ予告編が展開する。
(=終わりの時に主権を持ち展開させる)のはキリスト以外にない。
② 巻物の外側にはダイジェストとして全体を書いている。(一度、全体が出て来る)
③ 封印は一つずつ解かれ、七つ目の封印を取ると巻物が開き、最初から再び、七つのラッパとして詳しく展開する。
④ 七つ目のラッパが鳴るときには、今度は「開かれたもう一つの小さい巻物」が与えられ、詳しく書かれている。七つの裁き(七つの鉢)がなされる。(10章)
●再臨が鍵だが、その時の最大のしるしである「獣の登場」は次週に話す。
2)再臨前と再臨後
●黙示録15章以後に「七つの鉢の裁き」=地上への艱難があるが、その前の14章にキリストの再臨が書かれているから、15章以後は再臨後の地上への裁きである。このとき、クリスチャンは天に上げられていて裁きを受けないと理解できる。
●少し前に話した、「患難時代前の掲挙」という説は、この黙示録とは一切関係ない解釈。
*黙示録6:12-14「また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして、天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。天は巻物が巻かれるように消えてなくなり、全ての山と島は、かつてあった場所から移された。」(マタイ24:24-29も同じ)
●『天変地異』:マタイ24章の24-29節と、黙示録6章12-14節の天変地異は「再臨直前のしるし」か、「再臨後の裁き」か?
大変理解が難しい!
黙示録6章の地上への裁きのときに、「クリスチャンは地上にはいないから、この裁きを受けない。再臨後の地上への裁きであろう。」と理解したいが、キリスト再臨によってクリスチャンがキリストの御前に出るのは、次の7章に書かれているし、「地上への裁き」は8章から始めるので、「6:12-14の天変地異」は、再臨の直前か、同時か、直後かは断定できない。『このような患難の中から救い出される』と理解しておきたい。

●尚、地上への裁きと『最後の審判』、天地の再創造がなされたあとに、聖徒は新天新地に住む。

三,黙示録10章
1)10章の「開かれた小さい巻物」*黙示録10章)

●黙示録全体の流れの中から10章を説明すると、次のようになる。
① 1章:パトモス島(流刑囚)にいるヨハネに主のことば。ヨハネは天に上げられ、御座を見る。「人の子のような方」から「七つの教会に書き送れ」と。
② 2章:エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラの教会へ
①  3章:サルディス、フィラデルフィア、ラオデキヤの教会へ
② 4章:開かれた天の門があり、ヨハネはここに上れと言われる。天の御座の様子
③  5章:巻物があり、七つの封印。子羊がその封印を解くことが出来る。
④ 6章:第一の封印解く:白い馬=勝利、第二:赤い馬=戦い、第三:黒い馬=飢饉、
 第四:青ざめた馬:剣と飢饉と死病、第五:証しの故に殺された者たちの魂祭壇の下に、(迫害)、
第六:天変地異=太陽黒く、月が血のように、星が落ちてくる、山は消える、山も島も動かされる=「子羊の大いなる怒りの日」=再臨後の裁き
⑤ 7章: 印を押された14万4千人、すべての国民、部族、民族、原語から、誰も数えられないほどの大群衆が、御座の前と子羊の前に立つ。ここで、一度完結している!
第六の封印の前に全世界のクリスチャンがキリストの前に立つ。(怒りから逃れている)
⑥ 8章:子羊が第七の封印を解いたとき、7人の御使いたちに七つのラッパが与えられる。
●但し、封印を解くと、本編が始まるので、一度予告されたことが再度登場する。
ラッパは再臨前の元に戻っていると言われるので再臨前と言われるが、第四のラッパは疑問がある。第五,第六のラッパは再臨前と読める。
第一のラッパ:地の三分の一が焼かれる、
第二のラッパ:火の燃える大きな山のようなもの海へ、海の三分の一が血に、海の中の生きもの三分の一が死ぬ、
第三のラッパ:大きな星(苦ヨモギ)、水の三分の一苦くなる、
第四のラッパ:太陽と月、星の三分の一が打たれる。光を失う。
⑦ 第9章:第五のラッパ:一つの星、底知れぬ所に通じる穴を開く、「いなご」が地上に出て来る。五ヶ月間人々を苦しめる。
  第六のラッパ:騎兵二億がユーフラテスを越え、人類の三分の一が殺される。
⑧ 第10章:「小さい巻物」:
2)小さい巻物:
10章は、裁きについて書かれた「小さい巻物」が与えられる前に、備えて準備をすることを教えている文章である。
●もう1人の御使い(1-2):彼は、雲に包まれ、頭上には虹があり、顔は太陽のよう、足は火の柱のようとある。しかも、右足は海の上、左足は地の上に置いていた、とあるから聖書の中では一番大きい御使いとして登場する。
●個人的な想像であるが、『再臨のキリスト』も同じようなサイズでお姿を現わされるかも知れないと、少し考えている。
●「腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い」(9)とは?:
「口には甘い」=福音そのものは甘い、
「腹には苦い」=民が聞こうとしないところに苦さがある。
エレミヤも次のように:「私は一日中物笑いとなり、みなが私をあざけります。・・・」
みことばを食べたヨハネは、「もう一度、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならない。」と命じられている。
苦い思いをせねばならない。どんなに素晴らしい福音でも多くの人は拒否する。
 それでも、私たちは伝えなければいけない!
●祈り

礼拝説教原稿-A⑫2020.5.18聖書箇所:ダニエル8:15-26 泉南聖書教会 大寺俊紀
「ダニエルの見た幻―Ⅱ」
―キリストが来られるとき:初臨と再臨―

はじめに: 先週のダニエル書1章では、歴史的な真実性を教えられ、BC7世紀の中東の大帝国バビロン時代に、時代の荒波に翻弄されながらも、主の守りによって70年間も王室で仕えた(少年)ダニエルが、主から与えられた類い希な賜物=夢、幻を解き明かす能力によって、バビロン王の認知と寵愛を受け、全バビロンの指導的な地位に置かれるとの経緯を見ると同時に、その「王が見た夢」が、「バビロン以後の諸帝国の歴史」を示すものであり、実際に、メド・ペルシャペルシャローマと実現しただけでなく、「ローマ時代に人手に拠らずに切り出される=主が興される一つの石」が、諸帝国を打ち砕き、「全土に山となる」という、キリストの王国=教会の歴史まで預言するという驚くべき預言を見た。
今日の3章以降では、しばらく「おとぎはなし」のような愉快な物語があり、その後、厳しい預言が再度描かれる。「愉快な物語」のようであるが、2章で既に歴史性、真実性を確認した私たちは、3,4章の記述も、疑うことは出来ないと思うが、まず、少しだけ触れておきたい。

一,補囚中の超自然的な奇跡*ダニエル3,4,6章)
1)金の巨像(=虚像)の話 *3章

●3章は、ネブカドネツアル王が巨大な金の像を作らせ、それを拝めと命令した事件である。これは、王がエルサレムを焼いた年であり、王の高慢さが高まったときに起きたことである。4人の青年たちがバビロンに来て約20年後で、ダニエルが職務上、同じ所にいないから、主は、ダニエル以外の3人の青年達に、「主は真実である」という決意を持たせるためにこの事をなされたのであろう。
 また、3人の信仰に栄誉を与えるためだけでなく、並み居る大帝国の高官たちの前で、バビロンの高ぶった誇りを打ち砕くためであり、バビロンの神々に勝るイスラエルの神の力を示す目的もあった。誇り高ぶるバビロン王が主の前にひざまずき、「主こそまことの創造主なる神である」ことを帝国の果てにまで示されたのである。
●巨大な金の像:王は巨大な像をドラの平原に建て、「これを拝め、拝まない者は、火の燃える炉の中に投げ込む」と命じたが、あるカルデヤ人たちが、ユダヤから来た青年たちが「像を拝まない」と訴え出た。それで、3人は捕えられ、王の前に連れ出された。
 青年たちは王の命令を拒否し、「私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことが出来ます。・・・しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた像を拝むこともしません。」と答えた。
●王は怒りに燃え:3人は火の燃える炉に投げ込まれる。ところが、王の心には、ユダから来た青年への「彼らを大事にせねばならない」との思いもあり、炉に投げ込んだものの、3人を心配して炉の中を覗いた。すると、燃え尽きているはずの3人は、炉の中を歩いている。しかも、3人でなく4人。4人目は神々の子のようだ。
 炉の中に向かって「出て来なさい」と王が呼びかけると、彼らは火の中から出て来たが、髪の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火の匂いもしなかった。投げ込まれる前の炉は、以前の7倍も火が強められ、彼らを投げ込んだ者たちが、その火で焼き殺された、というのに。
●以前にもお話ししたことがあるが、これは、ヨナ記のヨナなどと同じ「超」の付く、不思議な守りであるが、同じようなことが歴史上には幾つもあると聞いている。(ヨーク軍曹)
2)「獅子の穴」事件*6章)
●4,5章の前に、6章も少し触れておきたい。こちらも3章同様ユダヤの青年たちへのねたみから生じた告発、迫害である。全国で治める120人の太守たちの上に3人の大臣を置いたが、その3人の中でも、ダニエルが際立って秀でていたために、王は、ダニエルを任命して全国を治めさせようとしていた。大臣や太守たちは、ダニエルを訴える口実を探したが何も見つからず、ユダヤ人の律法に口実を見つける以外にないと思い、「王以外のものを礼拝する者は誰でも、獅子の穴に投げ込まれる」との法令を王に進言し、認められた。すぐにダニエルは訴えられ、法令通り「獅子の穴」に投げ込まれた。
●王の気持:3章と同じく、王はダニエルを心配して、救い出したいと願っていた。断食をし、一晩中眠ることもしなかった。朝一番に穴に駆けつけて、悲痛な声でダニエルに呼びかけた。ダニエルは呼びかけに応じて答えた。「私の神が御使いを送り、獅子の穴をふさいでくださったので、獅子は何の危害も加えませんでした。」
ダニエルを告発した者たちは、妻子と共に獅子の穴に投げ込まれ、獅子にかみ砕かれた。
●3章、6章「超自然的な奇跡」:これを信じがたいと思う人がいるだろう。しかし、歴史の中で主がどの様に考えて、ご自身を示されようとしたかを考えて欲しい。まず、バビロン捕囚は歴史の事実であるが、それは、「一見するとバビロンの神々がユダヤの神よりも力がある」ことを示している。しかし、バビロン捕囚は、諸国民の偶像礼拝を取り入れたユダヤの民への裁きであった。そして、ユダヤ民族にご自身を示すとすれば、「このバビロン捕囚の時を置いて他にない」とも言える。「燃える炎の釜や獅子の穴事件」は「捕囚中の今しかない」という、危機の時代に示された主の力あるわざであった。
3)バビロン王への戒めと裁き:*4章、5章)
●主の働きかけは、4人の青年たちへのものだけではなかった。
4章では、ネブカドネツアル王への厳しい「戒め」があり、5章でもベルテシャツアル王への審判が下される。
●4章:ネブカドネツアル王が見た不思議な夢は、今度も、バビロンの知恵者たちには解けず、ダニエルが呼ばれる。それによると、地の中央にある巨大な木が切り倒され、根株だけが残され、根株には鎖をかけられ、野の草の中に残される。そして、地の青草を獣とともに分け合う=草を食べる。人間の心を獣の心に変えて、七つの時を過ぎ行かせよ、ということで、動物の心になるという精神病であったと言われる。(7つの時は三年半?)
●大事なことは、この夢の解き明かしがなされ、ダニエルからの警告のことばを聞いた王であったが、12ヶ月後に宮殿で発した王の高慢なことばによって、ダニエルの夢の解き明かしの通りになった。
*ダニエル4:30-31)「王はこう言っていた。『この大バビロンは、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が私の権力によって建てたものではないか。』このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。『ネブカドネツアル王よ、あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。』」
4)ベルシャツアル王 *5章) 
●5章:ベルシャツアル王は、千人の貴人たちのために大宴会を催した。それは、贅沢だけでなく、高慢の罪をおかして主の怒りを受けた。
●このベルシャツアル王は1853年までは記録が全く発見されておらず、ナホドニス(BC555-538)がバビロン最後の王と考えられていたから、聖書批評説の学者は、「これでダニエル書全体の非歴史性が証拠づけられた」と言われていたが、1853年に、ウルで、ある神に捧げるためにナホドニスによって建てられた神殿の隅石の中に、一つの碑文が発見された。それには「われ、バビロニヤ王ナホドニス、あなたに対して罪を犯さないように、あなたに対する崇敬するわが長子、わが最愛の子ベルシャツアルの心に留まるように。」とあった。また、他の碑文から、ナホドニスは市外に撤退して、引退(隠退、隠居)していることが多く、ベルシャツアルが父王の摂政として実権を握っており、クロスに降伏したのもベルシャツアルであったことが明白になった。
●ベルシャツアル王が大宴会を催した夜、酒の勢いに任せて父ネブカドネツアルがエルサレムの宮から持ち出した金銀の器でぶどう酒を飲んだ。すると、「人間の手の指が現れ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側のところに何かを書き始めた。」
●王は、手の指が文字を書くのを見て怖くなり、大声で叫んで呪文師、占星術師たちを集めて、その文字の意味を探らせたが、彼らは、その文字を読むことも、その意味を告げることも出来なかった。
●王母の勧めでダニエルが呼ばれ、ダニエルはその意味を教えた。
「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」は神が王の治世を終わらせたと言うもので、「その夜、カルデヤ人の王ベルテシャツアルは殺された」とある。
最近発見されたバビロニヤ碑文の文字には、ゴブリアス率いるペルシュア軍は、一戦も交えることなくバビロンを占領し、王の息子を殺し、その後、クロスが入場したとある。

二,四つの獣の幻*ダニエル7章)
1)2章の「金の像=諸帝国」の詳細預言

●4-6章に三つのエピソードを挟み、再び終末預言に戻る。2章の「金、銀、青銅、鉄と泥の巨大な像」は、7章では、「獣」としてその性格と行動が描かれる。
●4頭の大きな獣:獣が海から上がってくる。①第一は獅子のようで鷲の翼を持ち、翼が抜かれると人間のように足で立ち、人間の心を与えられる。②第二は、熊に似た獣、③第三は、豹のような獣、背には四つの翼、四つの頭。④第四の獣は、非常に強く、鉄の牙、鉄の爪、十本の角を持っていた。
●第四の獣:「獅子、熊、豹」と表現されているが、この7章では、第四の獣に焦点が合わせられる。それは大きな鉄の牙を持って食らってはかみ砕き、その残りを足で踏みつける。さらに十本の角を持つ。
第一はバビロン、第二はメド・ペルシャ、第三はギリシャ、第四はローマであるが、7章での第四の獣は、「終末の帝国」となっていて十本の角を持つ。古代ローマの記述が、いきなり2千年飛ぶので、やはり、「ローマ帝国の、形を変えた新しい連合国」との見方が強い。
●獣の登場:8節では、10本の角の中から、もう一本の小さな角が出て、その角のために最初の角のうちの3本が引き抜かれた、とあるから、これらのことはどの様なところで起きるかは注目が必要。その一本が問題の「獣」となるためである
2)「御座」に着かれる方*7:9-10)
●天の御座:終りの時の、10カ国連合らしきものの中から獣が頭角を現わすとすぐに、「天の御座」の幻が見えてきた。「幾つかの御座」が備えられ、まず「年を経た方」=御父(?)が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭髪は羊の毛のよう。御座は火の炎え、水の流れがこの方の前から出ていた。幾千、幾万の者がこの方に仕え、その前に立っていた。そして、裁きがなされる。
●再臨と審判:11節にある「さばき」によって、その獣は殺され、燃える火の中に投げ込まれた、とあるが、これは、キリスト再臨後の最後の審判を指していると思えるが、ここでは、少し時系列でない記述になっていて、13節で、「人の子のような方」が天の雲とともに来られ、「年を経た方」のもとに進み、その前に導かれる。これは、全てを足の下に置かれて、キリストが御父の元に報告に行くという最後の段階である。
●キリストに主権と栄誉:この方=キリストに、主権と栄誉と国が与えられ、諸民族、諸国民、諸言語の=全人類がみな、この方にお仕えするということである。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることはない、とある。
3)ダニエルの困惑と説明*7:19-28)
●ダニエル書のユニークで面白いと思うのは、幻を見せていただいたダニエルが、その理解に苦慮し、戸惑い、おびえすら感じていることが正直に書かれていることである。そして、それを見て、ダニエルに理解させようと御使いが送られ、説明が重ねられている。しかも、何度もある。数百年後の預言ですら驚くべき事なのに、数千年後のことまで知らされるとは、預言者の勤めのなんとも重いことかと思わされる。
●15節からは、悩み,おびえさせられたダニエルは、傍らに立つ者たちの一人に近づき聞くが、特に第四の獣について、彼(御使い)は次のように答えた。(17-27節)
① 第四の大きな獣は,十本の角があり、もう一本が出て来て、そのために三本の角が抜け落ちる。~このことが近未来に起きるならば,大変理解しやすい!*20)
② もう一本の角は,聖徒たち(教会)に戦いを挑み支配するが、一時的なこと。*21)
③ 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き,聖徒たちを悩ます。「時と法則を変えようとする」~これがどんなことを指すのか興味がある~
④ 彼は一定期間支配する。(一時と二時と半時=患難時代後半の三年半との説もある)
⑤ 聖徒たちが国を受け継ぐ時が来る。その御国は永遠の国。*22)27)いと高き方のさばきが行われて,彼の主権は奪われ,滅ぼされる。*26-27)
●「一時と二時と半時」:これについては、諸説があることを知っておいて欲しい。ディスペンセーション理論のように、必ず三年半ずつ計七年と断定すべきではない、「ひと時とふた時と半時」の「時」という言葉は、一般に「年」の意味であり、3年半で42ヶ月であるが、1ヶ月を30日とすれば1260日(1260年)となる。
だから、文字通り、或いは、一定期間、象徴的な期間など、色々な見方が出来る。
イ)アンティオコスによる、宮の冒涜は3年半続いた。(AD67-70)、
ロ)ローマ教皇庁の世界支配は6世紀から18世紀のほぼ1260年、
ハ)マホメッドがパレスチナを制圧したのはAD637年で、1917年のキリスト教国の支配に移るまでが約1260年であった。

三,さらなる幻の説明*ダニエル8章)
1)もう一つの幻*8:1- )
 
●8章では、7章の四頭の獣の説明が詳しくなされる。7章では獅子、熊、豹、十本の角を持つ化け物のような獣とあったが、8章では、それは「雄羊」「雄やぎ」と表現されるが、雄やぎの大きな角が折られたあとに際立った四本の角が生え(8),「そのうちの一本から,もう一本の角が生え出て来て,南と東と、麗しい国に向かって,非常に大きくなる」9)として、7章9-27節に登場した「獣」の幻が語られる。
●3節から,一匹の雄羊や親やぎが登場し、その雄やぎが高ぶったときに、その大きな角が折られることと、その後四本の角が生え出てくる、さらにそのうちの一本から,もう一本の小さな角が生え出ている・・・と続くが、それは、丁寧なことに,20節では、具体的に御使いから説明されている。
●「悟れ、人の子よ,その幻は終りの時のことである。」と、又、二本の大きい角を持つ雄羊は、メディアとペルシャの王、大きな角はその第1の王アレキサンダー大王で、彼はBC331年にペルシャ帝国を破っている。預言はBC539年で、200年後に成就している。
そして、アレキサンダー大王の死以後に登場する四人の王の中から出て来る一人の王、「この王と同じ行動を取る者が,終りの時にも登場する」と説明される。それが、「獣」。
2)終わりの時のこと*8:17-26)
●アレキサンダー大王の倒れた後の四本の角=王、国の中から、「彼らの治世の終りに、背く者たちが行き着くところに至ったとき、横柄で策にたけた一人の王が立つ」23)とあり、その後、「彼の力は強くなるが,自分の力によるのではない。・・・心は高ぶり、平気で多くの者を滅ぼし,君の君に向かって立ち上がる。しかし、人の手によらずに彼は砕かれる。・・・」24-25)これは、まさに8:8-14の「終りのときの獣」である。
●アンティオコス・エピファネス:ギリシャ時代のアレキサンダー後に立った四人の王のうち、これに該当する者はアンティオコス・エピファネス(BC175-164)であると意見が一致しているが、彼は「ユダヤ教の絶滅に最大限の努力を傾けた」。終りの時の「獣なる者」はこのエピファネスと同じ破壊者の行動を取るので、彼は象徴的な先駆者であった。
3)7:13は再臨、9章は初臨の預言
●最後に、ダニエル書講解説教はこれで終わるので,9章のことを少し触れて終わりたい。
●再臨:まず7:13にあった「見よ。人の子のような方が天の雲とともに来られた。」はキリスト再臨の預言であることを覚えて欲しい。それに先立つものとして,9章にある預言は,初臨のことを書いている。
①初臨の年:「あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている」とある。それは、「この都にメシヤ(キリスト)が来られるまでが70週ある」ということで、70週は一般に、7周年の70を意味し、「7年を70倍」あるいは「70年を7倍した490年」で、バビロン捕囚も70年であった。
②「エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。」*25)70週は7週と62週と1週に細分できる。7週に62週を含めた69週で、一年一日説に立てばBC457年から483年で、AD26年となり、それはイエスがバプテスマを受けて,公生涯を介した年である。(世に登場された年)
 ちなみに、バビロンからの帰還は前536年、457年、444年と3度あり、主だったものはBC457年とされる。
③油注がれた者の死:26節にある「その六十二週のあと、油注がれた者は絶たれ,彼には何も残らない」とは、メシヤの登場だけでなく、公生涯の継続期間(半週=3年半)と、人類の罪の贖いの死をも預言している。
④審判、獣の破滅:27節にある「忌まわしいものの翼の上に,荒らす者が現れる。そしてついには,定められた破滅が,荒らす者の上に降りかかる」ということばで、エルサレムを荒らし,全世界を荒らす獣=独裁者がエルサレムの聖なる所(神殿?)に登場し、裁きを受けて破滅するのである。
●祈り

礼拝説教原稿-A⑪2020.5.11聖書箇所:ダニエル1:17,泉南聖書教会 大寺俊紀
「ダニエルの見た幻」
―預言者に与える主の幻と、啓示の重大さ―

はじめに: 今日からはダニエル書であるが、たった12章しかないので、二度メッセージをすると終わってしまう。ところが、このダニエル書は、まるで「漫画や劇画」のような内容で、初めて読まれた方なら、「これは一体何ですか?空想小説ですか?」と笑ってしまうだろう。しかし、どうも作り話ではないらしい。ダニエルの名は他の聖書にも出て来るし、なんと言ってもイエス様が最初に世に登場する年を教え、二度目に来ることも教えている=順序から言うと、二度目に来ることが優先して語られていて、一度目はその補償となっている。さらに、イエス様ご自身が、ダニエルことばを取り上げておられるほどである。(マタイ24章15節)今日は、一回目なので、1-2章を取り上げる。

一,「野菜と水」*ダニエル1章)
1)「自然に帰れ!」

●私が22才から大阪市内の子どもたちに絵を教え始めてとても驚いたことがあった。それは、「都会の子どもたちは自然から切り離されて生活しているから、自然のことを何も知らない。」子どもの絵を見ていると、テレビ漫画や人形などのオモチャしか描かない。興味を引くものがないから、創作意欲もない。
●それで始めたのが「自然に帰れ」という運動で、毎月一回野外で遊ぼうと、絵の生徒に呼びかけたら、友達を誘ってきて、あっという間に会員が100人を超えた。そこで、慌ててリーダーを探して、10数人が見つかり、50人ずつに分けて、月に二回の野外活動を始めたが、ハイキングや登山だけでなく、畑を借りての農作業や餅つき、絵や工作の指導もした。当時の親たちは、とても賛同し、子どもを自然の中で遊ばせたいと言われていた。そうして始まった子どもの自然愛護活動の基本精神(ポリシー)は、「自然=素朴なものに帰れ」だったので、1章のダニエルら4人の少年たちの申し出を素晴らしいと思う。普通なら、「王の食事に預かれる」、「何とラッキーなことか」と思い、毎日贅沢な料理とお酒を口にする、美食三昧に憧れるものである。4人のイスラエルの少年たち(王族の子どもたち)が、聖書の教えやユダヤの伝統的な教育方針にそって育てられていたことがわかる。この「贅沢や美食を求めない」との素朴な精神性が、主の好むところであり、主に愛され、主からの特別な賜物を受けた原因となった。主は、「宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた」と9節にある。ダニエルらの申し出は成功し、彼らは他のどの少年たちよりも体は肥えて、顔色も良かった。また、このことは、自然食志向だけでなく、「偶像に捧げられた物」によって汚されたくないとのことである。これは、又、主は、ご自分が愛される者を守られるということだろう。そして、その者を用いてご計画をなされるのである。その計画とは、人類の救いのマスタープランの完成であり、その為の預言者として彼を用いることであった。だから、次の2章では早速「不思議な巨人の像」の夢が登場する。

2)ダニエル書の歴史性*1章)
●はじめに、で書いたが、ダニエル書は奇想天外な創作物語の感じがする。
しかし、始まりにユダ王エホヤキムの治世の第3年とあり、ユダがバビロン捕囚を受けた後のことであるとわかる。それで、捕囚を受けたユダの王族の中から4人の少年が選ばれている。「身に何の欠陥もなく、容姿が良く、あらゆる知恵に秀で、知識に通じ、洞察力に富み、王の宮廷に仕えるにふさわしい」少年たちとある。
 そして、彼らを三年間も養育して、カルデヤの文学とことばを教え、仕えさせる為であった。名前も、別のバビロンの名前を付けた。これらだけで、充分歴史性が確認できるが、1章の最後のひと言が驚かせる。「ダニエルはキュロス王の元年までそこにいた。」であるが、ダニエルはバビロン宮廷に実に70年間も仕え、次のメド・ペルシャの時代まで用いられて活躍した=それほど優秀だったということである。
更に、1:17節では、神は、彼ら4人に、知識とあらゆる文学を理解する力と、知恵を授けられた。ダニエルはすべての幻と夢を解くことができた。」とあり、それが、このあと何度も発揮される。
●年代を資料で見ると次のようになる。:
イ)バビロン捕囚(BC586-538)Bc586年エルサレム破壊、補囚。強制移住は前605、(606)597,586,582年と繰り返される。ダニエルは1回目に捕囚を受けた。
捕囚からの帰還は前536(535).458.444年。ダニエルはバビロン崩壊後も残っていた。
前538年、ゼルバベル(総督)祭司ヨシュア、「宮の再建」(預言者ハガイ、ゼカリヤ)
前458、(エズラ)
前444年、ネヘミヤ、エルサレム城壁再建、(預言者マラキ)

二,王の見た夢 
1)ネブカデネザル王の見た夢*2章)

●この夢の事件は、ネブカドネツアル王(ネブカデネザル)の治世の第2年目、ダニエルがバビロンに来て3年、養育期間終了後すぐに起きた。王は幾つかの夢を見て心が騒ぎ、眼られない。そこで、「呪法師、呪文師、呪術者」を呼び寄せて夢の解き明かしを命じる。
●王は、彼らに対して、自分が見た夢を説明せず、「夢そのものも説明して解き明かせ」と命じる。(真に有能であれば、可能なはずだ、と)~王の命令は理にかなっている!
当然、バビロンの呪法師たちは、夢の内容を聞かなければその解き明かしも出来ない。王は怒って、バビロンの知者を皆殺せと命じる。その使者がダニエルの所に来たとき、ダニエルは知恵と思慮を持って応対し、しばしの時を与えてくれるように依頼する。そして、同僚のハナヌヤたちに知らせ、天の神の憐みを求めた=祈った。
●その夜、幻のうちにダニエルに啓示された。それで、すぐにダニエルは主に感謝の祈りを捧げた。20-23節)
●ネブカドネツアル王の前に出たダニエルは、へりくだりのことばによって主の栄光を示す。「この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。」30)と。~夢の解きあかしをされるのは主であることを示す~

左上ローマ帝国、右上メディアペルシャ、下は、ギリシャ・アレキサンダー王の進路
2)諸帝国の興亡、特にギリシャ時代
●ダニエル2章31節からの「巨大な像」の夢は、バビロン帝国の偉大さを示し、その後のペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国の登場も示すものであった。
●「帝国」:その勢力図などを見ると、「人間の罪深さ」を痛感する。これを現代に置き換えると、ロシヤ(ソ連)、中国、アメリカなどが、世界的な帝国政府を作って100年とか200年世界に君臨するというのだから恐ろしい。
●特にイスラエルのような小国は、翻弄され、当時の諸民族の多くは滅ぼされたのもやむを得ないが、その中で、ダビデ、ソロモンの時代(約70年)帝国の攻撃がなく、イスラエル・ユダも海外進出=覇権主義、帝国主義を取らなかったことは、主の指導故であったと痛感する。
●ギリシャ帝国の意義:主のマスタープランから見ると、エデンの園が中東地域(チグリス・ユーフラテス付近)にあることから、人類の文明が、ユーフラテス地域を中心として拡がってきたがために、アッシリアバビロンメド・ペルシャ、後のオスマントルコの支配が永かったが、ギリシャ時代が、中東より東に進出し、更にインドまで勢力を拡大したために、ギリシャ・ヘレニズム文明が過去にないほどの最大の拡大を見せ、影響を広げたことも重要である。
●アレキサンダー大王の功績:又、ギリシャのアレキサンダー大王は、ユダヤの祭司集団と出会って以来、ユダヤに好感を持ち、支配各国にユダヤ人を多く招き寄せ、彼らの活躍の場を広げたとも言われる。その一つとして、ユダヤ人のコミュニティーが世界各国に出来て、ユダヤの会堂も作られていったという。これが、後にパウロ等の世界宣教の足場となり、各国にある会堂でのユダヤ人への宣教が容易に出来た理由であった。~だから、アレキサンダー大王は、(本人の気付かぬうちに)主の御心に沿って行動していたと言える。
 又、ヘレニズム文明の良かったことはギリシャ語が世界共通語となったことが、旧約のギリシャ語訳が登場し、世界宣教に役立った。
●ローマ帝国時代:更に、ローマ帝国時代では、帝国の勢力を拡大していきながらも、「圧政を敷き続けるのでなく」支配した民族に「ローマ市民権」を与えていたというから驚きである。「圧政を敷いて、支配略奪を継続する」というのでなく、徐々に自治権も拡大する、少し民主的な方向に進み、1300年も継続したこと、これもその後のヨーロッパ各国の成長につながり、キリスト教の広がり、世界宣教につながったと言えるだろう。
 さらに、ローマ帝国のその政治姿勢は、国教化されたキリスト教(聖書)の影響が大であったと考えられる。

三,一つの石 
1)主のご計画

●また、バビロン帝国の後に続く、諸帝国の予言されていたことも重大である。
BC7世紀に、バビロン以後のメド・ペルシャ、ギリシャ、ローマの諸帝国を預言している。それらは、まず今後数百年の歴史であるが、それは更に驚くべき歴史の預言と展開する。
●そして、最も大事なことは、34-35節の「一つの石」の夢であった。この石は、バビロン王には関係のない未来のことであるが・・・
●王に対するダニエルの解き明かしは36節からあり、バビロン帝国の栄光を讃え、それに続く諸帝国も語られるが、特に詳しいのはローマ帝国で、それは東西二つに分断され、滅ぼされることはないが、片方が鉄、片方が粘土のようになる=その時代、その民族に溶け込んでいく。
●そして、この王の時代に、天の神は「一つの国」を興される。それは永遠に滅ぼされることがない国であり、「人手によらずに」切り出された「一つの石」であること=永遠のキリストの王国であることが暗示される。
*44)「この王の時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。」
*45)「あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、多いなる神が、これからのちに起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」
●ダニエルは、この夢の解き明かし以後、バビロニヤ全土を管理する重大な職責を与えられている。また、15年後のエゼキエル14:14,20、28:3にも名声が伝えられている。
*エゼキエル14:14.20「たとえ、そこにノアとダニエルとヨブの、これら3人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ―神である主のことば―」
2)「人手によらずに山から切り出される」石*2章)
●「ローマ帝国を打ち倒した帝国はない」:中東を中心に「オスマントルコ」の時代も後にあるが、(1520-1683年)西ローマ帝国はスペイン、フランス、ポーランド、神聖ローマの諸王国として、打ち倒されることなく、キリスト教会も存続できている。下左の図は最盛期のオスマントルコであるが、(右はローマ帝国最盛期)ヨーロッパは守られていることがわかる。

●像の足は一部が鉄、一部が粘土で、「それらが互いに団結することはありません。」とあるように、ローマ帝国は東西に分かれ、後年は諸王国に分かれていく。そして、キリスト教の王国としての歩みを取る。
●そして、キリストの教会は、封建社会から、近代には民主主義社会へと変貌を遂げて継続され、近代になっては「世界宣教」を成し遂げ、アメリカ大陸から、アジア、アフリカへの宣教、中東地区はイスラム教が主力であるが、それでもイラクのような5%内外の国も多い。アフリカの場合は、オスマントルコ支配地区だった北部、地中海沿いの国々は、現在もイスラム教が優勢であるが、キリスト教もかなり多い。アフリカ大陸の中南部はキリスト教が殆どである。
*2:44)「この国は永遠に滅ぼされることがなく、その国はほかの民に渡されず、反対にこれらの国々をことごとく打ち砕いて、滅ぼし尽くします。しかし、この国は永遠に続きます。」この44節のことばは、AD1世紀(ローマ時代)にスタートしたキリスト教会そのものの歴史であり、21世紀の今日も続いていること、「永遠に続きます」の約束通りである。
3)ダニエルへの賞賛と処遇*2:46-49)
●ネブカドネツアル王(古い訳ではネブカデネザル)はダニエルの解き証しを聞き、また、夢の内容も言い当てたことから、その未来預言に驚いたに違いない。その「預言の真実性」を知ることは出来なくても、ダニエルが特別な王の夢を正確に言い当ててその意味を解き明かしたことは永遠におられるユダヤの神を「永遠の全能者、創造者」として認めたということであろう。それは47節以降のことばでわかる。
*2:47「・・・『あなたがこの秘密を明らかにすることが出来たからには、あなたがたの神こそ、神々の中の神、王たちの王、また秘密を明らかにする方であるに違いない・』
*2:28:「そこで、王はダニエルを高い地位に就けて、多くのすばらしい贈り物を与え、バビロン全州を治めさせて、バビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とした。
●そして、ダニエルは1:21にあるように、バビロンの滅びる日まで、バビロン王宮にいた。
●この後、ダニエルは多くの驚くべき経験をし、また幻とことばを受けて預言するが、その真実性がこうして最初に備えられ、語られていることに感謝したい。
●祈り:

「礼拝説教原稿-A⑩2020.5.3聖書箇所:エゼキエル38:1-9,18-23泉南聖書教会 大寺俊紀
「主の再臨の時=救いの完成」
―新型コロナ問題と聖書:2―

はじめに: 今が、世界の「一種の非常事態」であることから、「19(日)の特別礼拝以後、「終末=主の再臨の日」が近いかも知れないと考えて、特別なメッセージをしている。一回目は過去の疫病の歴史をキリスト教との関係と聖書の基本原則=主の救いのマスタープランを話した。
礼拝で話すことの基本は、救いと裁きの主のご計画を、解釈しないで話すことです。ここ二ヶ月間の聖書通読で、エゼキエル書を読んでいることもあり、エゼキエルの38章の預言と、関連する聖書箇所の終末預言を見ます。大事なことは、聖書だけを冷静に見て、その日がいつ来ても良いように備えておくことです。「聖書だけを見る」こと、それは「神学書、解説書」を読む前に、聖書から教えられることが最も大事だと言うことで、パウロも、ガラテヤ書1:11-12で、「私はそれを人間から受けたのでなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」とあるのは、そのことを言っています。

一, 主のご計画の基本「裁きと救い」

1,ある方の声
●先日、近所を歩いていると背後から来たバイクが止まり、エンジンを切って話しかけて下さった。4/19日の説教をお届けしていた方である。「読ませて戴きました。私は、今回のコロナは、人類の罪に対する神様の裁きだと思う。世界中を旅行して贅沢三昧をしているからだ、」と。地球環境の破壊なども含めて、人類の罪が高まると怒りを受ける。「ノアの洪水の時も、たった8人だけを残して全人類を裁かれたのだから、」と話してくれた。
●聖書の、ノアの洪水の記事を知って下さっていて嬉しかった。そこで、今書いているように、一度完成し、既に推敲してきた原稿であるが、もう一度修正することとした。
一つは、神=創造主の「裁きと救い」、もう一つは、終りの時の明確な「しるし」であり、今日の聖書箇所が、その重大なしるしの一つである。

2,コロナ、疫病と人類歴史の関係
●前回話したとおり、ローマ時代のキリスト教会急成長(ローマ帝国がキリスト教を認めて、国教とした)や、キリスト教の世界への伝播に疫病が関係しているかも知れない、ということは、創造主なる神は、ご自身の目的のために疫病をも使われることがあるということで、エゼキエル38章22節でも、エルサレムを攻撃する軍隊と国には、疫病が送られると書かれている。
1) ローマ時代(AD161年)の天然痘で、クリスチャンは懸命に救助と励ましをし、キリストの救いを伝えたので、クリスチャンが急拡大、その後ローマ帝国がキリスト教国になった。
2)1518年に「天然痘」が中南米全体で発生してインカ帝国(ペルー)とアステカ帝国(メキシコ)が倒れたが、天然痘は少人数のスペイン軍基地から拡がり、現地人はキリスト教の神の強さを知ったとして、宗教も言語もスペイン語(ブラジルだけポルトガル語)、キリスト教に全部入れ替わった。又、第一次世界大戦時のスペイン風邪の例を見ても、神=創造主は、人類へのメッセージとして、疫病をも使って、ことを行おうとしておられることは確かであろう。

二,終末に関する聖書記述の要点
1) キリスト再臨についての、聖書のことばの意義、目的
●聖書は、神=創造主は、人類に裁きと救いのメッセージを伝えている。ノアの洪水の時も、ノアの家族は、箱船に乗るようにと皆に訴えたが、誰も聞かずに洪水で滅ぼされた。今回も、コロナ問題を考える中で、多くの人類は、ただ早く収束することと、生き延びることだけでなく、「今後はどの様に生きるべきか」も、必要な課題だと気づく人が増えている。そして、中には、聖書にその答えがあるかも知れないと気づくであろう。
●そこで、知って欲しいことは、聖書の教えは「裁きと救いがあること」「その完成の時が来る」ことで、それは、「キリストの再臨=もう一度来られること」主イエスが今の時代の終りの時に、天からもう一度来られることを教え、そのときの注意点をいくつも教えておられる。
聖書は、紀元前から天におられる創造主である神・キリストが地上に来られて救いを与えること、その為になさることを永年繰り返し教えておられるが、それは、一度目に来られること(約二千年前に実現した)と同時に(それよりも先に)、二度目に来られて完成することを教えている。
「2度目に来られる(再臨)ことが真の解決のため」であり、「その準備として一度目に来る」ということで、2千年前の十字架刑と復活は、2度目に来られるときに完成すると言うことである。
●二度目に来られることの意義は、「再臨がないと解決がない」と言うことで、一度目に十字架にかかり死なれ、復活されたことを信じる者=クリスチャンの救いの完成のために来る。(その後の最後の審判で、信じない者への裁きもある)
仮に、二度目の来臨がなければ、キリストは他の宗教者と変わらないとなる。「教えて、死なれた」ということだけ。
しかし、死なれて三日目に、復活されたとの聖書のことばが真実の救いであることが、再臨してクリスチャンを天に上げられ、復活のからだを与えることによって完成する。
勿論、そのときは、その時点で生きている者だけでなく、信仰を持って亡くなった(召された)クリスチャンも復活する。先に召されていた者が生きている者より先に復活の身体を受ける。(第Ⅰテサロニケ4:16-17)

2) 一部の間違った解釈(キリスト集会や一部の教会)
●間違った解釈「掲挙」エゼキエル戦争10カ国連合・独裁者の世界支配7年後再臨
この後のセミナーで詳しく話すが、簡単に書くと、最初に患難時代前の「掲挙」がある。(前触れ、しるしはない)その後、「エゼキエル」戦争=エゼキエル38章の戦争、又は世界統一政府が出来る。一つの世界統一政府が、10人の支配者(王)に分かれる。=支配権争い。3人の指導者が中心になり、うち一人が台頭する=「獣」世界を暴力的に支配する。この患難時代にもクリスチャンが出て、迫害される。7年の患難の最後、キリストが2度目の再臨。(3度目の来臨)~これも、明確なしるしはなく、「掲挙から7年目」ということだけ。千年王国になる。最後の審判永遠になる。
●この解釈は、終りの時の大変な時代に、「クリスチャンは何もしなくてよい」という安心預言で人気が高い。しかし、聖書には「掲挙」されるとは書かれていない!

2)教会の説明:聖書の教え
① 終りの時に、患難な時代になる。(年数は断定しない)
最初に「掲挙」があるとは書かれていない。
天に上げられるのは、困難な時代の最初の頃か、途中か、終り頃か、不明。
  「いつであるかは誰も知らない」とイエス様が言われている。
 *マタイ24:36「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」
② 「世界統一政府」を目指す動きがあり、10人が主導権を争う。時に3人の代表の中で一人が主導権を取る。(数年はかかるだろう)
 このことは、疫病(ウイルス)や食料危機などで、世界が混乱し、独裁者が増えて国家連合が出来てくることに注目必要。必ずしも「世界政府」とは断定できない。
③  台頭する者は「獣」と呼ばれている。教会、クリスチャンを迫害する。
④  「獣」は全人類を管理。(コンピューター、総背番号制、バーコードなど使う?)
⑤  「獣」はイスラエルの聖なる所に立つ、とある。集会では全く触れていない。
マタイ24:15の「『荒らす忌まわしいもの」が聖なるところに立っているのを見たら』―は、患難の時代の最後か、あるいは早い時期かはわからないが、イスラエルが攻撃される頃と読める。
「ダニエル、主イエス。パウロが言う「荒らす忌まわしいもの=獣」の「聖なる所に立つ」も注目せねばならない。
エルサレムの「聖なる所」(神殿のことか?)はまだ出来ていない。
 但し、イスラエルは全てを準備しているから、イスラエルのニュースに注目必要。同じ頃:集会が「エゼキエル戦争」と呼ぶ、ゴグ・マゴグの38章のイスラエル攻撃がある。
⑥  そのイスラエル攻撃の時に「再臨」される。御使いが、まず、先に召された者(眠っている者)をよみがえらせ、次に生き残っている聖徒も天に上げ、主とお会いする。(共に降りてくる)
*マタイ24:30-31「・・・人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。」「人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者を集めます。」
*ゼカリヤ12章2-10節。特に9.10節)「その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を根絶やしにしよう。わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。かれらは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しく泣くかのように、その者のために激しく泣く。」
10)「自分たちが突き刺した者、わたし・・・」は、イエス様の再臨を見て、イスラエルの人たちが、先祖が十字架に付けたキリストと気づき、激しく泣く、との意味。
*Ⅰテサロニケ4:16-17「すなわち、号令と御使いたちのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
キリストが再臨されて、初めてクリスチャンが天に上げられる、とある。7年前に一旦掲挙するとの意味ではない。
⑦ イ)千年王国になる。クリスチャンは王・祭司に。
ロ)又は、今の2千年間が千年王国かも知れない。ロの場合は、すぐに最後の審判となり、その後永遠となる。「集会」と異端のエホバの証人の千年説は崩れる。
⑧ その後、最後の審判になり、新天新地・永遠になる。もはや死もない!

三,再臨は主のマスタープランの完成
1)今の地球をどう見るか?
●世界中が「自粛」の嵐であるが、「強い者が生き残り、弱い者は消えていく」これが現実と思えるが、「何が残るか、消えるか」は、経済法則だけではない。
朝ドラなどを見ていると、殆どのドラマに日本の戦争が絡み、戦前、戦中には「アレもなかった、これもなかった」と見せられる。また、航空会社のキャビンアテンダントたちが、医療服を作っているなどのニュース映像を見ると、「学徒動員」の一環で、戦前の女生徒たちが軍服や国民服を作る為に動員させられていたことを思い出す。
 また、ネオンの消えた夜の街の映像や、東京やニューヨークの夜の映像とともに、「これらの風景は、新天新地に残っているだろうか?」とも考えさせられる。
●又、ロックダウン、都市封鎖をしたら、「中国はじめ地球の大気が綺麗になった。PM2なども発生していない、」と人工衛星写真が見せてくれる。
 また、人間の外出禁止令によって、街に動物たちが姿を見せている映像もある。福島の時も、牛や馬、野生動物もどんどん街に出て来ていたから、人類の数が減れば、動物達がどんどん姿を見せるだろうと想像できるが、これは主が喜ばれることではないだろうか。
●一番根本的な事は、原子力発電や放射能問題、―核戦争などを起こせば地球環境は最悪になる―工場や自動車などの排気ガス問題など、人類が破壊し、汚染している地球環境を主がどう見ておられるかと言うことで、その限界に近づいているなら、「主が介入される」日が近いことを知らなければいけない。
●「主の介入」では、悪いことを全部取り去られるであろう。今の大都市のギャンブル産業、歓楽街なども消え去るだろう。「IR法案を通してギャンブルを盛んにする」との現政府が許されるはずがない。ここ一ヶ月の日本では、(世界も)文化やスポーツまでも全て休止している。観光などもないから、関連企業は壊滅状態であるが、全てが悪いわけではない。これらはどうなるだろうか?
●文化関係や自然関係、自然の中での健康的なレクレーションは復活すると思うが、このコロナ騒ぎは、それら全てを考えさせられる。本当に大事なものは何か、残るものは何か・・いや主の介入があれば、「残されるものは何か」である。絵や音楽も同じになるだろう。人間の評価とは違う判定が下されるに違いない。
●一例をあげると、「動物園」はなくなるだろう。なぜなら、動物たちは殺しあいをやめ、ライオンも牛も一緒に草を食べるようになるからである。もはや、「見世物」にするべきではない。これは凄いことであるが、聖書の約束である。(*イザヤ65:25)ということは、奈良公園で鹿が遊んでいるように、地球上の至る所で、人と動物が仲良く過ごす、そんな平和が聖書の約束である。
*イザヤ65:25「狼と子羊はともに草をはみ、獅子は牛のように草を食べ、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない。-主は言われる。」
2)絶対平和の地球に
●当然、人類も争いをやめ、戦争をしなくなる。おそらく、言葉の壁もなくなるだろう。
絶対の平和:これは、2700年前からの約束である。この事は、最後の審判を通して、全人類が創造主・キリストこそ全能の創造主であることをはっきり知るからであろう。
*イザヤ2章2-4節「終わりの日に、主の山は山々の頂きに堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れてくる。多くの民族が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えて下さる。私たちはその道を進もう。』それはシオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鍬に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」
3)主による再創造
●聖書通読は、5月3日が42章であるが、8日(金)は47章で、「地球の回復」が描かれている。それは、エルサレムの神殿の下から「水」が出て、全世界を覆い、全てを聖くするというものであるが、それは一つの象徴的な記述であり、主は全世界を再創造し、主のことばがエルサレムから出て、地球を造り替え、人類にも真理を教えて導かれるということである。それは、どんなに素晴らしいことになるだろうか?!期待したい。
●祈り」

礼拝説教原稿-A-9 2020.4.19

聖書箇所:ルカ21:10-11+マルコ13:24-25+マルコ13:26-27泉南聖書教会 大寺俊紀
「疫病と終末」
―コロナ問題と聖書―

はじめに:今日は、今世界を席巻している新型コロナの問題を聖書から見る。但し、これは、聖書の解釈ではなく,個人的な預言でもない。今、重要なことを聖書から考える。
●まず、今日お話しする内容を先に言うと,
●新型コロナのようなウイルスのことを聖書はどの様に書いているか:
①聖書には,コロナウイルスよりももっと凄まじい「警告」と「裁き」を教えている、
②同時に、愛による救い、脱出も示しておられる。
③疫病以上に凄まじい「警告」と「裁き」に至る時には,何が,どの様に起きるか。
~これは、「解釈」は一切なく,単純に説明する~

一,「裁きと救い」のことば
1)天地万物の創造者のことば:
●教会のメッセージは、常に天地万物の創造主によることばである。この事が大前提となっているので,そのことを頭に入れて聞いて欲しい。
最初に聖書そのものを簡単に説明すると、聖書は約3500年前から1900年前の約1600年間に,約40人によって書かれたが、内容は一致していて,矛盾、間違い、変更、訂正など一切ない。そしてお互いに補完し合っていて、一人一人の人間(預言者、聖書記者)が自分の意思で書いたものとは考えられない。つまり、「永遠におられ,天地万物を創造された創造主が人間にこれを書かせた」と考える以外にない。
●多くの人は、この前提を持っていないが,上のことを覚えて聞いて戴きたい。そのことを認識した上で聞いて戴ければ,聖書の記述は正しいと理解して貰えるはずである。
2)地球と人類の歴史には「区切り」がある:マスタープラン
●まず,次の創造主のマスタープランのことを頭に入れて聞いて欲しい。
① 創造主は永遠におられる方であるが、永遠の中で考えられ,設計されて,地球を創造され、そこに「人」を置かれ、「子」として愛し、天地を共に過ごしたいと思われた。
② 永遠の中で準備をされて,まず、地球を造られ、一日24時間の、地球時間6日間で順番に地球に置かれた。(登場させた)
1日目光、2日目水の分離、三日目植物、4日目太陽や月、星、5日目鳥、魚、6日目動物と人。7日目に休まれた。~この6日の創造の事は、改めて別に説明する~
③ 最初の人(アダム)には死がなかった。しかし、一つだけ禁止された。(主を無視して生きてはいけない。そうすれば死ぬ。)しかし、妻イヴが罪の誘いに乗り,夫アダムも誘惑されて罪を犯し,死が入った。それは全人類の死となった。(他の被造物も)
④ しかし、救い主を送ると約束され、その方は「後に女から生まれ,死を滅ぼすが、自らも傷つく」と約束された。(これが、キリストの十字架の最初の約束。創世記3:14)
⑤ それ以後、人には信仰心のある者(神の家系)とない者が混在し、不信仰者が増えたので,主は怒られて洪水を起こして裁きをされた。(8人だけ残し,やり直しさせた)
⑥ その後、主を恐れるアブラハムをスタートに、次々と預言者を送り、人類の罪の身代わりになる方(救い主)を教え、伝承させた。
⑦ 数千年がたち、旧約聖書が完成し、その400年後に約束の方が,(聖霊によって)処女から生まれ、救いを教えられ,身代わりの死と復活も教えたあと、人類の罪を背負って,身代わりの死を遂げられる為に、十字架刑につかれた。そして、約束通りに3日目に復活され,教会がスタートした。復活の40日後、弟子たちの目の前で天に上られたが、「再度来る=天から雲に乗って再臨する」と預言された。(死なれる前から何度も約束していた)
⑧ キリストが再度来る時には、地上に大変な患難がある。独裁者やニセキリストがいて,世界は大混乱しており、人類の悪と罪が頂点に達している。それは、地球環境の破壊、弱者を苦しめ、一部の金持ちが世界の富を独占する、核戦争をする、との意味と思える。
⑨ 人類の不信仰も高まる。キリスト教会にも,主を否定する偽の信仰が横行する。(それは進化論による聖書の否定だと、ペテロ手紙にある。)だから、怒りの裁きを受ける。
*Ⅱペテロ3:3-7「まず第一に,心得ておきなさい。終りの時に,嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。『主の来臨(再臨の意味)の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか』(=ノアの洪水を否定する)こう主張する彼らは、次のことを見落としています。(原語では,無視しています、の意味)天は大昔からあり,地は神のことばによって,神から出て,水を通してなったのであり、そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。しかし、今ある天と地は,同じみことばによって,火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びのために保たれているのです。」
⑩ 「終りの時」に、主が再臨され、火の裁き,最後の審判があり、『万物の更新』が行われ,信じて従った子たちは,新しい天地に入れられるが,不信仰者は救いを受けない=永遠の裁きを受ける。
⑪  新しい天地は,永遠で至福の、罪も死もない世界である。「子」とされて救われた者は永遠の命に生きる。
3)「世界の罪と混乱が増大するとき」=キリストの救いが近づくとき
●創造主なる神の人類への怒りは、数千年に渡って、これまでも『啓示』されてきた。それは、今回の新型コロナ(疫病)の問題でもあり、今後のさらなる怒りの裁きとなると受け止めなければならない。
例えば、次の記録を見て欲しい。
ペスト:1720年コレラ1820年スペイン1920年コロナ2020年
もっとも、これらの疫病は一年だけで収束していないから、この年だけとは言えない。新型コロナ(コビット19)も2019年末に発生し,2021年まで続くと思える。
 上記の年に何があったかを振り返ると、ペストの時には封建社会が崩壊し、コレラの時にはアジア(モンゴル)からの欧州への攻撃があり、スペイン風邪の時は、第一次世界大戦があり,特にそのウイルスは若い人を攻撃し、(老人は死者が殆どなく)多数の青年の死によって戦争が出来なくなったと言われている。又、今回はグローバル経済と中国の一帯一路・世界進出、地球環境破壊=温暖化と核汚染が最高潮という時期に当たるから、いわゆる「不要、不急」の自粛は、人間が考えた対策となっているが,本当は主からの警告であるかも知れないと、視点を変えなければならない。
●文明論的な視点を避けて、聖書に戻ると、次のことが重要である。
=「聖書は世界中の罪が最高潮になるときに「独裁政治」などによってサタンに支配された者が世界を支配し,教会に敵対し、イスラエルに敵対するとある。」ここが中心となる。
だから、聖書は、このコロナウイルス騒ぎは,「入り口」の一つであり、今後もっと酷い患難が訪れるだろうと教えている。ここで、主のことばを紹介しよう。
*ルカ21:10-11「それから,イエスは彼らに言われた。『民族は民族に,国は国に敵対して立ち上がり、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい光景や天からのしるしが現れます。」同じことが,マタイ24章にも,マルコ13章にもある。
『天からのしるし』については、マルコ13:24.25はもう少し具体的である。
マルコ13:24-25)「しかし、その日、これらの苦難に続いて,太陽は暗くなり,月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます。」
●疫病は序の口で、飢饉、大地震があり、「天変地異」もある。太陽や月にしるしが出て、星が落ちるとなると,コロナの100倍の騒ぎ・恐怖をもたらすのではないだろうか?
しかし、心配は不要!次の26節に全ての解決が書かれている!二章へ

二,『愛による救い、危機からの脱出』
1)「人の子」の到来*マルコ13:26-27)*ルカ21: マタイ24
●マルコ13:26-27節には次のようにある。「そのとき人々は,人の子が雲のうちに,偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。そのとき,人の子は御使いたちを遣わし,地の果てから果てまで,選ばれた者たちを四方から集めます。」他の福音書も同じ記述。
イ)人の子:イエス・キリストのこと。
ロ)雲のうちに:自然の雲よりも、御使いの軍団と考える人が多い。
ハ)選ばれた者たち:イエス・キリストの救いを信じて待つ者=既に亡くなっていた者が先に復活し,生き残っている者も不死の身体にされる。(テサロニケの手紙が詳しい)
これが、「再臨による救いの完成」の最大の区切り、局面と言える。
勿論,それまでに,人々には信仰が必要!
2)大患難のただ中にあって聖徒たちは守られる*マルコ13:19-20)
●キリストが救いに来られるときは、かつてなかったような、今後も決してないような苦難が起きているとき。
*マルコ13:19-20)「それらの日には、神が創造された被造世界のはじめから今に至るまでなかったような、また、今後も決してないような苦難が起こるからです。」「もし主が、その日数を少なくしてくださらなかったら、一人も救われないでしょう、しかし、主は,ご自分が選んだ人たちのために,その日数を少なくしてくださいました。」
●だから、油断せずに、よく気を付けていなさい・・・と言われている。
*ルカ21:34-36)「あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように,突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。その日は,全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。しかし、あなたがたは,必ず起こるこれらすべてのことから逃れて,人の子の前に立つことができるように、いつも目をさまして祈っていなさい。」
3)「人の子の前に立つ」とは?
●それは、言い換えれば「裁きの座に立たず、子として迎えられ、永遠の救いを受ける」と言うこと。
●キリスト再臨後の地球については,聖書には敢えてあまり詳しく書かれていないし、記述が散在している。勿論、聖書の最後である黙示録の21と22章にあるが、私のここ数年の作品は、この2章を題材にして,少しだけイメージを膨らませて描いている。
① 地球は造り替えられる。環境汚染、放射能汚染などは取り除かれ,クリーンな創世の地球に戻されると想像している。(排ガスをもたらす交通機関、工場などはなくなるか?)
② 天から、「天の都」が降りてくる。そこには救われた者は入ることが許される。
 広さは欧州程度だが,平面でなく立体。
③ 天の都には、いのちの水の川があり、その両側に黄金の道があっていのちの実のなる木が生えていて、毎月実を付ける。
➍ 黄金とあらゆる宝石で出来た城壁があり12の門がある。
⑤ 都には太陽も月もなく,主の栄光と子羊が都の明かりである。イザヤ60:19、黙示録21:23)
⑥ 生きものたちは、全て草食になるから、殺し合いをしない。人間も肉食をやめる!?
*イザヤ65:25)「狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、蛇はちりをその食べ物とし、・・・」
⑦ 地球にも最早死がなく、悲しみや叫びがない。
⑧ 軍隊はなくなり,戦争もない。(おそらく警察も病院も必要ない?!)
*イザヤ2:4「主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に,その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」
●イザヤ65:17「見よ。わたしは新しい天と地を創造する。先のことは思い出されず,心に上ることもない。」
イザヤ66:2「―主のことば― わたしが目を留める者、それは,(心の)貧しい者、霊の砕かれた者、わたしのことばにおののく者だ。」
⑨ もはや死もない。悲しみ、叫び、苦しみもない:
*黙示録21:3-4「見よ。神の幕屋が人々とともにある。神は人々と共に住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から,涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も,苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」

三,コロナ以後の世界
1)「天変地異」以外の苦難:患難=人間社会での患難、戦い、罪
●「新型コロナ問題はどうなるか?」少し具体的に考える。
一個人としては,幾つかの予想は出来る。しかし、それは牧師として預言のように書くことは出来ない。「偽預言者」「人心を惑わすもの」になる危険が大だからである。
一番いけないのが、「聖書を解釈する」ことである。それに関しては、次のような重大な警告がある。*Ⅱペテロ1:20-21「ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。預言は,決して人間の意思によってもたらされたものではなく。聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。」
●しかし、現代の教会には、すでにペテロが警告した終末論の「解釈」があり、プロテスタントの半数近い教会で教えられている。その内容は別の機会に書くことにするが、今日は,最低の個人的な予想を、「解釈でなく」、「世界の動きを見るときの目安・注目点」を書いておきたい。

2)世界の動きを見るときの目安・注目点
●次のことを覚えて注目を:
① ファッシズムが台頭するかどうか?今後、この疫病がきっかけで、世界が大混乱すると強権主義を待望する声が確実に増える。民主主義的政治手法でなく,独裁、強権政治を求める声が高まる危険が高い。
② その結果、独裁国家の連合体、あるいは世界政府の動きが加速されると聖書にある「世界的な独裁者の登場」につながる。日本でも,過激な発言の元知事などがテレビの露出が増え、支持も高くなっている。一ヶ月で独裁国家になった国もある。日本は大政翼賛会のようになる危険が高い。
③ もしも、疫病(コロナなど)に加えて「経済的な大恐慌」「大災害や大干ばつ、食料危機」「大地震」なども頻発すると上記の世界の動きとなり、世界的な独裁者が登場する可能性が高まる。
➍ 世界的な独裁者は、コンピューターで人類を管理し、番号を付けない者は売り買いが出来ないシステムを取るとある。(3と4は黙示録13章)今回でも、マイナンバーを使って,国民への見舞金や保証金を出す案が出ている。
*黙示録13:17-18「また、獣は(サタンの支配下にある世界的な独裁者)すべての者に、すなわち、小さい者にも大きい者にも,富んでいる者にも貧しい者にも,自由人にも奴隷にも,その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が現わす数字であるから。その数字は六百六十六である。」
➎ 世界的な独裁者を聖書は「獣」と呼ぶ。それに注目。又、エゼキエル38章にあるゴグ・マゴグと悪の勢力がエルサレムを総攻撃するとある。国の名前も具体的に書かれている。
そのときに,キリストがエルサレムに再臨されるとある。
ダニエル、主イエス、パウロ、エゼキエル,ヨハネが揃って預言、警告している。
●この事は、後日改めて取り上げる。
●祈り

礼拝説教原稿ーA-8 2020年4月12日 聖書箇所:Ⅰコリント13章1-13節泉南聖書教会 大寺俊紀
「最も優れているのが愛」
―復活祭特別礼拝―

はじめに:今週から、教会として大変な時期に差し掛かった。「通常礼拝」を約一ヶ月休止し、幾つかの手段をとり、安全に「礼拝」して戴くこととなった。まず、全員が同時に集まって座り、礼拝すると言うことは避けて、教会内で感染した、そして集団感染したという状況を作らないようにする。それで、①朝10時から録画・録音するのを、集合せず、二階などで分散して聞いて戴く。②録音したデジタル機器の音源を自宅で聞いて戴く、或いは、11時から録音再生するのを分散して聞いて戴く。③録画してFBでアップしたものをPCかスマホで聞いて戴く。④―原状はないと思うが―長期化し、病気入院などとなった人はデジタル録音した音声を自宅や病院で聞いて戴く、の何れかとなる。この事によって、一人一人が守られることを優先したい。
 教会が、何も特別な態勢を取らないで、通常礼拝を行ったために集団感染したという状況は避けたい。
●今日は、私たちにとって、一番大事な復活祭の礼拝の日である。この大事な日が、普通の礼拝も出来ないこの苦しい状況であるが、世界が、この状況を脱することが出来るように、祈りながら進めていきたい。

一,愛があるかないか
1)ある男性の反発
●先日、ある御夫妻宅にお邪魔した。奥さんは約40年前、私がPTA会長だったときに、書記をされた方で、子どもさんも絵を習っていたと思う。近所なので、時々出会い、ご夫妻一緒のことが多いからご主人とも少し話したことがある。
 先週、伝道用の書籍2冊をお届けし、1週間後の再訪問だった。奥さんは、最初エホバの証人のことを質問された。「時々来るから話をある程度聞いている」とのことだった。
●次に、夫君に少し話しかけたが、2分ほどしたらすぐに「やめてくれ」と言われる。「他の話なら何ともないのだが、宗教の話は聞けない」と言われた。そして、「わしは、宗教は大嫌いだ。宗教があるから戦争ばかりする。オウムのような事件を起こす。宗教がなければ、世界は平和になる」と言われ、話しながら興奮してこられた。もう少し話すと暴力を振るいそうなほど興奮してきたので、「議論したくないのでやめます」と言って帰宅した。
 奥さんが、「どうしてクリスチャンになられたのですか」と少し質問してくれたので、罪の悔い改めと主の声があったことを話したが、「とにかく宗教は嫌い、諸悪の根源だ」との断定が凄かった。
●その場で続きを話せなかったが、「宗教があるから戦争になる」「宗教がなければ戦争は起きない。世界は平和になる。」と思い込んでおられる。しかし、第一次世界大戦、日本のアジア侵略とナチスドイツと第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争・・・すべて宗教による戦争ではない。
もっとも、歴史的にはゼロではない、キリスト教の新旧の戦いも一時あったし、イスラム教も初期は「片手にコーラン、片手に剣」と言われた。しかし、ここ数百年、世界的に戦争は絶えないが宗教戦争は殆ど皆無である。確かに、最近ではイスラム過激派のテロやその報復の湾岸戦争もあったが、イスラム過激派は、一部の跳ね返り(過激派)が、「宗教を利用している」だけである。
アルカイダやISのような跳ね返りは、世界のどこにもいる。学校の先生や、警察官でも不正をする者、性的事件を起こす者もしばしばいるが、しかし、一部にとんでもない者がいるからと言って、教師や警官全員を否定出来ない。
●大事なことは、戦争は「殆ど人間の罪によって」起こされ、それは、古代から変わらない。人間の罪が富と支配を求め、謀略を図るのであり、それは明白である。又、そういう悪の支配者は、エジプトでパロを神格化したり、戦前の日本が神格化した天皇を利用したように、権力者は宗教的な様相を加えて人を支配してきた。
2)イスラエルの主に従った王たち
●一方、世界の中で、唯一「天地万物の創造者」を神として礼拝し、その教えに従って国を治めてきたのがイスラエルの王であった。勿論、忠実な善王は多くはなかったが、必死に従ってきた王もいる。
●それは、ダビデを初めとする、創造主に従った王たちである。それは、先ほどの男性から見れば、「宗教的な王」ということになるが、ダビデは、イスラエルに対して教えてきた創造主のことばに従った。そこで、一番大事なことは、その教え=王としての条件は「愛」に立つということだった。
●イスラエルには、モーセの時代から伝えられてきた教えが「巻物=トーラー」として伝えられて来た。その教えは「愛」を土台にしている。たとえば、弱い者、虐げられている者、「みなしご、やもめ、在留異国人などを大切にせよ」という教えである。「強い者の見方にならず、公正な裁きをしなさい」とも教える。諸外国と争い、「領土を拡張せよ」などは一度も言わなかった。当時の中東の最も安定した強い国になったダビデの統一国家時代でも、ただの一度も外国を侵略していない。領土拡張をさせず、たった四国程度の小さい領土を与えた。(但し、偶像礼拝とは戦え、主のみを礼拝せよとは教えた。この事は別に説明する)
●「民を愛し、特に弱い者、貧しい者を愛し、周辺諸国とも協調し、争わなかった・・・ここに「主の愛」があった。三千年前から教えられてきたイスラエルの理想の政治であった。
●私は、先日の男性が、一度で良いから、例えば30分、黙って聖書の中心の教えを聞いて欲しかった。そうすれば、自分がいかに誤解してきたか、知識がなかったかと気付くに違いない。(しかし、冷静に話を聞けない人もおられる。怒りの表情が吹き出してきて、猫に小判ということばが浮かび、続けて話すことは諦めて帰宅した。)
●今日の、特別な形での礼拝=普通に礼拝とは呼べないような特別な形を取っているが、一人一人は、信仰によって、どこにいても主を礼拝し、祈り、みことばを聞いて欲しい。
3)「預言や異言」*1.2節)
●13章は「愛の賛歌」とも呼ばれる章であるが、今日の復活祭に相応しい箇所を与えられたと感謝している。
●最初は、「異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。」1)とあり、2節でも、愛がないなら、「預言の賜物」や、「あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても」、「山を動かすほどの完全な信仰を持っていても」「無に等しい」=意味がないと言われている。
●「異言」とは、人と御使いの差があるとのことだが、そこはわからない。「聖霊派教会」では、人の言葉でない言葉で祈る=御使いの言葉で祈ると言われるが、内容の解き明かしが、ないと意味がない。使徒の働き2章の「聖霊降誕」の記述を見ると、「あらゆる国から来て住んでいたが、・・・彼らは、それぞれ自分の国のことばで話すのを聞いた」とあるので、中東一帯や欧州、アフリカ諸国の先祖の土地のことばで話したということで、例えば、私なら鹿児島県の方言で話す、あるいは、千年以上前の、(欧州や中東から来たとすれば)数千年前の、遠い先祖のことばで話すと言うことかも知れない。
 実際、46才頃に一年通った教会(ペンテコステ派)での祈りは、日本語の方言ではなく、ヘブル語のようなことばに聞こえた。
●それはともかく、46才の時の経験では、イエス様を信じていても、一度もクリスチャンとは認めてくれず、「異言の祈りが出来れば救われていると言える」と言われた。この事に関しては、残念ながら今でも、そういう偏見が残っていて、数ヶ月前にも、異言の祈りをしない福音派クリスチャンが、「信仰が弱い」となじられたと聞いたし、かなり以前だが、ある組織から、福音派のクリスチャン、牧師が追い出されたという残念なこともあった。
●それは、今日の本題ではないので、ここまでにするが、パウロが語りたいことは、「愛がないと、他の何があっても駄目と言えるほど愛が大切」と言うことである。

二,信仰者の愛
1)信仰が守られるか、壊れるか
●人間の信仰には、預言、異言、賜物などの色々な側面があるが、愛がないと、誇りや対立、争い、ねたみなどになることがある。愛がないと、どんな良いものでも意味がなくなり、かえって悪くなると言うことすら起きるからである。愛は決して絶えることがなく、すたれることもない。本当に大切なものである。
●愛の反対は何か、それは、聖書は「罪」だという。ねたみ、怒り、そしり、自己愛、自己憐憫、良く見せたい、大きく見せたい、誇りたい、支配したい、・・・
このような思いが常にあって、「自己愛」が強いと、人と対立する愚かな者となる。他人への思い、愛などは「損失」だと思い、自分に返ることしか考えられない。
●仮に、政治家や色々な立場の指導者の自己愛が強すぎて、他者、社会、人類、特に弱者への愛がないとどうなるだろうか?聖書は、特に国の指導者、上に立つ人々に愛を求めている。
●現在のようなコロナ問題で世界が震撼しているとき、国のトップ、そして医療や厚生省のトップに愛がないとどの様なことになるだろうか。
*例えば、台湾は、「外出禁止令」などの強権を発しないで、コロナの押さえ込みに成功しているという。韓国も一時は危険だったがやはり成功に向かっている。どちらも、検査数は日本の数十倍で、保証もしながら強い要請をしていきた。台湾ではIQが特に高くて、しかも愛のある若い指導者が指揮を振るったと聞いた。韓国のソウルでも、次のように報じられている。(4月5日)
「ソウルは東京と比べ、人口は約400万人程少ないのですが、PCR検査数ではソウルが9万5850件なのに対して東京は3806件と、実に東京の25倍もやっています。それでいて、感染者はソウルが東京の3分の2、死者はゼロという現実をあなたはどう受け止めますか。」
*EU諸国でも、デンマークやドイツなどは、本当に国民全員を守る」という強い姿勢が出ているし、メルケル首相の記者会見も、心からの愛を持って国民に語りかけている。メルケル首相は、東ドイツから来た牧師の娘さんで、平素も護衛なしでスーパーに買い物に行っているとか。(写真参照)国民への目線が愛に満ちていて素晴らしい。
(この点で、日本では心配なことがある。国民への愛を持っているのかどうか、と。)

2)クリスチャン一人一人も
●愛を一番大切にしなければいけないのは、私たちクリスチャンも同じである。最初にも一例をあげたが、教会内でも時々トラブル、対立がある。意見の違いは仕方がないので、その際は、対立しないで、分かれて行動することも聖書が教えている。
例1、パウロとバルナバ:青年マルコを同行させるかどうか、例2,プロテスタントとカトリック:など
●しかし、教会内での分派、対立は厳しく禁じられている。「分派を作る者は、一、二度訓戒した後、除名しなさい。あなたも知っているとおり、このような人は、ゆがんでいて、自分で悪いと知りながら罪を犯しているのです。」テトス3:10-11)
●自分の行動や感情(心)、ことばの中に、高慢や誇り、裁き、そしりなどの罪がないか、私たちはいつも気を付けていなければならない。この自己点検を怠ると、アベルを殺したカインと同じになる怖れが強い。
●一番大事なことは、常に、自分のことば、対応、行動が「愛」なのかどうか、常に点検することである。

三,最も優れている愛
1)愛の極みが十字架
●さて、このように愛の素晴らしさを聞けば、聖書をご存じで無い人ならば、きっと次のような疑問があるだろう。「どこに、そして、誰にそのような完全な愛があるだろうか。そんな完全な愛の人などいるはずがない」と。
確かに、人には無理。どのような偉人、著名人でも必ず欠けがあるはず。だから、「赦し」が必要です。「赦し?」・・・そもそも、なぜそのようなものが必要なのか?
*ローマ3章23-24節「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」
つまり、全人類には欠けがある=罪(的外れ)がある。しかし、人として来られた創造主ご自身である方=イエス様は完全な方である。しかも、私たちを愛して、ご自身の子とするために「身代わりの刑を受けて下さった、それが十字架であり、ローマ3:24にある「イエスによる贖い」とはその身代わりの刑である、となる。
●それは、創造主は完全な方で、罪を赦すことができない=必ず裁かれる。その完全な方というのは、全宇宙が完全な法則によって保たれていること、また私たち一人一人の身体でも理解できる。心臓も、目も耳も、偶然で出来たものは何一つ無く、すべて完全に設計されていることがわかる。私たちは、天体、宇宙も、光も水も、いのちも全て創造主によって創造され、支えられているのである。
●だから、創造主は、人間も罪のない、完全な愛に満ちたものであって欲しいと願われている。しかし、多くは、創造主そのものを否定し、偶像を礼拝する、或いは人間を礼拝する、又は無神論になる。この的外れ(罪)を裁かざるを得ない。しかし、人を愛するが故に、身代わりの人(キリスト)を送って、十字架に付けて、罰を受けて下さった。ここに愛がある。
創造主なる神故に、もっとも厳しい罰を受けてまで愛を教えて下さったのである。
●次の聖書のことばがある。
*ピリピ2:6-9「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げてすべての名にまさる名を与えられました。・・・」
2)神は愛です
●だから、聖書は、キリストは神=創造主の愛そのものであると教えている。
*ヨハネ3:16「神は、実に、」そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものが、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
*1ヨハネ4:9-10「神はひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させて下さいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに、愛があるのです。」

●祈り:
皆さん、今日は大変嬉しい日です。キリストの復活祭ですね。
2500年前の仏陀、1500年前のマホメッド、その他親鸞や空海、日蓮等々、歴史上、沢山の宗教家という方々がおられますが、この中で、唯一「復活された」のはイエス・キリストだけです。又、誕生の千年以上前から、生涯を預言されていて、全てその通りになったのもキリストだけです。それ以外には一切ありません。
 又、復活されたと言うことは次のような大きい意味があります。
1)今も、(それ以前も)永遠に天に生きておられると言うことです。
2)私たちのために罪を背負って死なれたということの保証です。信じるもの全てに永遠のいのちが与えられるということです。
3)仮に、2千年前に来られて色々教えられ、奇跡を起こされても、死んでしまって終りなら、信じる者には何の救いもありません。しかし、復活したとの聖書の記述があるからこそ、救いがはっきりしています。
4)更に、復活されて天に昇られたと言うことは、何度も約束されているとおりに、「再臨」されて、全てお解決、完成させて下さるということの保証です。

これらのことを全て信じ、感謝してお祈りします。アーメン

礼拝説教原稿-A⑦2020.3.15聖書箇所:Ⅰヨハネ1章1~2章2節 泉南聖書教会 大寺俊紀
「罪のための、なだめの供え物

はじめに:今年の新型コロナウイルス騒動は、「主の御心=警告ではないか」と考えさせられる。それは、人類の罪への主の怒り=「主の裁きの近いことが啓示されている」との意味である。最初にこの事を考えたい。

一,人類には裁きが啓示されている
1)『スペイン風邪』=100年前のインフルエンザ・パンデミック
●最初に、100年前のスペイン風邪(インフルエンザ)のことを振り返りたい。
*Wikipedia「スペインかぜは、1918年から1919年にかけ全世界的に大流行したインフルエンザの通称である。アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によるインフルエンザ・パンデミック重度指数(PSI)においては最上位のカテゴリー5に分類される。感染者5億人、死者5,000万~1億人と、爆発的に流行した。
流行源は不明であるが、感染情報の初出がスペインであったため、この名で呼ばれる。当時は第一次世界大戦中で、世界で情報が検閲されていた中でスペインは中立国であり、大戦とは無関係だった。一説によると、この大流行により多くの死者が出て、徴兵できる成人男性が減ったため、世界大戦の終結が早まったといわれている。」
「当時の世界人口は18~20億人であると推定されているため、全人類の3割近くが感染したことになる。感染者が最も多かった高齢者では基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層では大量の死者が出ている。日本では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡し、アメリカでも50万人が死亡」
●第一次世界大戦は,人類史上初めて兵士以外の民間人が徴兵されて,兵士として戦争に駆出された。その罪・愚かさを教える為にこのインフルエンザが用いられたと受け取ることが出来る。インフルエンザの死者(5000万人以上?)は戦争で死んだ人(1500万人?)より多かった。
●今回(伝えられているとおり)武漢が発祥地であるとすれば、その地が全中国での教会破壊のモデル地区であり,50前後の大教会が破壊され、指導者が逮捕されていたことと関連するかも知れない。又、経済的につながりの強い日本と韓国以外では、遠いイランとイタリヤに集中していることが、『一体一路』路線への警鐘と受け取ることも可能であろう。これは、陸路と海路一帯になって、中国が中東、ヨーロッパ、アフリカへの進出を図っていること(世界支配?)への警告かも知れない。陸路は、シルクロードの再現との意味で,イランやイタリヤに中国が大進出して、中国人が多数滞在していることから、その両国での発生が極端に多く見られる。
 更に言えば、イランを中心に中東全体もパニックに陥っており、中東の紛争が治まって
いる状況だと聞くから、それも主のご計画の一つではないかと思えてくる。
2)日本人の一番恐れなければならないこと:
●色々な専門家の知見を見ていると、次のものが目を引いた。
「完璧なウイルス」「新型コロナは『三種類の感染受容方法』を持ち、増殖するための酵素を『8種類利用できる』おそらく史上最強のウイルスであることが判明。これにより治療薬の開発は不可能である可能性が高まる」(In Deep)とも言われている。
●上の情報は、新型コロナがウイルスとして完璧な強さを持っていることを警告しているが、日本人が一番恐れなければならないのは、『南海トラフや首都直下型大地震が起きて、+ウイルスも蔓延する』ことであろう。その場合、避難所は最も危険な場所となり、逃げる場所はなくなる。もはや何も手段がない。
●日本では、ウイルス+大地震、台風被害+原発事故という悪魔のシナリオがあるから、本当に心から謙り、政治の間違いをしっかりと抑え、主の守りと再臨を祈るしかない。
3)一番怖いウイルス・パンデミックとは
●私たちは,ウイルスによるパンデミックというと、強烈な毒性のあるものをイメージしやすいが、実はそうではないらしい。本当の恐怖のウイルスは、①風邪のように症状が軽く見える。②感染性が高い③致死率が低い④感染しても発症しないか軽症=「普通に考えれば危険には思えない」性質を持つ、この性質がそのまま「現代文明の脅威となる」ということ。
新型コロナウイルスは複数の感染受容体(ウイルスが感染するために必要なもの)を持つ
新型コロナウイルスは複数のプロテアーゼ(ウイルスが増殖するのに必要なもの)を持つ
ことがわかりはじめているとのこと。
「受容体」と「プロテアーゼ」というのは、大ざっぱにいえば、以下のようになる。
・受容体 → ウイルスが細胞に入るために必要なヒトの細胞表面にある酵素
・プロテアーゼ → ウイルスが細胞内で増殖するために必要な酵素」
●上の資料は少し専門的であるが、今回のウイルスは,感染に必要な受容体も,増殖に必要なものも「複数」ある。同時に、上の四つの特徴こそが脅威となるらしい。薬も出来ず,免疫も出来ず,再発も起こり、結局「手に負えない」ことになっていく。解決の目処が立たないのかも知れない、とのこと。これは、生物兵器として開発したが故の脅威かも知れない。
(武漢には生物兵器研究所がある)
4)患難への心構え*マタイ24章)
●私たちは、新型ウイルスにだけを恐れるのではなく、他のことも聖書から学ぶことが大事である。まず、マタイ24章には「疫病」を含む終末の患難についてのことばがある。
① 3節で、弟子たちが「世が終わる時のしるしは、どのようなものですか」と問う。
この「世の終わり」というのは、全人類が滅ぶ,地球もなくなるということではなく、「大きな区切りが来て,今の世界の大勢が終り、新しいものになるとき」との意味である。
② 「新しいもの・世界」になるときは、そこに入れて戴くためには、創造主キリストの救いを受けた者でないといけない。
③ ニセキリスト(5)、戦争(6)、「民族は民族に,国は国に敵対し」、「飢饉と地震」が起きる。*ルカ21章では「大きな地震、飢饉、疫病が起こり、恐ろしい光景や天からの大きなしるし」ともある
「疫病」が書かれている上に,天からのしるしもあり,太陽や月に大きな変化が起き、星の落下もあるだろう。このことを知っておき、動揺しないことが必要。
④ 「もし、その日数が少なくされないなら,一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために,その日数は少なくされます。」
⑤ ここで、一番警戒しないといけないことは24節の「偽預言者」による、「大きなしるしや不思議を行う」ことである。それは、「選ばれた者たちを惑わそうとして」行うからである。世界中が,大患難の災害におののいているときに,大きなしるしや不思議を行うのだから、多くの人は驚き、盲従するに違いない。=反キリストの策動!
その後のことは、皆さんよくご存じの通り、「キリストの再臨」であるが,その前の患難は耐えなければならない。信仰を持ち、キリスト再臨を待ち望み、その前の患難に耐え忍ぶ者たちは集められるからである。●二章からはⅠヨハネ1章に進む。

二,神は光であり、闇がない*1ヨハネ1章)
1)永遠のいのちを見たヨハネの証し*1:1-4)
●2節にある「このいのちが現れました。御父とともにあり,私たちに現れたこの永遠のいのちを,私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。」とのことばは、ペテロが書いた次のことばと同じである。
*Ⅱペテロ1:16「私たちはあなたがたに,私たちの主イエス・キリストの力と来臨を知らせましたが、それは,巧みな作り話によったのではありません。私たちは,キリストの威光の目撃者として伝えたのです。・・・」
ヨハネとペテロの証言は次のことを教えている。
*マタイ17:1-3+5)「それから六日目に,イエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて,高い山に登られた。すると、弟子たちの目の前でその御姿が変わった。顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。そして、見よ,モーセとエリヤが彼らの前に現れて,イエスと語り合っていた。・・・「彼らがまだ話している間に、見よ,光り輝く雲が彼らをおおった。すると見よ。雲の中から『これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼らの言うことを聞け』という声がした。」
今日の聖句の確かさ,ヨハネもペテロと共にイエス様の真の栄光のお姿を見せていただいていることにある。そのお姿は「光そのもの」の栄光の輝くお姿だった。「だから、あなたがたも、私たちが見せていただいたイエス差様の真実を信じて,そのことばに従って下さい」との意味である。
●ヨハネは、2節のことばに続いて、あなたがたも私たちとの交わりを持つようになることを勧めますと伝えて下さっている。それは御父また御子イエス・キリストとの交わりである。それは、私たちの喜びが満ちあふれるためですとある。
又、ヨハネが私たちに伝える使信は、「神は光であり,神には闇が全くないということ」である。それは、ヨハネが,ペテロたちと共に,主イエスが光り輝く姿をとられ、光そのものであることを知られたからである。
2)私たちが闇の中にいてはいけない*5-7)
●「神は光であり,神には闇が全くない」ということは、私たちにも闇があってはいけない。闇は光と一つになれないからである。
●私たちが神、キリストとの交わりがあると言う、あるいは交わりを望むなら,私たちに闇があることは許されない。
勿論、私たちが、「神が光の中におられるように,光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持つことが出来、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめて下さる」るのだが、
残念ながら,「生まれつき一切罪がない」という人は一人もいない。
罪がないという人は、「自分を欺いており、私たちのうちに真理はありません。」*8)
3)罪の無い人はいない*1:8)
●御父とキリストは光であると教えるヨハネは、その栄光の光と比較しての人間の罪深さを指摘する。「もし、自分には罪がないというなら,私たちは自分を欺いており、私たちのうちには真理はありません。」*8)
●先週の例にもある通り、クリスチャンであり、社会的に大成功している人が、(成功しているが故に?!)クリスチャンの仕事の仲間(関係者)を迫害する例がある。学者、研究者でも、徒党を組んで歴史あるキリスト教の立派な団体(創造の働きをしている団体)を乗っ取る、あるいは、教会をカルト化して信徒や家族を迫害する例も見てきたが、このような聖徒・指導者の罪は,大きなつまずきをもたらし、とりわけ厳しく裁きを受ける。
●そこまではなくても、一番多いのが「クリスチャンの高慢」の罪である。熱心に立派に働きてきたとの誇りが出ると,高慢の罪になる。だから、次の二つに気を付けて欲しい。
(1)「白い御座の裁き」:マタイ25章31-45節の羊とやぎを分ける裁き(キリストの御座による裁き)では、「真実の愛」を問われる。
羊とされた者は,右に置かれ、「あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え,渇いていたときに飲ませ,旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。」と言われる。
そう言われた者たちは、イエス様にそのようにした覚えがないと言うと、
「・・・これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」と答えられる。
そして、左に置かれるやぎとされた者に対しては、「わたしに、それらのことをしなかった」ことが理由だと言われる。
これは、ことばだけでなく、「真実の愛の行動」の有無を問われると言うことである。信仰だけあれば、行いは必要ないとの教えはやぎの教えとなる。
(2)「父のみこころを行う者」:マタイ7章21-23節のことばも、クリスチャンが気を付けないといけない警告である。
「わたしに向かって、『主よ,主よ』という者がみな天の御国に入るのではなく,天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』」
このことは、『間違った聖書理解、解釈と指導』を行う者への警告である。いくら熱心でも、聖書の教えから離れた人間的な解釈、神学は的外れとなる!高慢があれば、最悪!
先ほどの例にあったような,他のクリスチャンを否定・迫害する,攻撃する,乗っ取る、自分を誇るなどは決してあってはいけない。

三,御座の裁きに耐えられる者は?
1)私たちは羊の資格はないとの謙りを、
●最後に,私たち自身の罪をしっかりと知り,罪の赦しを受けることをお勧めしたい。
殆どの日本人は,『自分は犯罪を起こしたことがないから罪人ではない』と考える。しかし、私たちに『老・病・死』があることが罪と裁きを教えておられる。また、キリストの最後の審判があることを聖書は教え、その時、全ての人は「羊かやぎ」の何れかとされる。
真の光の前に出たときに,私たちの全てが明らかになったとき,その光に耐えられる人はいない。それは、みな「やみ=罪』があるためである。そのことをしっかり認めて欲しい。
そして、過去の的外れ(罪)の悔い改めをして欲しい。
悔い改めの祈りをすれば、必ず赦されるから。それがキリストの十字架。
2)クリスチャンの罪の原因
●クリスチャンも,罪の性質が残っているために,信仰を持ってからも尚,罪を犯しやすい。特に『高慢』な人ほど多い。それが、マタイ7章21-23節の罪である。
「自分の信仰や行いを誇る」これほど愚かで惨めでもったいないことはない。そして周囲は眉をひそめる。
 それは、日頃のことばや態度、祈りのことばにも出る。へりくだり、静かに感謝することが出来ないで、どこかで偉そうな言動となる。それは周囲を躓かせ、本人の実りは少ない。
3)罪の赦し
●クリスチャンでない人も、既にクリスチャンとなれた人も、『罪の赦し』を受けることができる!これが朗報である、よい知らせ=福音である。
●ヨハネの手紙1章の最後の9節のことばは,2章1,2節に続く・・・
*「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら,私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく,世全体の罪のための宥めのささげ物です。」
●お祈り

礼拝説教原稿-A⑥2020.3.8聖書箇所:Ⅰペテロ2章1-10節泉南聖書教会 大寺俊紀
「純粋な,霊の乳を慕い求めなさい」

はじめに:私は、毎年どこかの時期に絵の制作の時間を多く持つが、今年は2月に2週ネット礼拝、信徒説教、外部講師とお願いした。会計書類や法人関係の種類などにも時間を取るが,2月後半は5月の京都市美術館でのGe展の出品の準備をし,11月の市民ギャラリーでの展示にも使うことになる。しかし、ここ一ヶ月は新型コロナウイルス騒ぎで,無関心ではおれず,教会としても対応を疎かに出来ない。礼拝では、マスクを付けることも教会を守る為でもあり、是非全員が守って欲しい。韓国では殺人の罪で告訴された。

一,生まれたばかりの乳飲み子のように*2)
1)クリスチャンの高慢の危険性*1)

●先月、ある方のFBラインのことばが気になったので、「どうされましたか」とメールを送ると,「電話しても良いですか」とあり、応答すると,「大変な迫害を受けた」ということだった。仕事の応援ということで、仕事を辞め,住居も変えて移転したのに、仕事の内容にとんでもない高慢なところがあったので指摘すると反撃され、生活できなくなり,別の仕事を探して別の職場に就職したとのことだった。
●仕事上のことも酷いが、信仰面で、「異言の祈り・預言」に関して「信仰が駄目だ」と非難されたとのことだった。約20年前に、ある伝道師も、別の教派からの圧力で献身していた団体から追放され,家族も通っていた教会がカルト化して、大変な迫害を受けるということがあり、私たちは祈り、励ましてきたが、(ここ5,6年祈りが聞かれて,この伝道師は諸問題が解決された)、二つの迫害、攻撃はどちらも「信仰者の高慢」から来たものである。
●最初に紹介した方が受けたものも,次に書いたものも、どちらも、プロテスタントでありながら、「私たちには特別な賜物があり、それを持たない者は劣っている」と決めつけて迫害・攻撃する。社会的に生活できないように,家族を引き裂くこともするのだから、どちらも「カルト」攻撃であるが、「信仰者の高慢」は重大な罪を犯すことになる。
●伝道師が排斥された迫害は、元々素晴らしい団体に献身し、それを発足させたのは,医師・科学者・牧師である方で、直接お話ししても、大変穏やかな人格者であったが、既に数十年も働かれ,書籍を執筆され、ビデオ(今はDVD)も多数発行されている。しかし、会長親子や副会長が自分たちの派ではないからと,同じ派の仲間と相談して役員会を乗っ取り,団体名も変えて、功労のある会長親子,副会長らは出席出来ないように追放されたのだから、大変な迫害である。
●この場合、自分たちが正しいというのであれば、一から,自分たちだけで別の組織を作れば良いのに、既存の歴史ある立派な団体を「乗っ取る」。これは、今話題の韓国の異端も同じ。結局クリスチャンと教会に打撃を与える働きとなるから、100%イエス様の働きでない。
2)悪意、偽り、偽善、悪口*1)
●上に具体的に書いたことは、残念ながら全て「クリスチャン」を自称する人からの攻撃(迫害)であるから、本当は絶対にあってはいけないことである。しかし、人の高慢がそれを起こす。
●教会に来る人は、最初は、「クリスチャンは皆良い人ばかりで、悪意のある言葉、偽り,悪口などは一切ない」と期待されると思う。実際に時々大変なトラブルが起きること、悪口を聞くことなどがあると、それがきっかけで失望して教会に来なくなる人もいる。大変残念であるが、そうして「人をつまずかせる」人が時々いる。
●イエス様も,「人をつまずかせる者の罪深さ」を警告されている。
*ルカ17:1「・・・つまずきをもたらす者はわざわいです。その者にとっては,これらの小さい者の一人をつまずかせるより、ひき臼を首に結び付けられて,海に投げ込まれるほうがましです。」
●●ここで、皆さんに心に決めておいて欲しいことがある。それは、「自分は人を裁かない,そしる、非難することをせず、高慢にならない,つまずきを与えない、全てイエス様に委ねる。」と言うことである。
しかし、これは、次の理解がないとすぐに崩される危険性もある。
① 人は,罪があるから、(クリスチャンでも)間違いや失敗をする怖れがある。しかし、私たちは、それを監視して是正させようと考え,批判の言葉を出すと,自分が間違いを犯す危険が高い。だから、「全てをイエス様に委ねる」ことをして欲しい。もし、良くないこと、不正があるならイエス様は全部ご存じで,正しく裁きもされるから委ねる。
② 又、教会では,「人をつまずかせる人もいる」ことがある。
③ だから、「自分はつまずかない」ように前もって決めておく。「つまずきを与える人がいても,自分はつまずかない」と決めておく!
その為には、少し理解できないことがあっても,自分で裁かないとする。
例:私が40才代の後半、堺の教会に行ったとき、毎回大変腰が低く、きちっとやさしく挨拶してくれる年配の方がいた。(執事の一人,あとで聞くと大会社の重役さんだった。)毎週、同じだった。しかし、同じ執事でも、一回目だけ挨拶し,二度目からはふんぞり返っていて、挨拶しても知らぬ顔だった。~「こういう方もおられる。彼を裁いて,怒らない」と決めた。
その後も、教会の混乱、牧師への批判などがあり酷かったが,それも主にゆだねて自分は批判をするとか,争わなかった。そして、攻撃を受けて苦しんでいた人を助ける働きをした。
●クリスチャンが気を付けること:自分のどこかに「高慢」があると,すぐに疑い、批判し、裁いてしまうこと。これが最も危険!
例:すぐに事情が理解できないことがあると,反発し,大声で非難する等感情的になる。
最大の解決方法:すぐに疑問を出したり反発せずに,少し間を置いて,落ち着いて説明を聞く・・・これをいつもしていると混乱したり,感情的になって、皆をつまずかせることはなくなる。
3)「悪意、偽り、偽善、悪口」を捨てなさい*1)
●これは決して近寄らないこと!これは、大変な罪=高慢、反乱、不従順、派閥抗争=になるから。いつも心がけておくように!
●この事でも,私の経験、決意を話すので、学んで欲しい。
① 私は,クリスチャンになって、「決して人を誹らない=誹謗をしない」と決めている。
 少し疑問に思うことがあっても、全てをご存じの主に委ね、間違う怖れがあるから他人を批判しない。=イエス様が裁かれるから委ねる,これが一番大事。仮に不正があっても,自分で争わない。
② クリスチャンになった私は,1円でも不正をすることは出来ないから,他のクリスチャン(教会)のことも疑わない。少し疑問に感じても,批判して高慢の罪を犯さない。
③ 洗礼を受けた後の「総会」で、一つだけ意見を言ったことがある。(前年度参加者がゼロだった伝道会を工夫してはどうですか?と~昨年度と同じ案が出されていたので、)
役員会で「生意気だ」と非難されたとのこと。それで「やらしてみろ」と言われて,展覧会と講演会(二度)、コンサートと4回もしたが参加者が大勢あり、驚いていた、ということがあったが、私は提案しただけで批判したのではない。以後何も発言せずに、独立に向かった。この4回の活動が評価されたから,翌年に独立が承認されたと思う。
④ 政治の世界の野党のように、批判的な目で見て発言すると、高慢の罪を犯しやすい。信じて疑わず,仕えるという姿勢がないと、「悪意、偽り、偽善、悪口」に陥る危険。

二,成長して救いを得るため*2)
1)「生まれたばかりの乳飲み子のように」*2)

●私たちが成長し,救いを得るために(失わないために)必要なことは、「生まれたばかりの乳飲み子のように,純粋な,霊の乳を慕い求めなさい,それによって成長して,救いを得るためです。」とある。
「純粋な,霊の乳」とは、イエス様の聖霊に導かれること,みことばに従うこと、人間的な考えで,批判したり、争ったりしないで、祈り、支え、黙って役割を果たすことであろう。」
先ほども書いた私が洗礼を受けた教会では,牧師批判が激しく,遂には解散に追い込まれた。攻撃してきた人は,「牧師が悪いからだ」と思っているだろうが、私は,病に倒れた牧師を励ましたいと思い、独立した後には、三年間支援をさせて戴いた。創造論伝道師の時も同じ三年支援したが、それが聖書の教え、イエス様の喜ばれることではないかと思う。
2)主に学ぶ*4)
●世の中,どこの世界でも言えることは,「本当に立派な人は決して自分を誇らない」ことで、それは医師、学者、芸術家、実業家から、身近にいる職場の労働者でも同じである。それは、「中途半端な人ほど自分を誇り偉ぶる」ことで、一般社会では常識だろう。
●しかし、この「負のスパイラル」をクリスチャンは断ち切らなければならない。
「自分は沢山献金をした」「沢山奉仕をしている」「ところが教会や牧師はどうか」、との批判姿勢が激しくなると,とんでもない「高慢」の罪を犯していることになる。
疑いの目で見て,すぐに大きな声を出し,不満を出す。
「理解できなのなら,まずは静かに聞く」これが鉄則である。
例)25年ほど前、アメリカの大学生が三ヶ月間私の家に滞在して奉仕をしてくれたが、シカゴ大学の学生は、一度も不信の声を出したことがないスーツケースも最小限の荷物。~こちらの意向をすぐに理解する。ところが、某私立大学生は,色々不信感や疑問の声ばかり出していた。「その人は理解できないから不満の声が出る」のだとわかった。彼女は通常の2倍の荷物を持って来ていた。未開の国(昔のアフリカ)に来るように,何もかも持参。
3)主はいつくしみ深い方*3-7)
●「純粋な,霊の乳を慕い求める」=「いつも、謙虚になり、初心に帰る」このために、クリスチャンの私たちに備えて下さっていることがある。
 私たちの悪・罪へのブレーキは、普通は「良心」や他人の目だけであるが、私たちクリスチャンには「全てをご存じの創造主の目」と「キリストの模範」がある。
今は税金の申告の時期であるが、一般にはこう言われる。「自営業の人の必要経費などは全く信用できない。嘘が普通だ」と。又、次のような話も聞いたことがある。「文具店の店主は,学校の先生が来ると嫌な思いをする」。それは、「公的な買い物に個人の品物を混ぜて、一緒に領収書を切らされる」からだ、と。
実際に、お金・会計というのは、ずるくすればごまかしや公私混同は、殆どの人は普通のことで簡単かも知れない。しかし、クリスチャンになると一切出来ない。特に,創造主をしっかり信じていれば、一円もしない。全知全能の方が見ておられるからである。
●他人を裁くこと,悪口を言うことも同じである。
私たちの心を全て見ておられ、言葉が口に出る前からご存じの方だから,私たちが心で裁く,非難する、悪口を言うなどは出来なくなる。もしそれをすれば,高慢の罪を犯すこととなる。
●主のいつくしみを知ること:キリストの模範*3)
3-5節には、主がいつくしみ深い方であると書かれている。そして、「主のもとに来なさい」とある。
又、「あなた方自身も生ける石として霊の家に築き上げられ」*5)なさいともある。
それは「聖なる祭司」となるためである。
キリストの模範としては、ご存じの通り、キリストは「創造者であり、審判者でもある」方なのに,へりくだって私たちの罪を背負って,身代わり刑を受けて下さった。
ひとことも抗議をせず、黙ってむち打たれ,十字架について下さった。そこまでへりくだって模範を示して下さったのである。それは、私たちを愛し,慈しんで下さっているからである。そのことを感謝し,救いを信じて受け、従う、これこそが求められていることであり、今後の歩む模範である。このイエス様に従ってこそ、「霊の家に築き上げられ」聖なる祭司とされるのである。
 イエス様は,不当にも自分を逮捕し,死刑を執行する愚かな人間に黙って忍従された。

三,神の民とされているのだから
1)怒り・裁きは自分を愚かにする

●聖書には「怒ってはいけません。主にゆだねなさい」との言葉が多い。
*箴言12:16「愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。」同19:11「思慮があれば,怒りをおそくする。」同29:8「知恵ある人々は怒りを静める。同29:11「愚かな者は怒りをぶちまける。」同30:433「怒りをかき廻すと争いが起る。」 
*ローマ12:19「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。『復讐はわたしのもの。わたしが復讐する。』主はそう言われます。」ヤコブ1:20「人の怒りは,神の義を実現しないのです。」
*エペソ4:26「怒っても,罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。」=怒りを翌日に持ちこすと罪を犯すことになる。
2)全てを主にゆだねる
●クリスチャンになり、一番大事にしたことの一つはこの,『怒らず、主にゆだねる』ことである。これが出来ないと争い、裁き、罪を犯す。クリスチャンによる裁きは一番醜い。
精神病、神経症の80%以上が、怒り裁きから来るとある。怒りを委ねることが出来ると、罪を避け、自らの苦しみも消える。
●『高慢』があると怒りになる。「クリスチャンによる裁きは一番醜い」=これは、時々聞くことがある。夫婦お互いに御言葉で裁く=『聖書にはこう書いてある・・・』これは、まるで、マタイ4章の主の荒野での試練での,サタンとのやりとりそっくりとなる。
 私が30年ほど前の教会に行き始めた頃のことを先に書いたが、『何があっても人を裁かない』と決めていたから、怒りは起らず、少しおかしいと思っても,怒らず、主にゆだねた。イエス様は全てご存じであり、委ねるしかない。『自分で何かをしよう,良くないことを改めさせよう・・・』などと思うときには、既に顔には高慢が溢れて不信のことばが出る。それを見る周囲の人は皆嫌になる。怒りからは何も生まれない。
3)今は王である祭司・・・9-10)
●9節を見て欲しい。聖書はなんと言って下さっているか?!
*2:9-10「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民(クニタミ)、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から,ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。」
●ここで、大事なことは、この素晴らしい恵みを「誇らず、へりくだって仕えること』
●ディスペンセーション理論では、必ずキリスト再臨後に『千年王国』が来て,そのときにクリスチャンは『王、祭司』となると言われている。しかし、この解釈が正しいとは限らない。もう一つの考えー「イエス様が来られて,既に千年王国が来ており、既に私たちが王、祭司とされている」と、捕らえることも可能である。どちらとも断定しないで、どちらでも良いように準備しておくことが必要である。
●黙示録20章のいわゆる『千年王国』では、悪魔は千年の間縛られ,これ以上、諸国の民を惑わすことが出来ないが、最後にしばらくの間解き放たれて,地の四方の民(ゴグ・マゴグ)を集めてエルサレムを包囲する。(天からの火で焼き尽くされる)
ディスペンセーション理論の千年王国はキリスト再臨後で、キリストと王であるクリスチャン(大変な数)が支配している地上で,再びゴグ・マゴグが登場するのがおかしい。
しかし、今の教会時代が千年王国とすると、その終りにゴグ・マゴグの登場は自然である。現在既に悪や独裁者の支配する国家が多く,連合してイスラエルを攻める準備がされている。
●大事なことは:私たちは、この時代(福音時代か、千年王国時代か)にあって、すでに『王と見て下さり、祭司として下さっている』この恵みを感謝して伝えることが大事だと言うこと。キリストの祭司は,裁いたり、怒ったり,争ってはいけない。謙り、愛を持って仕えるのがキリストの祭司の礼拝であると教えておられる。

●祈り

礼拝説教原稿-A⑤2020.2.2聖書箇所:エレミヤ24章1-7節 泉南聖書教会 大寺俊紀
「良いいちじくにしよう」―主は見ておられる―

はじめに:今日も、18-23章の概要を振り返ることから始めたい。主はエレミヤを通して御心を示し,悔い改めなければ北方からの攻撃が避けられないことを繰り返し教えたが、頑ななユダは,聞けば聞くほど心を閉じ,そして反抗し,主のことばを伝えるエレミヤを迫害する。エレミヤに近寄って聞き、主のことばを恐れ、従おうという者は殆どいない。しかし、このユダの頑なさは,私には人ごととは思えなかった。日本人全体に言えるし,クリスチャンにも通じること、私たちにも言われていることではないかと気付かされた。だから、私たちも,昔のこと,他人事と思わず,自分にも符合することが多いのではないかと考えて聞いて欲しい。

一,立ち返るなら・・・*18)

1)陶器師の器のたとえ*18章)
●今の朝ドラでは陶器師が主人公になっているので、この18章のたとえはわかりやすいと思う。私も,大学で陶芸を受講したことがあり、愛知県の常滑の陶芸工房で暫く滞在して制作したこともあるが、陶器師が扱う粘土は、どんなに丁寧に作っていたものでも、上から力を入れるとグチャッとなって,瞬間に元の粘土の塊となる。そして、又次の器などに造り替えられる。陶器師が気に入るまで,何度でも造り替えられるのである。
●それと同じように、我々人間も,創造主の気に入らなければ,元に戻され,造り替えられる,そのことを知って置く必要がある。イスラエルの民も、粘土が陶器師の手の中にあるように,主の手の中にある。だから、「引き抜き、打ち倒し,滅ぼすと言ったそのとき、もし、わたしがわざわいを予告したその民が立ち返るなら、わたしは下そうと思っていたわざわいを思い直す。」18:8)と「希望のメッセージ」として与えられているのである。

2)ベン・ヒノムの谷で*19章)
●ベン・ヒノムの谷は、7章では,主は「虐殺の谷」と呼んでいる。高きところを築き,幼児虐殺をした場所である。19章ではエレミヤは民の長老たち、祭司たちと共に、この場所に行き,主の怒りの裁きを伝える。
●ここでは、陶器師の粘土と違い。すでに焼かれた器のように、砕かれると二度と直すことは出来ない,それほどの徹底した裁きがあると叫ぶ。その後、主の宮の庭に立ち、民全体にも裁きを宣言する。*14-15)

3)つかさ、監督・祭司のパシュフルによる迫害*20章)
●パシュフルはエレミヤを打ち、彼を主の宮にあるベニヤミンの門にある足かせにつないだ。(身体をねじらせたままで固定する用具)エレミヤは、翌日に足かせを解かれたときに彼に言った。「主はあなたの名をパシュフルではなく、『恐怖が取り囲んでいる』と呼ばれる。まことに主はこう言われる。見よ。わたしはあなたを、あなた自身とあなたの愛する者にとって恐怖とする。彼らは、あなたが見ている前で、敵の剣に倒れる。また、わたしはユダの人すべてをバビロンの王の手に渡す。彼は彼らをバビロンへ引いて行き、剣で打ち殺す。」
 このあと、ユダの王たちの財宝は敵に渡され、パシュフルも,その家の者全ても捕らわれてバビロンへ行き,そこで死ぬことを告げられる。
●このような厳しいことばを出さなければいけないエレミヤは苦悩する。もう、伝えたくない,語らないと思っても、主のことばがエレミヤの心の内に閉じ込められて,内にしまっておけなくなる、との苦悩のことばを出す。*9)

二,王がエレミヤに遣いを送る*21章)

1)とうとうゼデキヤ王が遣いを送ってくる*21:1-2)
●エレミヤのことばに反発して迫害する祭司や監督もいたが、「遂に!」エレミヤの元にゼデキヤ王からの遣いが来る。何故、そう変わったか?
エレミヤのことば通り、バビロンのユダへの攻撃が始まったからである。
*21:2「どうか、私たちのために主に尋ねてください。バビロンの王ネブカデネツアルが私たちを攻めてきています。主がかつて、あらゆる奇しいみわざを行われたように、私たちにも行い、彼を私たちのところから引き揚げさせてくださるかもしれませんから」と言ったときのことである。

2)エレミヤのこたえ*21:3-)
●エレミヤは主のことばを伝える。
①主はこう言われる、「わたしはあなたがたが手にしている武具の向きを変え、それを集めてこの都のただ中に向ける。」4)
②「わたし自身が,伸ばされた手と力強い腕を持って,怒り、憤り、大いなる激怒を持って、あなたと戦う。」5)
③「この都に住むものは,人も家畜もわたしは打つ。彼らは激しい疫病で死ぬ。」6)
➍「ユダの王ゼデキヤとその家来、また、その民と、この都で疫病や飢饉から逃れて生き残った者たちを,バビロンの王ネブカデネツアルの手、敵の手、いのちを狙うものたちの手に渡す。・・・あわれみをかけない。」7)
⑤ 「この都にとどまる者は、剣と飢饉と疫病によって死ぬ。」しかし、「カルデヤ人に降伏する者は生き」る。9)
⑥ 「見よ、わたしはあなたに敵対する。」13)
●主の裁きの説明:(繰り返し)22章)
●エレミヤは,主から、「ユダの王の家に下り、つぎのことばを語れ」と言われる。
① 「公正と正義を行い、かすめ取られている者を,虐げる者の手から救い出せ。寄留者、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また、咎なき者の血をここで、流してはならない。」
② ユダ王シャルムには、「彼はこの場所から出て行って、二度とここには帰らない。彼は引いて行かれた場所で死に、再びこの地を見ることはない。」11-12)
③ ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムについては:「彼はエルサレムの門の外へ 引きずられ、投げ捨てられて、ろばが埋められるように埋められる。」19)
④ エホヤキムの子エコンヤ(エコヌヤ)は、「あなたが生まれたところではない、ほかの地に放り出し、そこであなたがたは死ぬことになる。・・・この地に決して帰らない。」27)

3)「残りの者」*23章)
●ユダの王たちは、一人一人その運命まで語られる。又、イスラエルの民を牧する牧者たちへの厳しい裁きもある。その理由は、「あなたがたはわたしの群れを散らし、これを追い散らして顧みなかった。見よ、わたしはあなたがたの悪しき行いを罰する―主のことば―。」
●しかし、その一方で「残りの者」があることも教える。彼らは、「わたしが追い散らしたすべての地から集め,元の牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んで増える。」3)とある。

4)ダビデに一つの若枝を*23:5)
●「残りの者」とは、「捕囚から逃れる者、エルサレムに残る者」ではなく、その逆である。捕囚を受け入れ、追い散らされた地から集められ、元の牧場に帰らされる者たちであり、主が、その彼らの上に牧者たちを立てて,彼らを牧させる,と言われ、(4節)さらに、「―主のことば―そのとき、わたしはダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この地に公正と義を行う。」とある。
「ダビデに一つの正しい若枝」は、旧約聖書ではダビデの子孫の若枝はキリストを教えているが、捕囚後に帰らされるユダの指導者たちの中にも、主が送られる指導者たち、預言者たちがあることを示唆し、聖書も、捕囚からの帰還後の指導者たちの活躍を記録している。(エズラ記、ネヘミヤ記)。
●それが、16章14-15で一度言われた「北の地や,彼らが散らされていた全ての地から上らせた主は,生きておられる」と言う時代であると繰り返される。
●9節からは、預言者、祭司たちの汚れ、サマリヤの預言者たちのごまかし、バアルによる預言をしかり(11.13)、「彼らは主の御口からでなく,自分の心の幻を語っている」14)「わたしはこのような預言者たちを遣わさなかった」21)と続く。

三,悪いいちじく、良いいちじく*24章)

1)良いいちじく*24:1-)
●24章1節は、遂にバビロン捕囚がなされた直後の主のことばであるが,「二かごのいちじく」が神殿の前に置かれた。
●非常に良いいちじくは,初なりの実のようで、もう一つのいちじくは非常に悪くて,食べられないものであった。
良いいちじくとは、「この場所からカルデヤ人の地に送った捕囚の民を、この良いいちじくのように見なそう」5)、「わたしは,彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。彼らをこの地に帰らせ,立て直して,壊すことなく、植えて、引き抜くことはない」とある。更に、「わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてを持ってわたしに立ち返るからである。」7節)

2)悪いいちじくとは*8-10)
●21章1節で9節でも言われていた。「この都にとどまる者は,剣と飢饉と疫病によって死ぬ。出て行ってあなたがたを囲んでいるカルデヤ人に降伏する者は生き,自分のいのちを戦勝品として得る。」
先の日米大戦では、多くの戦地で,軍人が「敵側に降伏してはいけない。最後の一人まで戦え」と命じられていたと聞く。しかし、それを命じた将校たちは,戦後日本に戻り,再び自衛隊の幹部になった者が多い。沖縄戦争では、県民に対しても同じ命令が下され,多くの島民、女性や子どもたちもいのちを捨てさせられた。命令は,国のため,天皇陛下のためと言われた。そこには、一人一人の命、救いと言うことは配慮されていない。
●一般の戦争とユダヤ対カルデヤ人の戦いは,かなり違う。しかし、上に書いた日米戦争の中での沖縄戦争の場合は、ある意味で、一定範囲では少し共通するところがある。
①沖縄戦争では、日本軍は帝国主義で、偏狭・非人道的な軍隊であったから,「降伏」を拒否させた。だから、多くの島民が悲惨で無駄な死を遂げた。島民が,命令を無視してもっと降伏=投降していたら,多くの死が避けられた。(アメリカ軍は人道的対応をしてくれた)
②カルデヤ軍は決して人道的とは言えないが、少なくとも,降伏すれば殺されることはなくバビロンに引いて行かれた。そして、主が守られ,その後、カルデヤ地方でも守られ,後年にはユダに帰還させることも,主が約束してくれている。
③2の主の約束を信じないで,徹底抗戦する者やエジプトなどに逃げる者は、「主に信頼しない者」=「主のことばを聞かない者」として主の憐れみを受けることがない。降伏すること、へりくだり、悔い改めて捕囚を受け入れることが主の命令であった。
●8節からは、「悪いいちじく」が指摘される。
「ユダの王ゼデキヤと、その高官たち、エルサレムの残りの者と、この地に残されている者、およびエジプトの地に住んでいる者を,このように(悪いいちじくに)する。
彼らは,地のすべての王国にとって、「おののきと悪しきもの」とする、「また、わたしが追い散らす、すべての場所で、そしりと嘲りの的、物笑いの種、ののしりの的とする。」9)さらに、「わたしは彼らのうちに,剣と飢饉と疫病を送り、彼らの先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」19)と言われる。
●バビロンに包囲攻撃を受けている状況を考えると、普通はイ)徹底抗戦する、ロ)降伏する、ハ)外国に逃げるが考えられるが、
イ)の、徹底抗戦は殆どが殺される。
ロ)の降伏は兵士だけでない、婦女子も降伏できる。降伏は捕囚となる。
ハ)の「逃げる」が一番厄介で、得をするように見えるが、どのような逃げ方にしろ、逃げ通す者は、安全ではなく,主が「剣と飢饉と疫病」を送り、「すべての場所で、そしりと嘲りの的、物笑いの種、ののしりの的」とされるのだから、これは紀元70年以後、世界に追い散らされたユダヤの民と同じである。
●「降伏と赦し」:一般論では、降伏即ち赦しではないが、ほぼ赦しとなり、死者は少ない。先ほどの沖縄戦でも、もし一番最初に降伏していれば,数万人の死者はなかった。島民の集団自決などの悲惨なこともなかったが,軍がそれを許さず,島全体を巻き込んだ。そして、その結果広島、長崎への原爆投下になった。南太平洋、アジア諸国での戦争も同じ。
バビロンの場合も、降伏すると「捕囚」などが行われ、その支配下に置かれるが、強大な帝国は常にそのような支配をするものであった。それは、屈辱であるが、人類史ではやむを得ないこと。
エレミヤ時代のバビロン捕囚は,特別である。諸国が捕囚される,属国になるというのとは意味が違う。イザヤ時代のユダは預言者イザヤの、主からのことばに従ったから,主は悔い改めを認めてくださった。しかし、エレミヤ時代のユダには悔い改めが見られず,主の裁きは止まなかった。同じ攻撃であっても、こちらが主のことばに従うか否かで主の対応が異なる、このことが一番気を付けなければいけないことである。
私たちも、(一般の人間もすべて)その信仰と行動が一番問われる。良いいちじくかどうか、と。

3)私たちは良いいちじくか?
●ここで、大事なことは,クリスチャンである私たちとの関連である。私たちは「良いいちじく」と見なされているか,「良いいちじくになるように」しているか・・・
●先ほどの,良いいちじくへのことばをもう一度振り返ろう。
「わたしは,彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。彼らをこの地に帰らせ,立て直して,壊すことなく、植えて、引き抜くことはない」とある。更に、「わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてを持ってわたしに立ち返るからである。」7節)」
それは、信仰だけではない。クリスチャンでも、礼拝も守らないなら、まず,怒りを受けるかもしれない。奉仕やささげはどうだろうか?「最小限で済まそう」としていないだろうか?
カインとアベルの、「カイン」になっていないだろうか?
●先週、安井師からのメールで、ゴフェルツリーに続いて、今度バイブルアンドクリエイションのHPを立ち上げられたことを教えられた。(当教会もリンク付けされている)
PCをお持ちの方は是非開いてみて欲しいが、本当に充実したものである。50才過ぎに献身して、資料をまとめだして約20年だが、発行された書籍とDVDの殆ど全ては、原稿そのものは殆ど海外のクリスチャン学者のものからであるが、翻訳、発行はすべて安井師の働きで出来たもので、日本での最高の資料、最新の資料を完備したものとなっている。
「最低で済まそう」というのでなく、「最高のものを、最善のものを」と願って、1ではなく5,いや10タラントの働きをして来られたのであるから、その姿勢は,私たちが一番学ぶべきものだと思う。又、世界と日本の政治や環境の危機を迎えている私たちの姿勢も同じである。「戦う」だけでなく、逃げるのでもなく。悔い改めて主の赦しと,守りを受けることを、一番大切にせねばならないことを教えておられるのである。
●祈り

礼拝説教原稿-A④2020.1.26聖書箇所:エレミヤ17章19-23節 泉南聖書教会 大寺俊紀
「安息日を聖なるものに」

―生きる姿勢の土台が問われている―
はじめに:聖書には、同じことばが何度も出て来る。それは、それだけそのことばが重要であり、我々が大切にしていないから,繰り返して言われているということである。「安息日」が取り上げられることも特別に多い。但し、それは、新約聖書では,ユダヤ教の祭司たちから,「安息日違反」として,イエス様の攻撃に口実に使われることが多い。
 又、安息日のことは,先日も,元旦礼拝のイザヤ書58章13-14節で取り上げたばかりであるが、今の私たちにも特に重要と言うことで、もう一度話すように言われている。
最初に、11-16章をごく簡単に触れたい。

一,主とユダ・イスラエルとの契約

1)「主の律法を嫌う理由」*11章)
●主からエレミヤにあったことばは、「この契約のことばを聞け」「これをユダの人とエルサレムの住民に語れ」2」だった。
主のことばとは、イスラエルの民をエジプトから連れ出して、「エジプトの奴隷から主の民」に飛躍、代えるという素晴らしいものだった。彼らは、「主の民」となるべく,荒野で訓練を受け、ことばを教えられた。それは「十戒、律法」として、また「祭儀」として残っているはずである。しかし、それが守られたのはごく一部の期間であり、約束の地を獲得し,生活の安定が得られると,すぐに主への感謝を忘れ,自分の力で約束を得たように感じて主への礼拝を忘れ,あろうことか,主が最も嫌う偶像の神々に従った。
●彼らが偶像礼拝をした理由の一つは、偶像が何も言わず,結局自分勝手に歩むことが可能なためであり、二つ目は、不正を行う,欲望のままに生きること,それを望むがゆえに主の律法を排斥した。だから、主のことばの中には「公正を行え」「やもめ、みなしご、在留異国人を守れ」とのことばが多い。「不正の血を流すな」「不正の、異なったはかりを使うな」なども、支配層があらゆる不正に走っていたことを示している。それらは、全て主の律法の違反だった。つまり、不正をするためには,主の律法は邪魔だったということである。
●主は言われる。「わたしの声に聞き従い、すべてわたしがあなたがたに命じるように、それを行え。そうすれば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」と言って,彼らに,命じたものだ。*11:4)
2)災いを告げたエレミヤへの迫害*11:17-21)
●預言者エレミヤはユダ、エルサレムに対して災いを告げる。ユダの家が悪を行い、バアルに犠牲を供え,主の怒りを引き起こしたからである。*17)
そうすると、ユダの民はエレミヤに迫害を加える。敵対して計略を巡らしていることも19節にある。「主の名によって預言するな」とも言う。*21)
迫害を受けるエレミヤは主に伺う。「何故、悪者の道が栄え,裏切りを働く者がみな安らかなのですか」*12:1)「あなたが彼らを植え、彼らは根を張り,伸びて実を結びました。あなたは,彼らの口には近いのですが,彼らの心の奥からは遠く離れておられます。」*2)
3)悔い改めないユダは、ボロボロの帯のようになる*13章)
●13章は,有名な「亜麻布の帯」のエピソードである。エレミヤに主は仰せられた。「行って亜麻布の帯を買い、それを腰に締めよ。水の中に入れてはならない。」*1)「あなたが買って腰に着けているその帯を取り、ユーフラテス川に行って、そこの岩の割れ目にそれを隠せ。」4)
多くの日を経て,主は,以前川の岩場に隠した帯を取り出せと言われ、エレミヤが帯を掘り出すと,それはボロボロになっていた。そこで主は言われた。「わたしはこのように、ユダとエルサレムの大きな誇りをボロボロにする。」~エレミヤはこの帯を見せて主のことばを伝えた。~「ユダはことごとく捕らえ移される。一人残らず捕らえ移される。」19)
それは、「―主のことば―あなたがわたしを忘れ,偽りに拠り頼んだためだ。」*25)
4)「偽りの預言者」への怒り*14)
●主の怒りは、まず支配層、権力者に向かう。同時に主の怒りは「偽りの預言者」に注がれる。彼らは,民に不正を犯させ、悔い改めをさせず、又,主の裁きは来ないとの偽預言によって主の御心から人心を離れさせることをしていた。エレミヤの語る主のことばを正しく受け止めることなく,かえって嘘の預言=「裁きなどないとの安心預言」=によって罪を増長させていたのである。更に、偶像礼拝に向かわせる働きもしていた。
●14:14-15では、「あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。わたしは彼らを遣わしたこともなく,彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは,偽りの幻と,空しい占いと,自分の心の幻想を、あなたがたに預言しているのだ。」とあり、偽りの平安を教え、13)裁きは来ないと言っている。15)

二,主の裁き
1)裁きの理由*16章)

●裁きの理由は、こうして何度も伝えられている。
『あなたがたの先祖がわたしを捨て―主のことば―他の神々に従い,これに仕え,これを拝み、またわたしを捨てて,わたしの律法を守らなかったことだ。さらに、あなた方自身が、自分たちの先祖以上に悪事を働き、しかも,見よ、それぞれ頑なで悪い心のままに歩み、わたしに聞かないでいる。』
ところが、このあと、大変不思議な展開になる。徹底した裁きが伝えられ、それによって「わたしの力を知らせる。」となると思いきや、意外な展開に発展する。
2)意外な裁きの展開*16章14-21)
●16:13で,次のように宣言される。
*16:13「それで、わたしはあなた方を「この地から放り出し、あなたがたも先祖も知らなかった地に行かせる。あなたがたは、そこで昼も夜も、ほかの神々に仕える。わたしはあなたがたに,いつくしみを施さない。」・・・ところが、14節から一変する!
*14-15)「それゆえ、見よ,その時代が来る―主のことば―。そのとき、もはや人々は『イスラエルの子らをエジプトの地から連れ上った主は生きておられる』と言うことはなく、ただ『イスラエルの子らを,北の地から,彼らが散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる。」
●14節の「エジプトの地から連れ上った主は生きておられる」なら、モーセ以降、約千年間の、バビロン捕囚以前のユダヤ人の言葉と言える。しかし、次の15節の「イスラエルの子らを,北の地から,彼らが散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる」となると、二つの歴史的な意味がある。
① 一つは、「北の地」=バビロンからの帰還を許されて,主に感謝する、バビロン捕囚後のBC6世紀のユダヤ人のことばとなる。
② もう一つは、バビロンからの帰還だけでなく、全世界に離散させられていたユダヤ人が,1900年ぶりに祖国に帰還を果たした1947年のイスラエル再建をも意味する。
後者(②)の実現となると、70年後と同時に2600年後の両方を預言していることとなり、そのどちらも成就しているから驚きである。

三,安息日=基盤をどこにおくか?*17章)
1)ユダヤ人にとっての安息日

●17章後半で,再び「安息日」を守ることを教えられる。まず、ユダヤ人にとっての安息日の意味を考えると・・・
① 400年間奴隷であったエジプトから解放された。多くのしるしによって、主は全能者=創造主だと実際に経験した。
➋ その後、主の山で十戒と律法を教えられ,「それを守ります」と約束した。
③ しかし、その後の荒野での生活に耐えきれず,何度もモーセに反抗し,エジプトに戻ろうとした。反抗の結果裁きを受け40年の荒野での生活を過ごし,その後カナンに入る。
④ 「十戒と律法」で、人間のあり方、主を礼拝し、主のことばに従うことを約束したが、実際にカナン(イスラエル)の地に入ると、その地の民の風習を取り入れ、交わり出す。
⑤ 偶像礼拝にある様々な欲望をそそるものや、自分中心の生き方を求め,「義」を行わない罪の生活を求め、それが「何も言わない偶像」に走る原因となった。
⑥ 自己実現や物欲=金儲け主義、それらが「主の律法」を敬遠させ,「安息日」を守らない生活になった。安息日=主のことばを聞く、これを生活の中心、基盤に置かない生き方、それは、現代人、特に日本人と共通する!
2)元旦礼拝の復習 ●いつから安息日があるか?
●先日、子どもたちに安息日(日曜休日)のことを質問すると、皆はわからない、と。
●3500年ほど前、創造主である神がモーセを通して命じられ、教えられた十戒の5番目。
出エジプト記20:1-11(抜粋)イザヤ58章13-14節でも「安息日を守れ」とあった。
③ あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
④ 偶像禁止。③偶像礼拝禁止。④主の御名をみだりに口にしてはいけない。
⑤「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それ故、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
●江戸時代までは、日本では日曜の休みはなかった!正月と藪入り、年間数日だけ。
明治になり、外国の憲法を取り入れてから休日が普及、戦後特に民主憲法になって。
その「外国の憲法」は、聖書から出来ている!つまり、創造主、聖書のお陰で私たちは安息日=休日を得ているのである。それは、自分の楽しみ、休息だけでなく、主を礼拝し、ことばを聞く、「聖なる日」としなければいけない。
3)生態系、体内時計には・・・
●実は、この安息日が偶然に自然に決まったものでないことを知る根拠がある。
①一つは、「生態系」の法則と言えるもので、植物も動物もその胎内時計を持っている。
一日は昼と夜「24時間」で出来ている。それが7日で一週となり、七日目に日曜=休みがある。ほぼ四週で月となり、四つの月で冬、春、夏、秋となっていて、植物(果物や穀物)が花を咲かせ、実をつけ、収穫でき、人も鳥や動物たちも生きている。すべての生きものに、その「体内時計」があり、生態系をつくり、太陽、月などもそれに加わって動く。
つまり、「6日の創造」が生態系、体内時計の中心である。
イ) 地球は一日一回自転し、1年で太陽を一周。昼は太陽の光を受ける側が昼、反対側が夜。
ロ) 月は27日かけて地球を一周し、夜の地球を照らす。
ハ) 地球には四季があり,植物が育ち,動物も食糧を与えられ、生かされている。
ニ) 植物は昼に太陽の光を受けて,夜に炭酸同化作用を行い,地球に酸素を提供。
ホ) 昆虫、鳥、動物は植物が作る酸素を吸い、葉や実を食料として与えられている。
だから、「一日24時間の6日での創造」を信じることは安息日を信じること、守ること。
●これらを考えれば、毎週の安息日は、創造主が下さったものであり、それを感謝し、ことばを聞き、礼拝からスタートするのが被造物の基本的な役割だと理解できるではないか。
●進化論や親が神とする考えは、「猿の子」でしかなく、正しくても何も与えられず、間違いなら永遠の地獄。単純確率で50%。こんな危険な賭をしていることになる。
●一方、創造論、聖書の神を信じる場合は、神=創造主の子とされる。それが間違いであっても失うものは何もなく、正しければ、単純計算で50%、素晴らしい栄誉、恵みを受ける。
●1日24時間での六日の創造を信じ,安息日を守る=ことばを聞き礼拝する:
それが人類にとっての一番大事なスタートだと教えておられる!
●祈り

資料:地球の自転速度と地軸の傾き

●地球の自転速度は,1日を表す24時間だが、正確には23間56分4,090 530 832 88秒と24時間には少し不足。
その時間の誤差を調整するために,4年に一度のうるう年がある。
この自転速度によって,昼と夜のバランスが良くなり,磁場が保たれ、地殻変動も安定し、大気や海流が程よく拡散され、地球全体が住みやすい温暖な環境にしてくれている。

さらに、この回転速度により重力バランスも保たれ、生物が活動しやすく、大気や水も保持し続けられている。この約23.4度という傾きにより四季が生まれ,大気や水の循環、生態系のバランスが保たれている一つの要因になっている。

●月:又、月の存在も大事で、月のお陰で,夜が照らされるだけでなく,その引力で潮の満ち引きが生じ、海水に酸素が取り入れられ,海の生物が生きる要因となる。その他、多くの恩恵がある、
●太陽と月の位置や大きさも完全で,大きくても小さくても駄目、近すぎても遠すぎても駄目、完全な位置に置かれている。あらゆることが「進化論なら偶然」と言われるが、聖書によれば、創造主の英知である。

礼拝説教原稿-A③2020.1.19聖書箇所:エレミヤ10章8節+14節 泉南聖書教会 大寺俊紀
「空しい神々の訓戒」
―それは木に過ぎない-
はじめに:聖書一日一章を読んでいるが、私が説教の用意をする際は,火~金曜日で、次の日曜日までの箇所を先行して読み、説教を作る。特にエレミヤ書の場合は,エレミヤが10章だけでなく,ずっと毎日語り続けていることに触れずに,10章だけを語るというのは、矮小化しておかしいことになる。~但し、新約の場合は,章ごとに三つほどの主題があり、平均して1章だけで説教が3つ出来るから、数章をまとめて話すのは避ける
~そこで、10章の偶像については最後に触れることとして、この一週間の主の悲しみのことば、激しい訴えのことばを沢山書き並べて,主の思いを聞きたいと思う。

一,北からのわざわい
1)忌まわしいものを取り除け*4章1-)
●主は言われる。「イスラエルよ、もし帰るのなら、―主のことば―わたしのもとへ帰れ。もしあなたが忌まわしいものを わたしの前から取り除き、迷い出ないなら、また、あなたが真実と公正と義によって『主は生きておられる』と誓うなら、・・・」*4:1-2)
●ついで、主は言われる。
「シオンに向けて旗を掲げよ。自分の身を守れ。立ち止まるな。わたしが北からわざわいを,大いなる破滅をもたらすからだ。」と。*4:6)
さらに、14節では「エルサレムよ。救われるために,悪から心を洗いきよめよ。いつまで,自分のうちによこしまな思いを宿らせているのか。」
「あなたの生き方と、あなたの行いが,あなたの身にこれを招いたのだ。これはあなたへのわざわいで、なんと苦いことか。もう、あなたの心臓にまで達している。」とある。
●19節では主のことばを聞くエレミヤの苦しい胸の内が語られる。
「私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶(モダ)える。私の心臓の壁よ,私の心は高鳴り、私は黙っていられない。私のたましいが,角笛の音と戦いの雄叫びを聞いたからだ。破滅に次ぐ破滅が知らされる。まことに地のすべてが荒らされる。・・・」
●しかし、民は気付かない。「実に、わたしの民は鈍く,わたしを知らない。愚かな子で悟ことがない。悪事を働くことには賢く、善を行うことは知らない。」*22)
「『全地は荒れ果てる。ただし、わたしは滅ぼし尽くしはしない。』」と主は言われる。
2)「そこに公正があるか?・・・エルサレムの通りを行き巡ってみよ。」*5章) 
●厳しいエルサレムへの裁きが下される理由が語られる。
まず、『エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るがよい。』*5:1)と言われる。
「もしも、だれか公正を行う,真実を求める者を見つけたら、わたしはエルサレムを赦そう』と言われる。そして、『彼らが、主は生きておられる、というからこそ、彼らの願いは偽りなのだ。』と。*2」
➡5章2節の主のことばは、「信仰があると見せながら、実質的には主を否定する,主のことば、律法を守らない,」それは最初から主を否定する者より一層悪質であると言われる。
クリスチャンである,牧師、神学者であると言いながら、「聖書批評節」や、進化論に従い、「6日の創造を否定する」神学に立つ者も同じではないか。
●エレミヤは,「主の道を知らないのは、エルサレムの卑しい者たちにすぎない。『身分の高い者たちのところへ行って,その人たちと語ろう。彼らなら,主の道も,自分の神のさばきも知っているから』」と言う。しかし、・・・
*3)「ところが彼らもみな、くびきを砕き、かせを断ち切っていた。」*5)「あなたの子らはわたしを捨て,神でないものによって誓っていた。」
➡偶像礼拝、異教の神々を恋い慕っていた。
➡だから、主はこう言われる。「これらについて、わたしが罰しないだろうか。―主のことば―このような国に、わたしが復讐しないだろうか。」*9)
●11節では、・・・「実に,イスラエルの家とユダの家は、ことごとくわたしを裏切った。「―主のことば―彼らは主を否定してこう言った。『主は何もしない。わざわいは私たちを襲わない。剣も飢饉も,私たちは見ない』と。」*12」
➡だから、主は宣言される。「見よ。わたしはあなたがたを攻めるために,遠くの地から一つの国を来させる。」そして、その攻撃の詳細も示される。15-17)
●その理由はこうである:「『われわれの神、主は,何の報いとして、これらすべてのことを私たちにしたのか』と尋ねられたら、あなたは彼らにこう言え。『あなたがたが、わたしを捨てて,自分の地ではない地で,他国の人に仕えるようになる。』」
●そして、5:21で言われることばは,イザヤが召しのときに聞いたことばと同じである。
「彼らは目があっても見ることがなく、耳があっても聞くことがない。・・・」*21)
●エルサレムの指導層たちの罪とは何か?28節に具体的に書かれている。
「彼らは肥えてつややかになり、悪事において限りがない。孤児のために正しいさばきをして幸いを見させることをせず、貧しい人々の権利を擁護しない。これらに対して、わたしが罰しないだろうか。」*28-29)
●同じことが、6章13節からも書かれている。
「―主のことば―なぜなら,身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。」*13)「・・・彼らがわたしのことばに注意を払わず、わたしの律法を退けたからだ。」19)

二,生き方と行いを改めよ*7章)
1)役に立たない偽りのことば*7章)
●7章には,主の怒られることが全部書かれているから順番に見たい。
① 弱者への無慈悲な行い:「寄留者、孤児、やもめを虐げず,咎なき者の血を流さず,他の神々に従って自分の身にわざわいを招くようなことをしなければ、」6)とある、
② 「あなたがたは盗み、人を殺し,姦淫し、偽って誓い,バアルに犠牲を供え、あなたがたの知らなかったほかの神々に従っている。*9」
④ 「天の女王」のための供えのパン菓子を作り、また、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いで、わたしの怒りを引き起こそうとしている。」*18)
⑤ 預言者をたびたび遣わしたが、耳を傾けなかった。*25)
⑥ 「また、自分たちの息子、娘を火で焼くために,ベン・ヒノムの谷にあるトフェテに高き所を築いたが、これは、わたしが命じたこともなく,思いつきもしなかったことだ。」*31)➡そこは、『虐殺の谷』と呼ばれる。この民の屍が満ちる。主の復讐(8章)
この「幼児犠牲」は凄まじかったらしい。近年の考古学者たちが、カナンの偶像礼拝の遺跡を発掘し,祭壇の下に,大量の幼児の骨があることを見て,「主はどうしてもっと早く彼らを滅ぼさなかったのか」との声を出している。
2)主の、悲しみのことば・呼びかけ*8章)
●主の悲しみのことばは続く:
「あなたは、彼らに言え。『主はこう言われる。人は倒れたら,起き上がるものではないか。離れたら,帰って来るものではないか。なぜ、この民エルサレムは、背信者となり、いつまでも背信を続けているのか。・・・』*8:4-5」
「わたしは気を付けて聞いたが,彼らは正しくないことを語り、『わたしは何ということをしたのか』と言って、自分の悪を悔いる者は,一人もいない。・・・空のこうのとりも、自分の季節を知っている。山鳩も燕も鶴も,自分の帰る時を守る。しかし、わが民は主の定めを知らない。」*8:6-7)
●8:11では、根拠のない「平安」を言う者をしかる。悔い改めの勧めをせず、主の御心を伝えない者である。「預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。彼らは、わたしの民の傷を簡単に手当てし、平安がないのに、「平安だ,平安だ」と言っている。

➡この11節のことばを聞いたとき、終末に望む今日の場合、私は、「キリスト再臨の七年前に『軽挙』があるから、平安だ」と言う解釈(安心神学)のことばを思う。勿論、再臨が早くて患難から守られることは、そうなればよいが,解釈通りとは限らないから、聖書預言の一つの解釈に限定するのは同じ轍を踏むことになる危険が高い。

●裁き(バビロン捕囚)を下さざるを得ない悲しみ、その主の悲しみは13節にもある。
*8:13)「わたしは彼らを刈り入れたい。―主のことば―しかし、ぶどうの木には,ぶどうがなく、いちじくの木には、いちじくがなく、葉はしおれている。わたしはそれらをそのままにしておく。」
3)「涙の預言者・エレミヤ」*9章)
●9章1節のことばはとても有名で,エレミヤが「涙の預言者」と呼ばれる由縁であるが、このことばも主の思いによるものである。
「ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら,娘である私の民の殺された者たちのために,昼も夜も,泣こうものを。」*9:1)
しかし、主の裁きは下る。「『彼らの舌はとがった矢。人を欺くことを言う。口先では友に向かって平和を語るが、心の中では待ち伏せを企む。わたしが彼らを罰しないだろうか。―主のことば―このような国に、わたしが復讐しないだろうか。』」*9)
●主の「義」とは?
創造主(神)の義とは、「何でも赦す」ということではない。
真実の中に偽なるもの、不義は共存できない。光の中に闇は存在できないのと同じ。
*伝道者10:1「死んだハエは,調合した香油を臭くし、腐らせる。」しかし、罪に気付いて悔い改めるものは赦され,なかったことにして下さる。
一番の問題は,彼らが罪を認めず,悔い改めず、行いを改めなかったこと。

三,諸国の道に見習うな*10章)
1)空しい「神々」
●10:1-5)「主はこう言われる。諸国の道を見習うな。天のしるしにうろたえるな。」
それは「空しい」と。なぜなら、「それは,林から切り出された木、木工が、なたで作ったものにすぎない。それは銀と金で飾られ、釘や槌で、ぐらつかないように打ち付けられる。それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものを言えず,歩けないので,運んでやらなければならない。そんなものを恐れるな。害になることも益になることもしないからだ。」
●NHKの朝ドラ、TV朝日の昼ドラでも、死者がたびたび登場し語りかける。「まるで,死者は私たちを守ってくれているように。」しかし、そのような先祖からの言い伝えは、全く根拠がなく、怒りを受ける。聖書は太陽などへの礼拝、偶像礼拝、死者礼拝に厳しい。ただ、世界的に見ると,日本のような死者礼拝はごくまれであり、聖書の中の記述も多くない。
*Ⅰペテロ1:18-19)「ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの,尊い血によったのです。」
*同1:21「あなたがたは,キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。・・・」
2)その中には息がない*14)
●次のページには資料として,「偶像の神々」なるものを並べている。造形的に,又歴史的に面白く、「観光」には面白いが、人の手で作られた作品であり、そこにはことばがない。主は言われる。「すべての人間は愚かで無知だ。全ての金細工人は,偶像のために恥じを見る。その鋳た像は偽りで、その中には息がない。それは空しいもの、物笑いの種だ。刑罰の時にそれは滅びる。」14-15)
●しかし、聖書の神=創造主を信じる者は「このようなものではない」と言われる。
*10:16)「ヤコブ(=イスラエル)の受ける分はこのようなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主のゆずりの民。その御名は万軍の主である。」
3)神(創造主)以外のものが第一なら,それも偶像
●「偶像」というと、仏像や動物の像だけと誤解する人もいるだろう。しかし、「タレント,歌手」などを「アイドル=偶像」と呼ぶことからみても、芸能人の追っかけ、スポーツ、アートや映画、学問など、あらゆる人間の「趣味、嗜好、仕事」も偶像化する危険がある。
「仕事第一、家族第一」「家族優先でそのために礼拝に来ない」「芸術至上主義」も同じ。
●それら全てを与えて下さっている創造主を忘れるところに偶像が出来ている。
●祈り
資料:世界の偶像
1段目:左から、アンコールワット、マチピチュ、マヤ、 2段目:仏像、大仏
3段目:メキシコのマヤ 4段目:アンコールワット

礼拝説教原稿-A②2020.1.12聖書箇所:エレミヤ3章22節 泉南聖書教会 大寺俊紀
「背信の子らよ立ち返れ」
―わたしがあなたの背信を赦そう-

はじめに:66日間=約2ヶ月間続いたイザヤ書は、「天地万物の創造者としての、力強い宣言がなされ、永遠の未来になされる救いの完成も告げられると同時に、救い主キリストの処女降誕=インマヌエルから(7章)十字架での受難(53章)、そして、来臨されたときの愛に満ちた癒やしのわざまで(61章など)も告げられていた。最後には、「天を裂いて降りてこられる」とも教え(64章)、新しい地球を再創造される約束(65章17-25)もなされていた。但し、ユダの背信によりバビロン捕囚を受けることも含まれていた。(39章)
続くエレミヤ書は、年代も進み、ヨシヤ王から、エホヤキム、ゼデキヤ王の最後の第11年の終わり=捕囚の月まで続き、イザヤ預言の通りにバビロン捕囚が実際に進行している渦中にあって、預言者として最後の悔い改めのメッセージを発することが中心となっている。
イザヤの場合は、ユダだけでなく、全人類への愛と癒やしのメッセージとして格調高く宣言されていたが、エレミヤの場合は、目の前にあるユダの捕囚の渦中で、ユダに最後の悔い改めを求める、痛々しい、悲しみのメッセージが中心となっている。

一,主の聖なるものイスラエル
●エレミヤの召命*1章)
〇エレミヤ書も、他の書と同じく預言者自身の召しから始まる。ユダの王アモンの子ヨシヤの時代、治世の13年目で(2)、主のことばは、その後も、ヨシヤの子エホヤキムの時代、ゼデキヤの第11年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月。エルサレムの民の捕囚まで続いた、とあるから、まさに激動の時代の渦中の、主のことばと言えよう。
 エレミヤに対して、主は「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、あなたが母の胎を出る前からあなたを聖別し、国々への預言者と定めていた。」と語りかけている。当然のように、エレミヤは固辞する。「私はまだ若くて、どう語って良いか分かりません。」と。しかし、主は「まだ若い、と言うな。…遣わすすべてのところへ行き、わたしが命じるすべてのことを語れ。・・・」7)「あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」10)
●聖書をまだ信じられない方々に、是非知って欲しいのは、聖書が次のように書かれていることである。
エレミヤ書は、既に2600年も経過するが、このように、一人の人間が勝手に考えて書いた書、或いは始めた宗教ではなく、数千年という年代を通じて、次々と、「信仰者、預言者」を見出して選び、ある時期が来たときに「直接」声をかけて呼び出され、本人が固辞しても、明確に主の召しを教えることによって、本人も納得して「ことばを受け」それを語り、又記録されていく。しかも、その書かれたことは、どの時代、どの王の何年目の何月と記録され、正確に記録される。そして、その語られたことばは、預言者から王、祭司、指導者たちに告げられ、彼らの反応や対応も記述される。
 さらに驚くべき事は、預言者イザヤの時代にアッシリアの攻撃があったにも拘わらず、主の約束通りにアッシリヤが撤退して(御使いが一晩で18万人を殺す)、帰国後にアッシリア王が世代交代しているが、聖書は、それはアッシリア王が帰国後に息子に殺害されたと告げている。
 又、イザヤはイスラエルが、後にバビロン捕囚を受けること(70年後の解放も含めて)を預言していて、その捕囚が実際に起きた時代にエレミヤが預言者として召し出されて、「最後の悔い改めが求められる主からのことばを伝える」という、大激動の時代が進行する中で聖書が書かれ、すべてそのとおりに歴史が進行しているということである。
これらを通して、聖書の真実性を知って欲しいと強く願っている。
2)バビロン捕囚は70年
●1-3章には出て来ないが、今まさに始まっているバビロン捕囚の渦中の中で、エレミヤはその捕囚が70年であることの預言も与えられ、実際に、そのことば通りになる。
*エレミヤ29:10「まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。・・・』
この事も、聖書が時空を超えた、永遠に存在される主のことばであることを保証している。

二,イスラエル(=主を求める者)への愛
●イスラエルを通して愛を教える主
●ここで、一つ大事なことがある。エレミヤは「イスラエル」の為に預言者となり、彼らに語り、彼らに下される裁きについてとりなしの祈りをしるが、この「イスラエル」とは誰のことだろうか?
①一つは、「肉のイスラエル」と呼ばれる、血筋(民族)としてのイスラエル人である。2020年の今、イスラエル在住のイスラエル人は約1千万人との報道があったが、全世界に離散して暮らしているイスラエル人も多い。第二次世界大戦の時にはナチスドイツから約600万人が殺され、その後イスラエルに戻ろうとのシオニズム運動が起きて、無事1948年にイスラエル国家が回復し、国連でも承認されたが、それ以前は1900年間離散の民だった。しかし、実に不思議な導きにより、奇跡的な国家再建を果たした。
●元はと言えば、アブラハム一人が選ばれて主に愛された民の祖となり、その後BC1000頃今のイスラエルの地(カナンの地)に「イスラエル国家」を築いた民である。(統一国家の王はダビデ)このアブラハムの直接の子孫が「肉=血筋としてのイスラエル民族」である。
●アブラハム一人から始まり、その子イサク、ヤコブから増えた民であるが、70人でエジプトに下り、その後奴隷となり、人数が増えてから、モーセによって約束の地=カナン=イスラエルに戻ることが出来た。その後、ダビデの時代には統一王国となり、その後分裂、アッシリヤ、バビロンの攻撃を受け、バビロン捕囚を経験するが、元に復帰を赦される。そして、キリストを迎えるが、紀元70年に崩壊して、約1900年間流浪の民となるという経験をした。
②つ目は「霊のイスラエル」と呼ばれる、信仰により義とされた者である。
 「アブラハムは(創造)主を信じた、それが義と認められた。」同じように、創造主を信じる者、キリストの救いを信じる者も、義と認められるのが聖書の教えである。
*ローマ4章16節「そのようなわけで、すべては信仰によるのです。それは、事が恵みによるようになるためです。こうして、約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持つ人々だけでなく、アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。アブラハムは、私たちすべての者の父です。」
*24-25節「すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」
●そもそも、イスラエルとは、
 アブラハムの子イサクの、2人の息子エサウとヤコブの、弟ヤコブが、兄から逃げて叔父ラバンのもとに行き、そこで、生まれた12人の男子や娘を連れて帰ってくる際に、兄への恐怖から一晩中救いを求めて祈った際に、そばに来た「御使いと一晩中格闘して御使いに勝った」ことから、「あなたは神と争って勝った」として、「神(エル)と争う(イスラ)者」=「祝福を求める者」とされている。以後、主の救いを求め、祝福を求める者は「霊のイスラエル」と呼ばれることとなった。それは、血筋・民族としてのイスラエル人でなくても、全世界のクリスチャンにも当てはまる。

三,背信の子らよ、立ち返れ*3:22)

1)背信のイスラエル、裏切りユダ*11)
●エレミヤ2章では、ユダ(エルサエム)とのとても良かった関係を、「真実の愛」として回顧している。*2:2「・・・『主はこう言われる。わたしは、あなたの若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれていなかった地、荒野でのわたしへの従順を覚えている。』
●しかし、その良い関係は約束の地に入るに従って徐々に悪くなっていた。
*2:7「わたしはあなたがたを、実り豊かな地に伴い、その良い実を食べさせた。ところが、あなたがたが入って来て、わたしの地を汚し、わたしのゆずりの地を忌み嫌うべきものとした。」
①イスラエルが主を裏切って悪い関係になったのは、まず、主を捨てて、周辺諸国の偶像礼拝を真似て取り入れたことである。それは主の最も忌み嫌うことであったから、再三再四教えられていた。
*2:27-28「(王、首長、祭司、預言者たちと民)彼らは木に向かって「あなたは私を生んだ」と言っている。実に彼らはわたしに背を向け、顔を向けない。それなのに、わざわいのときには『立って、私たちを救って下さい』という。では、あなたが造った神々はどこにいるのか。あなたのわざわいのときには、彼らが立って救えばよい。ユダよ、あなたの神々はあなたの町の数ほどもいるではないか。・・・」
②二つ目は、アッシリヤ、バビロンからの攻勢を受けて、主に救いを求めず、アッシリアに援助を求めていったことで、2章18節に書かれている。
この事は、いつの時代も同じ事である。現代も軍事力、軍事同盟に頼る、あるいは政治闘争だけに頼ることは、主を否定することになる。政治的な行動も一定必要なことはあるが、それだけで解決しない。主が最善をなして下さることを祈り、みことばに従うことが最も大事である。
*2:18「今、ナイル川の水を飲みにエジプトへの道に向かうとは、いったいどうしたことか。大河の水を飲みにアッシリアへの道に向かうとは、いったいどうしたことか。」

2)背信のイスラエルよ帰れ!*3:12-
●3;11からは、主のイスラエルへの、悲痛とも言える程の慈愛に満ちた愛のことばである。
*3:11-12「行って、次のことばを北の方に叫べ。
『背信の女イスラエルよ、帰れ。―主のことば―
わたしはあなたがたに顔を伏せはしない。わたしは恵み深いから。
―主のことば―
わたしは、いつまでも恨みはしない。ただ、あなたはあなたの咎を認めよ。』
●13節にあることばは、「外国の勢力に頼り、偶像礼拝に頼った」ことを、主に背いたと言われている。この「イスラエル」は、民族のイスラエルだけでなく、私たちも同じく呼びかけられている。
① 死者を礼拝し、神社、仏閣に行き、
② 進化論に従って創造主を否定してきた不信仰。
③ 自らの不信仰の罪を悔い改めずにきたことは、「主に背いてきた罪」として認め、悔い改め、赦される事が必要である。
③  特に、殆どのに日本人は、天地万物と、空気、水、命、そして自分の体も心も造って下さった創造主を否定し、礼拝してこなかった!この事は、最も強い怒りを受けることだと知って欲しい。教科書やテレビの放送も進化論一色で、「神でないもの」を神とし、正月は神社にいくものは「善男善女」と呼び、正月が明ければ、「商売の神様」と呼んで、えびす神社の放送が盛んになされ、誰一人疑問を出さない。
 このような不信仰な日本人は、必ず、厳しい怒り、裁きを受ける。
●しかし、主は言われる。「わたしはいつまでも怒っていない、わたしは恵み深いから」、「ただ、あなたはあなたの咎を認めよ」と。
主の恵みは大きく、既に救い主イエス様を送って、それも身代わりの十字架にまで送って、赦しを完成して下さっているから、私たちは、咎を認め、赦し=贖いを感謝して受け取るだけである。
●祈り

礼拝説教原稿-A① 2020.1.1 聖書箇所:イザヤ58章13-14節 泉南聖書教会 大寺俊紀

「安息日とは・・・」2020年頭礼拝

―どちらの道を歩むか-

はじめに: 一年の最初の日の朝、今、ここにいて創造主なる神のことばを聞く人は幸いである。それだけではなく=今日だけでなく、常に安息日に主の前に来て礼拝し、ことばを聞く者はさらに幸いであると、主は言われる。今朝は、このこと(安息日)をわかりやすくお話ししたい。

 

一,「善悪を自分で選ぶ道」

1)善悪の知識の木の実を食べる道 ~その人の安息日の過ごし方、考え

①そもそも

「人は進化の結果、いま存在している」=偶然であり、創造主はいないから、仰ぎ見る(=礼拝)は必要ない」と考える。

人生とは:

〇努力して働き、役に立つこと、認められることをして(その為に学び)、それが一定成功すれば良し、不十分でも仕方がない。

〇一部は努力や環境の結果、恵まれて成功し、出世、高収入、高評価=名声を得て人生を全う出来れば、満足する。成功しなくても諦めしかない。(但し、老・病・死の不安が襲う)

罪と死

〇自分は悪い事はしていないし(警察の世話になったことはない)、誰かに被害を与えたこともない。もめ事とかあったが・・・(人並みだから良い)

〇誰でも、老・病・死が襲ってくるから仕方がない=諦めしかない。「死後は無である、又は自分は良い所(死者の世界)に、多分行けるだろう。」

実際は、高齢になっての寝たきりなどは辛く、「早く死にたい=解放されたい」と言う人が多い。

④特に、次のような危機の時は:どんな不安が襲うだろう

〇例えば自分に重い病い(依存症、精神疾患も)がある、親にもあるから頼れない。仕事に就けない(低収入)。施設には入れない。入っても辛すぎる(規則についていけない、怒られる)

29日の男性:

〇精神科患者、或いは依存症などでなくても、60を過ぎれば、どの病気で倒れても仕方がない。自分が病気、伴侶や子どもの病気、引きこもり、神経障害などを抱えても大変。「何もない」というのはまれであり、いつまでも元気ということは困難。

〇健康保険や社会保障、年金なども頼れない人もいる。又、いつ破綻するかわからない。そのときは「難民」状態に陥る。

〇今はそうでないと言っても、いつ襲うかも知れない危機。その備えは「お金」だけでない。

  • 大地震、戦争などになれば、すべての補償、身を守るものがなくなり、難民状態になる。核戦争では、第二次世界大戦の比ではない。国土再建もない。聖書の終末預言に近づく。

⑤無神論思想の人の安息日

  • 日曜が休みの理由を考えない。常識や、ただの権利だと思っている。
  • すべて自分の休養と余暇を中心に過ごす。
  • 教会の礼拝に使うのは「無駄」「意味がない」と思う。
  • 聖書の警告を知らず、聞いても馬鹿馬鹿しいと思う。・・・

人生の危機の時:どこに希望があるか?望んでも、死後の希望はゼロ!

虚無思想。主を信じない者の無と、絶望と恐怖を自覚して欲しい!

 

二、聖書の教えに従う者

2)聖書の教えに従う者、主の声に聞く道 その人の安息日の過ごし方、考え

  • そもそも

「万物は創造主の作品。偶然でなく、計画され、デザインされて創造された方、見事にバランスを取り、維持されている。被造物は美しい。優れている。仰ぎ見る(=礼拝)ことが必要。

  • 創造主、救い主の力と愛を信じることが信仰であり、それは愛され守られる。「創造主なる神の子」とされる約束。

② 人生とは:

〇学び、努力して働き、役に立つこと、認められることも必要と考えて実行する。それが一定成功することも良い。しかし、自分に与えられている主のご計画(御心)を示されると、そのことも人生の重要なこととして取り組むことが多い。それは、社会的成功や経済的な充実だけでない。

〇努力や環境の結果、恵まれて成功し、ても、それを自分だけのために誇り、使おうとはしない。出来れば、主の御心をなしたいと思う。救いの素晴らしさを伝えたいと願う。

(クリスチャンの政治家、学者、実業家なども、自分の楽しみだけでなく、その賜物を用いて世のため、人のため、神のための人生を選ぶ)

③「罪と死」

  • 老・病・死は怖れがなくなる。解決が与えられている。

〇自分は警察の世話になったことはなくても、色々な罪(心やことば)があり、特に不信仰の罪があった。人並みだから良いということでなく、主に悔い改め、赦されることを教えられて従った。だから、罪が赦され、平安がある。

〇老・病・死:老いは避けられないが、主が御心によって、守って下さっている。

「死」も今の世では一度は仕方がないが、解決されている。イエス様の十字架の身代わりの死によって罪と死が解決されている。諦めは必要ない。死後」は必ず天に上げられる。死者の世界=よみには行かない。後に、復活のからだが与えられる確かな約束を受けている

④特に、次のような危機の時は:

  • 同じように、個人的な「老病死」以外にも、社会的、世界的な危機もあるかも知れないが、主はすべてご存じであり、守って下さる、又、救い出して下さると信じ、委ねている。
  • 皆に祈って戴く。●聖書には、終わりの時の困難、患難も預言されているが、主に委ねる。

⑤安息日の過ごし方:

  • 日曜は「創造主によって与えられたもので、主の御前に出るためにあるから、一年中、礼拝に出ることは当然と思い、実行する。それは当然のことで、苦にならない。休息が必要なら午後に休む。娯楽を優先しない。
  • 大事なことが語られ、教えられる。主に奉仕も出来る。交わり(交流)も出来る。

⑥最大の希望:復活、永遠

  • キリスト再臨の時に生きていれば、死を経験しないで永遠のいのちと体を受ける。

既に召されていても、体がよみがえるとの約束。それが、キリストの復活で保証。

  • イザヤ25章6-8節では、「エルサレムの山で死を滅ぼす」とあり、詩篇22編、イザヤ53章でも、私たちの罪の身代わりの死と復活を預言されている。

*イザヤ25:7-8「(万軍の主は)この山の上で、万民の上をおおうベールを取り除き、永久に死を飲み込まれる。・・・」

⑦真の親(創造主)ならどう思うか?

  • 人間の親の場合は、仮に生まれてくる子が、次々と1才以下で亡くなれば、どう思うだろうか?平気でおれるだろうか?・・・医師とも相談して、なんとかして成長できるようにするだろう。(駄目なら、出産は諦め?)
  • 創造主なる神も、ご自身が永遠の方で、死がないのだから、「死の原因を取り除き、死を解決する」ことをなさるだろう。人間の死の原因が「不従順、不信仰の罪」によるのだから、それを教え、解決される。「人間が気付き、人間の解決できない罪の赦し」を、「身代わりの刑を受けることによって解決して下さる」方法を取って下さっている。十字架の死

人間は頑なだから、理解できるように、長い年月をかけて預言者に伝えさせている。そして、言われる。

*イザヤ44:6-8「イスラエルの王である主、これを贖うかた、万軍の主がこう言われる。『わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしの他に神はいない。わたしが永遠の民を起こしたときから、だれが、わたしのように宣言して、これを告げることができたか。これをわたしの前に並べたててみよ。彼らに未来のこと、来たるべきことを告げさせてみよ。おののくな。恐れるな。以前からわたしがあなたに聞かせ、告げてきたではないか。』」

 

三,安息日の教え*出エジプト20章、創世記1,2章)

1)いつから安息日があるか?

  • 先日、子どもたちに安息日(日曜休日)のことを話した。「いつから、だれが始めた」と思いますかと質問すると、皆はわからない。一人の子が「天皇陛下?」と・・・。
  • 3500年ほど前、創造主である神がモーセを通して命じられ、教えられた十戒の5番目。

出エジプト記20:1-11(抜粋)

  • あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
  • 偶像禁止。③偶像礼拝禁止。④主の御名をみだりに口にしてはいけない。

「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。⑥「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。」・・・⑦、⑧、⑨、⑩

  • 江戸時代までは、日本では日曜の休みはなかった!正月と藪入り、年間数日だけ。

明治になり、外国の憲法を取り入れてから休日が普及、戦後特に民主憲法になって。

その「外国の憲法」は、聖書から出来ている!つまり、創造主、聖書のお陰で私たちは安息日=休日を得ているのである。それは、自分の楽しみ、休息だけでなく、主を礼拝し、ことばを聞く、「聖なる日」としなければいけない。

2)生態系、体内時計には・・・

  • 実は、この安息日が偶然に自然に決まったものでないことを知る根拠がある。

①一つは、「生態系」の法則と言えるものである。先日、ある美術家の方が、「子ども(孫?)から「正月って何?」という質問を受けて、どう説明しているか困っている」との投稿があった。子どもは3才程度かなと思うが、ある女性が「一年の始まりと教えたら?」と書くと、「という概念が理解できない」との返事だった。

一日は昼と夜で出来ている。それが七日(7回)で一週となり、七日目に日曜=休みがある。ほぼ四週で月となり、四つの月で冬、春、夏、秋となっていて、植物(果物や穀物)が花を咲かせ、実をつけ、収穫でき、人も鳥や動物たちも生きている。すべての生きものに、その「体内時計」があり、生態系をつくり、太陽、月などもそれに加わって動き、地球や星たちも、その中で、大きく一回りするのを一年という。

  • これらを考えれば、毎週の安息日は、創造主が下さったものであり、それを感謝し、ことばを聞き、礼拝からスタートするのが被造物の基本的な役割だと理解できるではないか。
  • 進化論や親が神とする考えは、「猿の子」でしかなく、正しくても何も与えられず、間違いなら永遠の地獄。単純確率で50%。こんな危険な賭をしていることになる。
  • 一方、創造論、聖書の神を信じる場合は、神=創造主の子とされる。それが間違いであっても失うものは何もなく、正しければ、単純計算で50%、素晴らしい栄誉、恵みを受ける。

 

  • 何も希望がなく、裁きが待っている不信仰か、信仰を求めるか。安息日を主の礼拝にするかどうか、主が問いかけておられる。
  • 58章の13.14節を一緒に読んで学ぼう。

●祈り

コメントを残す


泉南聖書教会

map〒590-0522 大阪府泉南市信達牧野820-4
℡072-483-0590 FAX072ー482-7332
JR和泉砂川駅から西600M 、泉南市信達牧野の宮脇書店やブレスガーデンの南100Mです。西側にスーパー「ラ・ムー」があります。
駐車場は教会横、およびローソン北100mの場所にある駐車場(土日限定)です。
お近くまで来られたら、お電話下さい。

コンタクト

「コンタクト」ページにあるフォームを使うか、直接お電話を下さい。
メールを送られる場合のアドレスはこちらです。
t.odera4000@gmail.com
(☆を半角の@に変更して下さい。)

Login