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礼拝説教原稿―C⑧ 2019.10.27 聖書箇所:ヨハネ13章16-30節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「ユダにならないために」

―信仰の失格者とは―

はじめに:今日は、ヨハネ13章で、「過越の祭」「最後の晩餐」の席でのことが取り上げられている。まず、席に着かれると、主イエスが水とたらいとタオルを取り、弟子たちの足を洗われて、「あなたがたもまた、互いに足を洗わなければなりません。」14)と教えられた。次に、18節では、「聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かって、かかとを上げます』とかいてあることを、あなたがたが信じるためです。」と言われた。これは、詩編41:9の預言の言葉である。

今日は、かなり難しい説教の準備となる。まずは、ユダの失敗を考えてみたい。

一,ユダの失敗・罪

1)弟子たちの動揺

●21節では、主イエスは心が動揺しながらも証しされた。「まことに、まことにあなたがたに言います。あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ります。」2

上は、レオナルド・ダ・ヴィンチ作、下は作者

 弟子たちは誰のことを言われているのかが分からず当惑し、互いに顔を見合わせていた。22)その時、その瞬間の弟子たちの様子を多くの画家が描いている。

●左の絵では、こちらから見て、中心のイエス様の左二人目に座り、三人目のペテロが体を乗り出してヨハネに話しかけていて、その手前にいるのがユダである。右の絵は作者不明で、同様のものは他にも多いが、ユダだけが手前に座っている。右の作品には劇的な内容に乏しいが、左のダ・ヴィンチの絵では、21節のことばの直後ということが見える。弟子たちは動揺して議論し、ペテロは身を乗り出してヨハネに問いかけている。その為に、ユダは手前に押されていている。他と違い、一人だけ光が当たっていない。

2)ユダの働きや発言

●ユダの名前が最初に登場するのは、マタイでは10:4で、12弟子の紹介の中の最後に「熱心党員シモンと、イエスを裏切ったイスカリオテのユダである」とある。マルコ伝では3:19で、同じく12弟子の一覧の最後に出る。ヨハネでは6:70-71で、「イエスは彼らに答えられた。『わたしがあなたがた12人を選んだのではありませんか。しかし、あなたがたのうちの一人は悪魔です。』イエスはイスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのであった。」とある。ペテロなどの場合は、弟子としての召しから始まることが多いが、ユダの場合は、それは一切なく、12人揃った段階で、こうして「悪魔」であると説明されている。

●ということは、三年半の働きの中での彼の変化ではなく、当初からイエス様が「自分を売る者」として、ユダを12人の中に入れていたことが分かる。

●最後の晩餐以外にユダが聖書に登場するのはヨハネ12章1-8節の「マリヤの香油そそぎ」のところだけである。主は11章のラザロの死からの蘇生の記述の後、過越の祭の六日前に、ベタニヤに滞在されたが、ラザロもマルタ、マリヤも姉妹としてそこにいた。その席で、マリヤはイエス様に、純粋で非常に高価なナルドの香油を主の足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

 しかし、そのとき、イスカリオテのユダが言った。「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」と。

➡聖書は、この発言について、次のように記述している。

*12:4-5)「弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。『どうして、この香油を貧しい人々に施さなかったのか。』彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。」

 この「盗んでいた」との説明はとても重要である。ユダのことばだけだと、彼が貧しい人のことを心配しているように見えるが、そうではなく、以前から悪質な罪の行動を継続していたことになる。

3)首を吊ったことから推測できること

●上の12:4-5の記述から見ると、ユダは「金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいた」と言うことで、「お金目当てで主を祭司長に売った」ということは間違いない。

●只、別の理由を推測すると、それは、その後首を吊って自殺したことから見て、ほんの少し「良心の呵責」が少しあったことと、「逮捕されそうになると、天使の軍勢を呼んで戦い、地上での王国を築くというユダヤ人が持っていた願いを実現してくれるだろうとの期待から、わざと逮捕されることを画策した」という説、解釈もある。

●一番大事なことは、主が、「わざと、自分を裏切る者を入れていた」ことである。悲しいかな、「贖いの計画を実行するための一つの駒」として、そのような人間が必要だった。さらに、「十字架に付けろ!」と叫んで群衆を扇動したユダヤ教の指導者たちも、悲しいかな、最悪の罪に支配された者として、自らその役割を演じた。

二,ユダとユダヤ民族は「被害者」か?

1)ユダへの同情からキリスト批判へ

●ユダヤ人の果たした反キリストの役割や、ユダの裏切りについて、そこからキリストを批判する人もいる。

(1)「ご自分の民と言いながら、なぜユダヤ人をもっと従順な民にしなかったのか」=「なぜ、苦しい目に遭わせるために彼らを造ったのか」・・・などの疑問、批判である。

(2)ユダの場合も、「ユダは生まれてこない方がよかった」「何故ユダを造ったのか」と。

●これらの批判には、「人間に自由が与えられている」ことと、「彼らは、自ら罪を選んだ頑なな者だった」ということを忘れている。

*伝道者の書7:29「神は人を真っ直ぐな者に造られたが、人は多くの理屈を探し求めたということだ。」

●聖書をよく読むと、次のことが理解できるはずである。

① 人が造られたときには、幼子のように素直な者として創造されたが、創造主は、人が罪を犯さないように教えられた=善悪を自分で判断する生き方をしてはいけない=わたしに聞き従いなさい、と。

② しかし、人の創造の前に「御使い」がいて、その中の一人の天使長(明けの明星・ルシファー・サタン)が、妬みから人を罪に誘惑するだろうと知っておられた。

③ そのとおり、サタンは人を誘惑して罪を犯させて死が入り、永遠のいのちが取られた。

④ 創造主は、主を礼拝する神の家系から、一人の信仰者・アブラハムを見出し、彼から信仰の民を育て、その民の中から「救い主・救い主」を送り、彼の身代わりの死によって、信じる者を「ご自分の子、民とする」「新しい天地に置き、愛する子に永遠のいのちを与える」計画を持たれた。そして、ユダヤの民が育てられた。

➎ しかし、ユダヤの民は「頑固で、反抗的」、荒野でも反抗したので、主はその多くを裁かざるを得なかった。

  • 選ばれた民であるユダヤ人であるが、特に頑固な者たちは、これまでも預言者たちを殺し、世にこられたキリストを「十字架に付けろ」と騒ぎ、また、弟子の中の一人=ユダにもサタンが入って、主を逮捕させる役割を引き受けた。
  • ユダヤ人が頑固で罪深いことは、主がご存じで、イザヤの召命の際も、次のように言われている。

*イザヤ6:9-10「すると主は言われた。『行って、この民に告げよ。【聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな】と。この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を固く閉ざせ。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒やされることもないように。』」

➡この主のことばは、【わざと、頑なにさせる】という風に聞こえるが、そうではない。「彼らがどんなに頑なでも、語り続けよ」との逆説的な意味である。

  • キリストは、訴える者、売る者(引き渡す者)が誰であるかを知っておられたが、「人類、信仰者の救い・贖いのために」そのことを黙って進められた。
  • 人間の側の頑なさ、罪故に、それを厳しく罰せられるが、罪と頑なさを悲しみ、この中で、イエス様が自ら十字架に貼り付けられて苦しむという、最も厳しい役割を受けて下さった。そこに主の愛がある。

2)ユダ+ユダヤ民族非難は危険

●ユダとユダヤ教指導者たちに逮捕され、裁判・死刑となったが、そのことによって、ユダヤ民族そのものを憎み、嫌う風潮が異邦人社会に拡大した。それは、紀元70年の『離散』から始まり、約1900年間続いた「反ユダヤ主義」である。それは、残念ながらキリスト教界を一定支配し、影響を受けてユダヤ人を迫害する政治的な風潮となった。宗教改革後も続き、マルチン・ルターもユダヤ人への批判をしていた。(ユダヤ人迫害への追い風となったと言われる)

●神学的に大事な問題は、「ユダヤ人への主の祝福は取り去られ、クリスチャンに置き換えられた」とする「置き換え神学」であるが、この神学は、私は間違いであると思っている。

➡同じような神学の間違いは、「聖書の創造は、進化論に置き換えられた」との近代の自由主義神学である。

●ユダヤ人迫害はヨーロッパ全体に拡がりを見せ、彼らが離散した殆どの国で、嫌われ、圧制者=国王などによる『国外追放』も多かった。スペインのバルセロナに旅したときも、バルセロナの旧市街地区の三分の一が旧ユダヤ人居留地区であったが、千年以上暮らし、築いてきた居留地を国王の一声によって追放されたという。土地や家、家財も全て残して、貴金属だけ持ち、着の身着のまま国外に逃れたユダヤ人の心を想像すると同情を禁じ得ない。

 そして、その迫害の最たるものが「ナチスによる600万人の虐殺」である。

●虐殺まで行かなくても、ユダヤ人を嫌い、「キリストを殺した民」と受け取る単純な思想は、黒人差別と似て悪質である。しかし、ユダヤ人への差別とナチスによる虐殺は思いがけない事態を生じた。それがシオニズム運動であり、それを良識ある人々の支持と主のご計画で、1948年にイスラエル建国に進展した。しかも、その後の4度の中東戦争においてのイスラエルの勝利と現状を見るとき、主の遠大な人類救済のご計画に、イスラエル、ユダヤが果たしている役割を認めざるを得ない。主はイスラエル、ユダヤを用いて、全人類の救いを達成しようとされているのである。

●主の救いのご計画の中心地は、再びユダ=イスラエルとなる。イスラムの過激派の諸国がロシアと共にイスラエル攻めるときに主の再臨がある。その時には、多くのイスラエルの民もイエス・キリストを信じているはずである。

三,ユダにならないために

1)「サタンが入る」ことを警戒する

●聖書箇所から見て、一番重要なワードは、「ユダにサタンが入った」ということである。主は最初からその日をご存じであったが、ユダは決断できないで側にいたはずで、最後の晩餐のときに、遂にサタンが入った。それで行動に移したと見える。

●クリスチャンで大きい罪を犯す人も、その下地や思いがあり、何かの積み重ねがあり、(おそらく)心の迷いもあるはずである。しかし、それが一気に行動に移すときには、重い「罪」の行動であれば「サタンが入る」重大な事態も起りかねない。

●ある牧師に伺ったが、その牧師は、実際に二年間牧会されていた大阪市内の教会では、市の商業地区の中心地で、「ビジネスマン伝道」と銘打って、コンサートも一年中、しかも平日のコンサートも毎月実施し、音楽家は交通費だけということで、他教会からの批判も出た。その教会では、大阪各地や兵庫県の各地の教会から移って出席している男性が多いと聞いたが、元の教会からの「転出許可書」を、要請しても送って貰えない人が多いとも聞いた。ということは、母教会で問題となって、対立して離れてきた人が多いのだろう。(毎週の祈り会のあとは大勢で飲み屋に行き、研修会キャンプなどでは、信徒が勝手に「宴会」を開くとのこと)

●この人たちの多くは、お酒のことなどで教会(牧師)と対立した経験があることは想像に難くないが、そこに、「怒り、裁き、悪口、党派的行動」などが重なるとやはり問題を起こしやすい。その発言や行動が続けば、「罪の下地」が出来て、それが継続する。そして、その罪の悔い改めが一切なくて、「怒りや裁き」が増幅したときに「罪の行動」になり、そのレベルが高いときは、「サタンが入って」とんでもない造反行動等となるから、平素の罪の下地を持つことがあってはいけない。そして、それが増幅されるといつかサタンが入る怖れがある。

2)自分の計画を優先する危険

●聖書は(箴言6:6-11、20:1)強い酒、大酒を飲む者と交わってはいけないとあり、また仕事をしないで怠けることを戒めている。「ぶどう酒は。あざける者。強い酒は、騒ぐ者。」箴言20:1「大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな。」23:20)

人はすぐには変われないが、少しずつ変わる努力が期待されている。しかし、10-20年仕事をしないで親にだけ依存する人や、強いお酒を毎日多量に飲む人など、あるいは、自分を偉く見せたい、他人を非難する、組織、人々を自分中心に動かしたい人、自分が全てを支配する教会にしたいなどの「計画」があれば、それを完全に捨てない限りは、平素から次第に「派閥行動」を取り、「自分の派閥」に入る人を集めようとする。これは聖書が一番戒めている行動であるが、その下地を持ち続けている限り、いつかサタンが入る危険性がある。

イエス様は何度も言われた。「あなたがたのうちで偉くなりたい人は、仕えるものになりなさい。子どものようになりなさい」・・・と。

●私たちは皆、怒り、支配欲、感情や自己中心の欲望(支配欲、名誉欲など)に支配されないよう、平素から、そのような「罪の種」を持たないように、いつも愛と感謝に満たされ一致していくことを心がけたい。主の愛を受け、守られるように、永遠のいのちを失わないようにしたい。

●祈り

礼拝説教原稿―C⑦ 2019.10.13 聖書箇所:黙示録11章14-15節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「終わりの時に起こること」

―黙示録のまとめ―

はじめに:今日は、聖書箇所が黙示録なので、11章だけでなく、黙示録のまとめとして、わかりやすく重要箇所だけを整理して、「主題説教」として行います。荒天でなければ、高齢の方も見えると聞きましたから、わかりやすく書きます。

一,創造主のご計画

1)永遠の時の中での今

●聖書全体を見て、私たちは今どこにいるか、創造主の御計画は何かを表にした。

①永遠の昔からあり、今の天地へ➡永遠の始まりから地球の創造まで(今の天地)

 始まりは人間にはわからない永遠の昔から自らおられるお方

創造主、御使いが長期に準備して創造

②今の天地約6千年:今の宇宙と地球、時間+空間+質量 法則設定された

 約6千年前に誕生(1日24時間に設定)人の罪➡救い、再臨

③永遠➡新天新地へ:地球を造り替え、永遠の新しい天地にされる。新しい法則が支配?

 キリストの二度目の来臨で、最後の審判をされ、神の子は永遠のいのち

  • 時間軸で見ると、今の人類は永遠の中での「たった6千年」という短い時間内にいる。
  • しかも、それは、永遠の時間の中で、人間のために準備され、創造された地球にいる。
  • 今は、今後永遠にどこで生きるかが問われている。イ)神の国、ロ)地獄
  • イ)の神の国に入るのは「キリスト信仰」だけ。それ以外のことは、主が決めることであり、人間には分からない。
  • ロ)不信仰=キリストを信じない人には救いはない、と聖書。

*「わたしは門です。わたしを通ってでなければ、父の御元に行けません」キリスト)

2)今後の永遠があるということ:=死んで終わらない=聖書全体、特に黙示録

●聖書は多くの箇所で、「今の世の終わり」と「新しい世界」を教える。

*イザヤ」46:10「わたしは終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』という。」

*Ⅰコリント10:11「世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」

*同上15:24-25「それから終わりが来ます。そのときキリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。」

*ダニエル2:28「この方が終わりの日に起こることをネブカドネザル(ネブカドネツアル)王に示されたのです。」

*マタイ24:14「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、全ての民族に証しされ、それから終わりが来ます。」

*Ⅱテモテ3:1「終わりの日には困難な時代がやってくることを、承知していなさい。」

*黙示録21:5「わたしは、すべてを新しくする。」

*黙示録21:1-2「私は、『新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。』」

3)キリスト再臨が最大の区切りとなる*マタイ24章)

●宇宙の歴史、特に地球と人間に関して言えば、キリストが二度来られることが最大の区切りとなる。一度目は約2000年前。二度目は近いうちに起きると予想される二度目の来臨=再臨。初臨と再臨のその大きな意味は・・・

① 初臨:宣教と十字架:創世から旧約時代までの約4千年間の信仰者を天に上げる。(2人を除いて、みなよみの慰めの場所にいた。)キリストは身代わりの刑を受けて死に、よみに降り、彼らを引き上げた。(凱旋の行進)

② 再臨と再生、平和の時代(千年王国):新約時代の終わりに地球に再臨され、地球を再生させられる。悪は全て滅ぼし、軍隊もなくなる。平和になる。公害、環境汚染は全て再生され、地球は造り替えられ、核汚染なども除去されるだろう。キリストとクリスチャンが地上を支配、指導する=千年王国とも呼ぶ。(千年かどうかは明確でない。一定期間?)創世からノアの洪水迄の約千年に近い

③ 最後の審判:サタンに従う者=信仰を持たない、罪を犯す者=を裁く。全時代の、死後よみにいる者(慰め、苦しみの場所)全部を集めて裁きをなされる。(クリスチャンは報告)

④ 永遠:よみはなくなり、天国と地獄だけ。永遠の世界。地上に天の都が降りてくる。

  (牧師が最近描いている作品のテーマ) もはや、死もなく、悲しみ、叫びもない。

*黙示録21:1-2)「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降ってくるのを見た。」

二,黙示録の概要

1)七つの封印と七つのラッパ、七つの鉢、もう一つの巻物)

●黙示録の内容は複雑だから、そのまま読むと混乱する。次のことを知っておくことが大事。

① 巻物は七つの封印をしてある。封印を解く(=終わりの時に主権を持ち展開する)のはキリスト以外にない。

② 巻物の外側にはダイジェストとして全体を書いている。(一度、全体が出て来る)

③ 七つ目の封印を取ると巻物が開き、最初から再び、七つのラッパとして詳しく展開する。

④ 七つ目のラッパが鳴るときには、「開かれたもう一つの小さい巻物」が与えられ、詳しく書かれている。そこに七つの鉢があり、七つの裁きがなされる。

●イエス様のことば(特にマタイ24章)とパウロのことばを中心にして理解しておくと良い。

2)イエス様のことばと黙示録、並行してみる)(*元の表を外す)

マタイ24 章

(14)福音が全世界に伝えられる=福音の勝利

(5)わたしの名を名乗る者が大勢表われる。=ニセキリスト

(6)戦争や戦争のうわさ

(7)民族紛争、飢饉、地震

(9)クリスチャン迫害受ける

(11)偽預言者惑わす

(16)「荒らす忌まわしいもの」聖なる所に立つ、逃げなさい

(24-29)大きな苦難がある、それに続いて天変地異(太陽暗く、月光らず、星天から落ちる)

(30)キリスト再臨;天の雲のうちに、力と栄光とともに。大きなラッパ響く

(31)キリスト:御使いたちを遣わし選んだ者たちを集める。

黙示録➊:七つの封印 ダイジェスト

6:2:子羊第一の封印解く=白い馬「勝利の上に勝利」

6:4:第二封印赤い馬、地から平和奪われる。

6:5第三封印黒い馬飢饉

6:7第四封印青い馬剣、飢饉、死病

6:9第五封印クリスチャン迫害、殺害

6:12第六封印、地震、太陽月星落下

6:14天が巻かれるように消える。

6:6:17「子羊の御怒りの大いなる日が来た」=キリスト再臨

7章:14万4千人

全ての国民からの大群衆(いのちの水の泉に)

黙示録➋:七つのラッパ ➌六のラッパの後に開かれた巻物

8:7)①ラッパ地の三分の一焼かれる。

8:8)②ラッパ燃える山海に、海の三分の一血に

8:10-11)③ラッパ燃える星・ニガヨモギが川、水源に

8:12)④ラッパ太陽、月星三分の一打たれ暗くなる

9:1-11)⑤ラッパ一つの星落ち、地の底に穴、「いなご」出る、5ヶ月間 (額に神の印持たない)人々を苦しめる

9:13-21⑥ラッパ4人の御使い解き放たれ、二億の騎兵、人類の三分の一殺す

10:2開かれた小さい巻物

11:1-2)神殿の外。彼ら異邦人たちは42ヶ月間都を踏みにじる

11:3「わたしの2人の証人預言する」(1260日間)

*12章はイスラエルとキリストの歴史。サタン地に落とされ、最後の近いことを知り攻撃

13:1-18)十本の角と七つの頭の「獣」

●13:3)七つの頭の一つ=獣は打たれて死んだかと思われたが直って全地が驚く➡13:5)竜が獣に権威を与え、獣は42ヶ月間(3年半)活動。*13:14-18)

イ)獣の像造り、その像がものを言う、拝まない者を殺す

ロ)右手か額に刻印受けさせ、刻印持たない者売り買いできない。数字は666

14:1-5)子羊シオンの山の上に立つ

14万4千人一緒

15章から7人の御使いによる七つの災害=鉢

15章から7人の御使い七つの災害=鉢=「再臨後」

●15章1-8):7人の御使い、最後の七つの災害携えて、神殿から出てくる。

●16章1-21)

鉢1:第一の御使い、獣の刻印受けている者、拝む者に悪性の腫れ物

鉢2:第二の御使い、鉢の中身を海に注ぐ、海の中の生きものみな死ぬ

鉢3:第三の御使い、川と水の源に注ぐ、それらは血に

鉢4:第四の御使い、鉢の中身を太陽に注ぐ、太陽は人々を火で焼く(灼熱地球)

鉢5:第五の御使い、鉢の中身を獣の座に注ぐ、獣の王国は闇におおわれる

鉢6:第六の御使い、東からの王達の道備える。竜、獣、偽預言者、全世界の王達を招集する、ハルマゲドンの戦い鉢7:第七の御使い、大きい強い地震

都は裂かれ、町々は倒れる、島は逃げ去り、山々も見えなくなる、一タラントほどの大きな雹が降る

●17章1-18節、獣(七つの頭と十本の角)、大淫婦との戦いと子羊の勝利

18章:大バビロンは倒れた

19章:大群衆の声、24人の長老、四つの生き物、御座の方を礼拝

白い馬:天の軍勢と共に義をもって裁く、天での大宴会

●千年王国の記述、

20章:竜すなわち、悪魔、サタンの古い蛇を捕らえて千年の間縛る

●20章4-6):第一の復活:「彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。

●20章7-10)千年王国後のサタンの反乱と裁き。

●白い御座の裁き:20:11-14)=最後の審判

●新天新地:21-22章)

●聖なる都、新しいエルサレム降りてくる。21:1-27)

●いのちの水の川、いのちの木*22:1-2)

3)再臨前と再臨後

●黙示録15章以後に「七つの鉢の裁き」=地上への艱難があるが、その前の14章にキリストの再臨があるから、再臨後の地上への裁きである。このとき、クリスチャンは天に上げられていて裁きを受けない。

●マタイ24章の24-29節と、黙示録6章12-14節の天変地異は「再臨直前のしるし」か、「再臨後の裁き」か、解釈が難しい。再臨後なら、クリスチャンは地上にはいないから、この裁きを受けない。再臨前には「太陽・月・星の落下、天が巻かれるように消える。」などは起こらないと思える。

三,再臨前のしるし

1)黙示11章の獣の支配42ヶ月、2人の証人1260日も断定しないこと

●今日の聖書箇所11章2節の「異邦人の支配42ヶ月間」、「2人の証人の預言1260日間」の記述は、他も同じであるが、すべて文字取りに行われるかどうかは断定できないし、断定しないほうが良い。「獣」が一定期間支配すること、聖徒の迫害があることは必定であるが、イエス様は、その期間を早く終わらせることを言われている。

 二人の証人は,実際にこのようなことがあれば驚きであり、はっきりするが、それはこの二千年間の教会は旧教(カトリック)と新教(プロテスタン)の説もある。「このことがまだ起きないから再臨はない」と断定しないことが大事。

●13章にある「右手か額に刻印受けさせ、刻印持たない者売り買いできない。数字は666」の預言も同じ姿勢が大事。獣と呼ばれる反キリストの独裁者が登場すれば、「技術的には既に可能であるから」、注意しておいたほうが良い。

➡一番注目しておくべきは、次の獣の登場と、イスラエルへの総攻撃である。

2)一致する「獣」預言:ダニエル、主イエス、パウロ、エゼキエル)

●私たちが一番重要視しなければならないのは、「キリスト再臨」前のしるしである。次のように、聖書は重要視している。それは、イスラエル(エルサレム)が攻撃されるとき!

①イエス様ご自身:マタイ24:14-16+21-22)「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証され、それから終わりが来ます。それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が、聖なる所に立っているのを見たら―読者はよく理解せよ―ユダヤにいる人たちは山に逃げなさい。」・・・「そのときには、世の始まりから今に至るまで決してないような、大きな苦難があるからです。もし、その日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。」

②パウロ:(Ⅱテサロニケ2:3-4)「どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず、背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。

●Ⅱテサロニケ1:7-9)「このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという「刑罰を受け、主の御前から、そしてその御力の栄光から退けられます。」

③ダニエル:(ダニエル9:27)「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼(神殿)の上に、荒らす憎む者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」

④エゼキエル:エゼキエル38:1-23)一部掲載:「おまえ(マゴグの地のゴグ)と、おまえの全軍勢を出陣させる。・・・ペルシャとクシュとプテも彼らとともにいて、・・・多くの日が過ぎて、おまえは徴収され、多くの年月の後、おまえは、一つの国に侵入する。そこは剣の災害から立ち直り、多くの国々の民の中から、久しく廃墟であったイスラエルの山々に集められた者たちの国である。その民は国々の民の中から導き出され、みな安らかに住んでいる。」

⑤ゼカリヤ14:1-5)「見よ。主の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。『わたしはすべての国を集めて、エルサレムを攻めさせる。・・・その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。・・・』

同12:10「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しくなくかのように、その者のために激しく泣く。」

3)実現が近い世界情勢

●ロシヤの中東、アフリカ進出は異常に多く、イランに基地多数を持ち、イランは「イスラエルをロケットで滅ぼす準備は出来た」と宣言している。また、ロシヤはアフリカ諸国にも軍事進出している。(週報写真右上)エゼキエル38:5にあるペルシャ(イラン)、クシュ(エチオピア)、プテ(リビヤ)も、完全にロシヤ(ゴグ)と行動を共にする態勢になっている。(この預言2600年前)

●あまりにも多くの預言があって、理解が困難だが、最も大事な目印を教えて下さっているから、『獣』の登場と、「イスラエルへの総攻撃」に注目しておきたい。他のことは、それが起れば確認するということで、油断せず、心配せずに祈って歩みたい。

礼拝説教原稿―C⑦ 2019.10.13 聖書箇所:黙示録11章14-15節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「終わりの時に起こること」

―黙示録のまとめ―

はじめに:今日は、聖書箇所が黙示録なので、11章だけでなく、黙示録のまとめとして、わかりやすく重要箇所だけを整理して、「主題説教」として行います。荒天でなければ、高齢の方も見えると聞きましたから、わかりやすく書きます。

一,創造主のご計画

1)永遠の時の中での今

●聖書全体を見て、私たちは今どこにいるか、創造主の御計画は何かを表にした。

①永遠の昔からあり、今の天地へ➡永遠の始まりから地球の創造まで(今の天地)

 始まりは人間にはわからない永遠の昔から自らおられるお方

創造主、御使いが長期に準備して創造

②今の天地約6千年:今の宇宙と地球、時間+空間+質量 法則設定された

 約6千年前に誕生(1日24時間に設定)人の罪➡救い、再臨

③永遠➡新天新地へ:地球を造り替え、永遠の新しい天地にされる。新しい法則が支配?

 キリストの二度目の来臨で、最後の審判をされ、神の子は永遠のいのち

  • 時間軸で見ると、今の人類は永遠の中での「たった6千年」という短い時間内にいる。
  • しかも、それは、永遠の時間の中で、人間のために準備され、創造された地球にいる。
  • 今は、今後永遠にどこで生きるかが問われている。イ)神の国、ロ)地獄
  • イ)の神の国に入るのは「キリスト信仰」だけ。それ以外のことは、主が決めることであり、人間には分からない。
  • ロ)不信仰=キリストを信じない人には救いはない、と聖書。

*「わたしは門です。わたしを通ってでなければ、父の御元に行けません」キリスト)

2)今後の永遠があるということ:=死んで終わらない=聖書全体、特に黙示録

●聖書は多くの箇所で、「今の世の終わり」と「新しい世界」を教える。

*イザヤ」46:10「わたしは終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ、『わたしのはかりごとは成就し、わたしの望む事をすべて成し遂げる』という。」

*Ⅰコリント10:11「世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」

*同上15:24-25「それから終わりが来ます。そのときキリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。」

*ダニエル2:28「この方が終わりの日に起こることをネブカドネザル(ネブカドネツアル)王に示されたのです。」

*マタイ24:14「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、全ての民族に証しされ、それから終わりが来ます。」

*Ⅱテモテ3:1「終わりの日には困難な時代がやってくることを、承知していなさい。」

*黙示録21:5「わたしは、すべてを新しくする。」

*黙示録21:1-2「私は、『新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。』」

3)キリスト再臨が最大の区切りとなる*マタイ24章)

●宇宙の歴史、特に地球と人間に関して言えば、キリストが二度来られることが最大の区切りとなる。一度目は約2000年前。二度目は近いうちに起きると予想される二度目の来臨=再臨。初臨と再臨のその大きな意味は・・・

① 初臨:宣教と十字架:創世から旧約時代までの約4千年間の信仰者を天に上げる。(2人を除いて、みなよみの慰めの場所にいた。)キリストは身代わりの刑を受けて死に、よみに降り、彼らを引き上げた。(凱旋の行進)

② 再臨と再生、平和の時代(千年王国):新約時代の終わりに地球に再臨され、地球を再生させられる。悪は全て滅ぼし、軍隊もなくなる。平和になる。公害、環境汚染は全て再生され、地球は造り替えられ、核汚染なども除去されるだろう。キリストとクリスチャンが地上を支配、指導する=千年王国とも呼ぶ。(千年かどうかは明確でない。一定期間?)創世からノアの洪水迄の約千年に近い

③ 最後の審判:サタンに従う者=信仰を持たない、罪を犯す者=を裁く。全時代の、死後よみにいる者(慰め、苦しみの場所)全部を集めて裁きをなされる。(クリスチャンは報告)

④ 永遠:よみはなくなり、天国と地獄だけ。永遠の世界。地上に天の都が降りてくる。

  (牧師が最近描いている作品のテーマ) もはや、死もなく、悲しみ、叫びもない。

*黙示録21:1-2)「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降ってくるのを見た。」

二,黙示録の概要

1)七つの封印と七つのラッパ、七つの鉢、もう一つの巻物)

●黙示録の内容は複雑だから、そのまま読むと混乱する。次のことを知っておくことが大事。

① 巻物は七つの封印をしてある。封印を解く(=終わりの時に主権を持ち展開する)のはキリスト以外にない。

② 巻物の外側にはダイジェストとして全体を書いている。(一度、全体が出て来る)

③ 七つ目の封印を取ると巻物が開き、最初から再び、七つのラッパとして詳しく展開する。

④ 七つ目のラッパが鳴るときには、「開かれたもう一つの小さい巻物」が与えられ、詳しく書かれている。そこに七つの鉢があり、七つの裁きがなされる。

●イエス様のことば(特にマタイ24章)とパウロのことばを中心にして理解しておくと良い。

2)イエス様のことばと黙示録、並行してみる)(*元の表を外す)

マタイ24 章

(14)福音が全世界に伝えられる=福音の勝利

(5)わたしの名を名乗る者が大勢表われる。=ニセキリスト

(6)戦争や戦争のうわさ

(7)民族紛争、飢饉、地震

(9)クリスチャン迫害受ける

(11)偽預言者惑わす

(16)「荒らす忌まわしいもの」聖なる所に立つ、逃げなさい

(24-29)大きな苦難がある、それに続いて天変地異(太陽暗く、月光らず、星天から落ちる)

(30)キリスト再臨;天の雲のうちに、力と栄光とともに。大きなラッパ響く

(31)キリスト:御使いたちを遣わし選んだ者たちを集める。

黙示録➊:七つの封印 ダイジェスト

6:2:子羊第一の封印解く=白い馬「勝利の上に勝利」

6:4:第二封印赤い馬、地から平和奪われる。

6:5第三封印黒い馬飢饉

6:7第四封印青い馬剣、飢饉、死病

6:9第五封印クリスチャン迫害、殺害

6:12第六封印、地震、太陽月星落下

6:14天が巻かれるように消える。

6:6:17「子羊の御怒りの大いなる日が来た」=キリスト再臨

7章:14万4千人

全ての国民からの大群衆(いのちの水の泉に)

黙示録➋:七つのラッパ ➌六のラッパの後に開かれた巻物

8:7)①ラッパ地の三分の一焼かれる。

8:8)②ラッパ燃える山海に、海の三分の一血に

8:10-11)③ラッパ燃える星・ニガヨモギが川、水源に

8:12)④ラッパ太陽、月星三分の一打たれ暗くなる

9:1-11)⑤ラッパ一つの星落ち、地の底に穴、「いなご」出る、5ヶ月間 (額に神の印持たない)人々を苦しめる

9:13-21⑥ラッパ4人の御使い解き放たれ、二億の騎兵、人類の三分の一殺す

10:2開かれた小さい巻物

11:1-2)神殿の外。彼ら異邦人たちは42ヶ月間都を踏みにじる

11:3「わたしの2人の証人預言する」(1260日間)

*12章はイスラエルとキリストの歴史。サタン地に落とされ、最後の近いことを知り攻撃

13:1-18)十本の角と七つの頭の「獣」

●13:3)七つの頭の一つ=獣は打たれて死んだかと思われたが直って全地が驚く➡13:5)竜が獣に権威を与え、獣は42ヶ月間(3年半)活動。*13:14-18)

イ)獣の像造り、その像がものを言う、拝まない者を殺す

ロ)右手か額に刻印受けさせ、刻印持たない者売り買いできない。数字は666

14:1-5)子羊シオンの山の上に立つ

14万4千人一緒

15章から7人の御使いによる七つの災害=鉢

15章から7人の御使い七つの災害=鉢=「再臨後」

●15章1-8):7人の御使い、最後の七つの災害携えて、神殿から出てくる。

●16章1-21)

鉢1:第一の御使い、獣の刻印受けている者、拝む者に悪性の腫れ物

鉢2:第二の御使い、鉢の中身を海に注ぐ、海の中の生きものみな死ぬ

鉢3:第三の御使い、川と水の源に注ぐ、それらは血に

鉢4:第四の御使い、鉢の中身を太陽に注ぐ、太陽は人々を火で焼く(灼熱地球)

鉢5:第五の御使い、鉢の中身を獣の座に注ぐ、獣の王国は闇におおわれる

鉢6:第六の御使い、東からの王達の道備える。竜、獣、偽預言者、全世界の王達を招集する、ハルマゲドンの戦い鉢7:第七の御使い、大きい強い地震

都は裂かれ、町々は倒れる、島は逃げ去り、山々も見えなくなる、一タラントほどの大きな雹が降る

●17章1-18節、獣(七つの頭と十本の角)、大淫婦との戦いと子羊の勝利

18章:大バビロンは倒れた

19章:大群衆の声、24人の長老、四つの生き物、御座の方を礼拝

白い馬:天の軍勢と共に義をもって裁く、天での大宴会

●千年王国の記述、

20章:竜すなわち、悪魔、サタンの古い蛇を捕らえて千年の間縛る

●20章4-6):第一の復活:「彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。

●20章7-10)千年王国後のサタンの反乱と裁き。

●白い御座の裁き:20:11-14)=最後の審判

●新天新地:21-22章)

●聖なる都、新しいエルサレム降りてくる。21:1-27)

●いのちの水の川、いのちの木*22:1-2)

3)再臨前と再臨後

●黙示録15章以後に「七つの鉢の裁き」=地上への艱難があるが、その前の14章にキリストの再臨があるから、再臨後の地上への裁きである。このとき、クリスチャンは天に上げられていて裁きを受けない。

●マタイ24章の24-29節と、黙示録6章12-14節の天変地異は「再臨直前のしるし」か、「再臨後の裁き」か、解釈が難しい。再臨後なら、クリスチャンは地上にはいないから、この裁きを受けない。再臨前には「太陽・月・星の落下、天が巻かれるように消える。」などは起こらないと思える。

三,再臨前のしるし

1)黙示11章の獣の支配42ヶ月、2人の証人1260日も断定しないこと

●今日の聖書箇所11章2節の「異邦人の支配42ヶ月間」、「2人の証人の預言1260日間」の記述は、他も同じであるが、すべて文字取りに行われるかどうかは断定できないし、断定しないほうが良い。「獣」が一定期間支配すること、聖徒の迫害があることは必定であるが、イエス様は、その期間を早く終わらせることを言われている。

 二人の証人は,実際にこのようなことがあれば驚きであり、はっきりするが、それはこの二千年間の教会は旧教(カトリック)と新教(プロテスタン)の説もある。「このことがまだ起きないから再臨はない」と断定しないことが大事。

●13章にある「右手か額に刻印受けさせ、刻印持たない者売り買いできない。数字は666」の預言も同じ姿勢が大事。獣と呼ばれる反キリストの独裁者が登場すれば、「技術的には既に可能であるから」、注意しておいたほうが良い。

➡一番注目しておくべきは、次の獣の登場と、イスラエルへの総攻撃である。

2)一致する「獣」預言:ダニエル、主イエス、パウロ、エゼキエル)

●私たちが一番重要視しなければならないのは、「キリスト再臨」前のしるしである。次のように、聖書は重要視している。それは、イスラエル(エルサレム)が攻撃されるとき!

①イエス様ご自身:マタイ24:14-16+21-22)「御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証され、それから終わりが来ます。それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が、聖なる所に立っているのを見たら―読者はよく理解せよ―ユダヤにいる人たちは山に逃げなさい。」・・・「そのときには、世の始まりから今に至るまで決してないような、大きな苦難があるからです。もし、その日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。」

②パウロ:(Ⅱテサロニケ2:3-4)「どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず、背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。

●Ⅱテサロニケ1:7-9)「このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという「刑罰を受け、主の御前から、そしてその御力の栄光から退けられます。」

③ダニエル:(ダニエル9:27)「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼(神殿)の上に、荒らす憎む者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」

④エゼキエル:エゼキエル38:1-23)一部掲載:「おまえ(マゴグの地のゴグ)と、おまえの全軍勢を出陣させる。・・・ペルシャとクシュとプテも彼らとともにいて、・・・多くの日が過ぎて、おまえは徴収され、多くの年月の後、おまえは、一つの国に侵入する。そこは剣の災害から立ち直り、多くの国々の民の中から、久しく廃墟であったイスラエルの山々に集められた者たちの国である。その民は国々の民の中から導き出され、みな安らかに住んでいる。」

⑤ゼカリヤ14:1-5)「見よ。主の日が来る。あなたから奪われた戦利品が、あなたのただ中で分配される。『わたしはすべての国を集めて、エルサレムを攻めさせる。・・・その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。・・・』

同12:10「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと嘆願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き、長子を失って激しくなくかのように、その者のために激しく泣く。」

3)実現が近い世界情勢

●ロシヤの中東、アフリカ進出は異常に多く、イランに基地多数を持ち、イランは「イスラエルをロケットで滅ぼす準備は出来た」と宣言している。また、ロシヤはアフリカ諸国にも軍事進出している。(週報写真右上)エゼキエル38:5にあるペルシャ(イラン)、クシュ(エチオピア)、プテ(リビヤ)も、完全にロシヤ(ゴグ)と行動を共にする態勢になっている。(この預言2600年前)

●あまりにも多くの預言があって、理解が困難だが、最も大事な目印を教えて下さっているから、『獣』の登場と、「イスラエルへの総攻撃」に注目しておきたい。他のことは、それが起れば確認するということで、油断せず、心配せずに祈って歩みたい。

●祈り

附)色々な解釈に捕らわれないこと:

●特に:(16)「荒らす忌まわしいもの」聖なる所に立つ、逃げなさい。大きな苦難

(30)キリスト再臨;天の雲のうちに、力と栄光とともに。大きなラッパ響く

(31)キリスト:御使いたちを遣わし選んだ者たちを集める。」~これらから見れば、七年間の患難時代があり、その前に天に上げられる」節は無理がある。

礼拝説教原稿―C⑥ 2019.10.6 聖書箇所:伝道者の書12章1+7-13節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「あなたの若い日に・・・」

はじめに:先々週のメッセージは、来場者に会わせて、急遽原稿を使わないで話しました。今日は初めから原稿を平易な文章にしておきます。

一,哲学的な思考

1)「全てが空しい」*1章)

●伝道者の書を書いたソロモンは、イスラエルの三代目の王で、国全体を統一したダビデ王の息子。しかし、長男ではなく4男。聖書は、ソロモンは初めから主に撰ばれていたと教える。長男、次男、三男それぞれ王として相応しくなく、罪を犯して失脚していく。

又、ソロモンは、ダビデが罪を犯して、その後妻としたバテシェバの子で、約2950年前のこと。(日本の大和大国があったのは、紀元3,4世紀で、北九州か奈良周辺にあったという曖昧なもの)~イスラエルには日本よりも千五百年前から統一国家があった~

●ダビデもバテシェバも特に優れた人だったらしい。(ダビデは王として活躍し、詩編等を書き、主に特別愛されてきた)ソロモンも穏やかで賢く、詩人、哲学者、芸術家と言えよう。第一次の神殿である『ソロモン神殿』を立てた。

●ソロモンは特別知識があり、知恵もあり、世界中から噂を聞いてソロモンに謁見に来た。

*Ⅰ列王記10:1「ときに、シェバの女王は、主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問を持って彼を試そうとやって来た。」「ソロモンは、彼女のすべての問いに答えた。王が分からなくて、彼女に答えられなかったことは何一つなかった。」同14「一年間にソロモンのところに入って来た金の重さは、金の目方で六百六十六キロタラントであった。」

*Ⅰ列王記11:3-4「彼には七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた。ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方に向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」

●愚かで高慢で過激な人ではなく、賢く、平和的な人だったから、王となってからも、兄たちの支持者・将軍に妬みから命を狙う人がいても、相手が自滅するまで待ち、殺害することがなかった。ソロモンという名前も、「平和シャローム」から来ている、

●ソロモンは、この伝道者の書と雅歌を書き、箴言も多く書いている。父ダビデは、多くの詩編を書き、信仰の詩や預言詩も多い。ソロモンの栄華とか、ソロモンの財宝、ソロモンの知恵ということも言い伝えられ、インディーンジョーンズなどの映画のシリーズでも、ソロモンの財宝を狙う攻防が良く登場する。

●イスラエル人の評価という点では、父ダビデの王としての功績(国家統一して平和を築いた)と詩編の素晴らしさから、「父ダビデ」として最も尊敬を集めている。国旗もダビデの星。ソロモンについては、途中からの贅沢三昧(暮らしと、多くの妻とそばめ)が不評で、ダビデほどは尊敬されない。彼の心の変化が伝道者の書に描かれている。

2)「全てが空」という一般受けすることば:1章)

●伝道者の書の魅力は、聖書信仰、キリスト信仰をすぐに打ち出さずに、世間一般の思考と同じものを堂々と出していることにある。そして、そのことばを辿っていくと、最後は聖書を知らずに解決はないとなる。途中は、一つ一つは決して良くないことばが多いから、途中を読むときは注意が必要で、書いていることばが正しいことは限らない。彼が、現在どこまで理解しているかを見きわめないといけない。

●まず、一章からダイジェストで見ていこう。

*3)「空の空。伝道者は言う。空の空。全ては空。日の下でどんなに苦労しても、それが人に何の益になるだろうか。」*4-6「一つの世代が去り、次の世代が来る。しかし、地はいつまでも変わらない。日は昇り、日は沈む。そしてまた、日の昇るところへと急ぐ。風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。・・・」

*9「昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいことは一つもない。」

*13)「私は、天の下で行われる一切のことについて、知恵を用いて尋ね、探り出そうと心に決めた。これは、神が人の子らに、従事するように与えられた辛い仕事だ。」

●最後に17節の次のことばが重要となる。

「私は、知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうと心に決めた。それもまた、風を追うようなものであることを知った。」とある。

3)「ソロモンの事業」と空しさ*2章)

●1章17節で、「狂気と愚かさを知ろう」と書いたソロモンは、その内容を2章に書いている。彼は、普通の国民ではなく国王であるから、その規模は「国家的な」レベルである。

邸宅、ぶどう園、庭と園、果樹園、池、男女の奴隷、家畜(牧場)、金銀、宝石、歌手(音楽家)最後は「多くのそばめ」。

●彼は、振り返って、知恵と狂気と愚かさを見た。そして、気付く。そもそも、王の後を継ぐ者も、すでになされたことをするにすぎない。*12)

●更に、「知恵ある者も、愚かな者も同じ結末に行き着くのなら、」知恵があることにどんな価値があるのか。これもまた空しい。又、知恵のある者も、愚かな者もいつまでも記憶されることはない。日がたつと、一切は忘れられてしまう。=知恵ある者も、愚かな者と同じように死ぬ。*16)

●さらに、どんなに労苦しても、「何の苦労もしなかった者に、自分が受けた分を譲らなければならない」からだ。これもまた空しく、大いに悪しきことだ。:21)

二、すべてのことには定まった時がある*3章)

1)特筆される「哲学的なことば」}3章)

●ソロモンの伝道者の書で一番世に知られているのが、この3章であろう。1章の「全てが空しい」は、どちらかというと「仏教哲学」的である。又、最後の12章のことば(今日の中心聖句)は聖書の宗教的な箴言である。では、この3章は、いわゆる「この世的」な=一般的な人間的な箴言かというと、実はそうではない。「すべてのことには時期があり、天の下の全ての営みに時がある」ということは、「主の時がある」との意味だと言える。

●主の時は「主が定められたとき」:例えば私が教会に来たのは46才のときであるが、前にも話したとおり、18才の時に一度天王寺の教会に行ったことがある。しかし、それこそ、「主が定められたときではなかった」ということで、18才の時は、学生服をきちんと着て、友達と二人で行ったが、じろっと睨まれただけで、名前も住所も聞かれず、「良くいらっしゃいました」と歓迎する人もなく、「来てはいけないのかな」との想いが与えられただけで、二度と行かなかった。ところが、46才になると、主が招いて下さり、行くことが出来て、その後も、主のご計画があって、この教会を始めることとなったから、「生まれる前から見て下さっていた創造主が、私を知っていて下さって、一番相応しいときに呼んで下さった」と理解している。(今思うと、最初行ったのは聖書批評説の教団の教会であり、行くべきではなかった。又、私には、「画家としての様々な活動をしてからクリスチャンになりなさい」とのご計画だったと思える。)

●1-8節には、誕生から死までの全てのことに、時があることが具体的、詩的に書かれている。

●ここで、大事なことは何だろうか?~このことを次のように受け止めて欲しい!

➡「自分が生まれること、それ以後の人生も全部知って下さっていた。

 ②今日、こうして教会の礼拝に来ていることも前もって知っておられた。

 ③一人一人、イエス様を信じ、救われる日、洗礼を受ける日、これからの人生、信仰生活(召される日も)全部知って下さっている。➡守って下さる。

➡その方は、創造主であり、愛の方である。

➡だから、信じ、ゆだねることが出来る。

2)「人の心に永遠を与えられた」*3:11)

●3:11のことばは、素晴らしいことば=箴言であるだけでなく、信仰上の最も重要な意味のあることばである。まず、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」とあるが、さらに、「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」とあり、これが、全ての人に救われる機会が与えられているということに繋がる。

●良く言われることであるが、重い犯罪を犯した人の殆どは、留置場や刑務所で犯した罪に苦しむとのこと。特に、犯罪を犯していながら自白していない期間は、罪にさいなまれる。耐えられずに、自白すると、それからは少しほっとして夜も寝られ、食事も取れると聞く。だから、5人、10人を殺害しても尚罪の意識を持たないとすれば、それは「罪意識の持てない重い精神障害」だと言われる。

➡ここで、犯罪人が罪に苦しむ理由は、「被害者への同情」だけではなく、「自らに下る裁き」への恐怖だと推測できる。つまり、「自分は裁きを受けて、永遠の地獄に行く」ことにおびえているのだろう。つまり、死んだら終わりとは思えず、「永遠」への恐怖が与えられる、そこに、改悛(悔悛)への導きがある。その思いは、罪を犯した後だけでなく、罪を犯す前にもあり、罪を思いとどまらせる力となる

➡それは、犯罪人だけではない!全ての人に「永遠のへの思い」が与えられ、良心が働き、更に「信仰心」が芽生える。永遠の救いを求める気持は、こうして、創造主が人に与えて下さった恵みなのである。

●3:12-13では、「私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。人が皆食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。」と、この段階では、生かされている間の楽しみを見いだすことのみに全てがあるとの考えである。

3)4章以降のことば:

*4:9「二人は一人よりもまさっている。二人の労苦は、良い報いがあるからだ。」

*5:1「神の宮へ行くときは、自分の足に気をつけよ。」

*5:2「神の前では、軽々しく心焦ってことばを出すな。」

*5:4「神に誓願を立てるときには、それを果たすのを遅らせてはならない。愚かな者は喜ばれない。誓ったことは果たせ。」

*5:10「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまたむなしい。」

*5:12「働く者は少し食べても多く食べても、心地よく眠る。富む者は満腹しても、安眠を妨げられる。」

*7:2-3「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行く方がよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。悲しみは笑いにまさる」

*8:11「悪い行いに対する宣告がすぐに下されないので、人の子らの心は、悪を行う思いで満ちている。悪を百回行っても、罪人は長生きしている。しかし、私は、神を恐れる者が神の御前で恐れ、幸せであることを知っている。」

*8:17「すべては神のみわざであることが分かった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して探し求めても、見出すことはない。知恵のある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。」

*9:3「日の下で行われることすべてのうちで最も悪いことは、同じ結末(=死)がすべての人に臨むということ。」

*9:5「死んだ者は何も知らない。彼らには、もはや何の報いもなく、まことに呼び名さえも忘れられる。・・・」

三、あなたの若い日に・・・

1)あなたのパンを水の上に投げよ*11:1)

●1-3章、4-9章のことばを見てきたが、中盤の4-9章には、残念ながら特筆するほどの信仰に関することばはない。ソロモンは、全ての人が同じ結末に行く(死)に不満、疑問がある(9:2)。悪人が地上で裁きを受けない=長生きしていることも喜ばしいことではない。すぐに裁きがないことによって、人の心が悪に向かいやすい。(8:11)

●死に対する絶望がある。死ねば何も残らない=忘れられるのではないか。(9:5など)

●しかし、9:2の「正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にある」9:1)からは変化が見られる。8:17での、「人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない」とことばに続いて出た、人の知恵の限界を知った上での、「造り主」に委ねるという心である。

2)「死んだハエ」の罪と裁き*10:1)

●「死んだハエ」は実にわかりやすい比喩である。これが混じれば、どんな高級の香油でも腐らせる。飲み物や料理に混じりこめば、全体が汚れたものとされ、廃棄される。

同じように、人の考えや行い、信仰に「死んだハエ」が入れば汚れたものとされ、全部が処罰される。死んだハエ=愚かさである。創造主の否定、自分を救い、赦し、愛して下さる方を否定する、これが神=創造主から見た、愚かさである。

3)「パンを水に投げる」*11章)

●パンも水も、聖書では色々な比喩として使われる。ここでは、パンは「良い行いや人を助けること、良いことば」であり、水は「この世、人々」との意味であろう。

 これは、信仰が土台となり、天から主が見て下さっているとの信仰があって出来ることと言える。その信仰がないと、人は自己中心この世中心になり、自分の喜びや豊かさを分け与えることは出来ないものである。パンを水に投げても、ずっと後の日になって、それを見出すから、自分の分を、8人に分けておけ。

~自分だけの人生でなく、教会などを通じて色々と支援をするなど、宣教だけでなく、良い行いもパンを投げることとなる~

●11:9の「若い男よ、若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。・・・とのことばも、「しかし、神がこれらすべてのことにおいて、あなたをさばきに連れて行くことを知っておけ。」のことばのように、ソロモンは、今の世での楽しみだけを求めるのは愚かであり、「さばきがあること」を知らなければならないと気付くようになった。

)「あなたの創造者を覚えよ」*12章

●この12:1の偉大なことばが与えられたのは、ソロモンが何才のときであるか知らないが、これは、聖書の中での最も偉大な真理のことばである。

① 「若い日に」とは、何才までかにこだわらなくても良い。60才を超えて仕事からリタイヤされた方、

② 80才を過ぎて、公安局から自動車運転の為の「認知力検査」の通知が来る人でも良い。

③ 極端なところでは、「寝たきりになって介護を受けている人」でも、まだ頭脳明晰で、判断力があれば、まだ「若い日に」に滑り込むことが出来る。

➍しかし、反対に、若くても、あなたが先祖からの、人間の教えだけにこだわっていて、天地万物を創造された方をことばに聞かないなら次のことに気付かないだろう。

  • 「親」だけが礼拝の対象=神だと思っている。
  • 偉大な人、才能のある人が神だと思う。
  • 太陽も、月も星も、何でも(神として)拝む。
  • 大きな木や高い山を見ると、神として拝む。・・・すべて造られたもので、主の怒りを受ける。

)救いと裁きはどこから来るか

●創造主がいないと、天地万物はない。

●創造主でないと、救いは与えられない。

●創造主は永遠に生きておられる方だから、永遠の救い=いのちがある。

●創造主を否定すると永遠の裁きを受ける。

●最後に12:13-14を一緒に読みたい。

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。

神を恐れよ。神の命令を守れ。

これが人間にとってすべてである。

神(創造主)は、善であれ、悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざを裁かれるからである。」

●お勧めと祈り

礼拝説教原稿―C⑤ 2019.9.22 聖書箇所:出エジプト17章1-7節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「出エジプト記の意味」―主題説教―

はじめに:先々週に、一度出エジプト記3章の「モーセの召命」から、私たちの召しや応答について学んだが、本日は、「主題説教」として出エジプト記全体を整理して、そこに書かれたことがらの意味や目的を理解しておきたい。

一、創造主の御力を教える

1)「全てを御支配なされる方」:十の裁き

●モーセがアロンと共にファラオ(パロ)の前に出たとき、「私は私たちの神の御命令によって、ヘブルの民を荒野に引き連れて、主を礼拝するために、許可を求めに来た」旨を告げたが、「奴隷」として使っている民を連れ出すことに許可を与えるはずがない。そこで、モーセはファラオ(パロ)の前で次々と「しるし」を見せて、主を恐れるよう、聞き従うようにと進言する。

●しかし、主は、初めからパロがモーセの言うことを聞かないこと、それもわざと主がそのように「パロの心をかたくなにしてある」と教えている。

主がパロの心を頑なにしている理由は、主の十の裁きを受け、お力を、ファラオ(パロ)はじめエジプト全体が知り、ヘブルの民も、そして全人類が知るためである。十の裁きがあって、主の力の大きさを知る。その為に、敢えてパロの心がかたくなにされている。

2)十の裁きを経験してはじめて、ヘブルの民が主の力を知る。

●10の裁き、特に、十番目の裁きは必ずなされなければならない。どんどん裁きが厳しくなるが、ヘブルの民が住むゴシュンの土地だけが、その都度裁きから免れる。

 厳しい裁きがあることによって、「主を怖れる」こと、「主を待ち望む」ことが出来るようになる。この重い経験があることによって、荒野に出た後の指導にも効果がある。自分たちの全てを主にゆだねることが大事であること知るためである。

●エジプトへの十の裁きを通して、主が示されているお力とは・・・

①自然を支配されている:水を血に、蛙、アブ、ブヨ、雹、バッタの大群+紅海での奇跡に続く。

②人間の生死:「長子の死」➡ヘブルの民への過越し。若い雄羊の血(死)による救いも。

③裁きの際にヘブルの民の住む土地だけは裁きがない:救いと裁きを区別される方。

➡④世界最高の帝国であるエジプトから、「奴隷の民」にすぎないヘブル人を脱出させるという驚くべき事業を行うことによって、「主のわざ」の偉大さを世界に見せる。

3)創造主としての偉大さを知り、律法を受け入れる

●特に、ヤハウエ様が、創造主であることを体験的に知ることが大事である。「いのちを下さる方、又、裁きによって命を取られる方」であると知ることにもなる。更に、ヘブル人を「主の民=ご自分の民」として特に愛され、大切な使命を与える方であることも知る。

●脱出後に、ホレブの山で、又荒野で、十戒と律法を受けるが、ヘブルの民がそれを受け入れるためには、特別な裁きと救いの体験が必要であった。

●又、律法と同時に、民は主を礼拝する祭儀も受け入れなければならない。その為にも必要だったと言える。

●又、祭儀や出エジプトの中での経験の中にある「キリスト預言」も、祭儀などの中に組み込まれ、伝えられる中で後代の者、世界中の民に伝えるという役割も持っている。

 (その内容は、2章で)このことは、ヘブル人にはすぐに理解できることではなく、当初は、「後の日にメシヤ=救い主が来る」というレベルのものだった。

二、救いのご計画とキリストを教える為

1)ヘブル人の思いを超えたご計画

●モーセが目の前に現れたとき、ヘブルの長老たちは、「奴隷となって400年後に、」主が解放する人を送るとのアブラハムへの約束を知っていただろうか?まだ、聖書もトーラーもない時代だから、伝承中心ではないかと心配だが、モーセが目の前でしるしを見せて、主からの救いが来たことを伝えた際、彼らは、「奴隷からの解放」を期待して応じた。

●モーセとアロンがパロの前に行き、礼拝のために皆を連れ出すことを伝えたとき、パロは当然拒否したが、「ファラオ(パロ)が拒否すること」は前もって教えられていたから、モーセは粘り強く民を説得できた。しかし、レンガ作りの「わらを、自分で集めて、同じ数を作れ」との命令が下ったときの民のモーセへの反抗は酷かった。この状態が続けば、必ず民はモーセに逆らい、モーセのことばを信じなかったと思われる。

●幸い、主からの裁きは段々激しくなり、その裁きは、エジプト全土をおおっても、ヘブル人の住むゴシュンの地だけは及ばなかったことによって、ヘブル人たちはモーセのことばを信じるように変わっていったと思える。仮に、この「区別」がなければ、ヘブル人はモーセに従わなかっただろう。

●エジプトを出てからも、諸準備が必要である。主への礼拝儀式、そして、カナンの先住民の偶像礼拝への裁き、・・・さらには、主の選びの民としての訓練と役割もあるが、それらは、まだ脱出前の段階ではヘブル人には話すのは早すぎる。彼らには、今は、「奴隷からの解放」と「乳と蜜の流れる地」に誘う(イザナウ)ということで充分であった。

2)キリスト預言は祭儀などを通して徐々に教える

長子の死:エジプトへの十の裁きの中で、最も重要なものは「長子の死」である。それは、「ひとり子イエス」を指し示し、「身代わりの死」「贖いの死」を教える。ヘブル人の家の「鴨居と柱」に子羊の血が塗られたこと=犠牲の血を流すことがなければ赦しがないことを教えた。

若い雄羊の血による贖い:若い子羊は神の子・ひとり子イエスを指し示し、伝えられていく。イエス様の死と復活のあとになって、弟子たちもやっと気付いた。それは、旧約聖書や儀式を通して見聞きしていたことであるが・・・

③今後の祭儀の中でのキリストの型:詳しいことは、レビ記などで取り上げることとなるが、伝えなければいけないことの中心は、「若い子羊の血を振りかける」ことであり、エジプトへの十番目の裁きから始まり、約2千年継続したユダヤの祭儀は、「若い子羊の血」=キリストが罪をかぶって下さることによって救いがもたらされるということであった。

3)「救いは:いのちの水+いのちのパン」を教える

パン:今日のテーマは、出エジプト記全体の主題説教なので、登場する様々な事柄を見るが、その中で、「パン」が一つの重要な役目を持っている。エジプトを出る時には、「パン種を入れないパン」として急ぎ作ることを指示され、民は用意したものを持って、エジプトの家を出る。大急ぎで出るために、パン種を入れて膨らませる余裕がなかったのだが、そのことを記念し、子孫たちに伝えるために、「パン種を入れないパン」を食べるという重要な祭りとして教えられ、継承されることとなる。

●昨日(20日)に見た16章にあったように、「マナ」も与えられた。そのマナは毎日少しずつ(必要なだけ)与えられ、~集めすぎても、残しておくと腐る~6日目だけは二日分与えられ、それは翌日まで置いても腐らないから、7日目は安息できる。それは、荒野での40年の最後の日まで続いた。

➡こうして安息日が教えられた

*ヨハネ6:48-51)「わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」イエス様は、マナ以上の、天からのまことのパンだと教えられる。

水:エジプトへの裁きの最初がナイルの水を血に替えたこととも関連するが、中心は、荒野での生活に欠かせない水が、しばしば「岩」から出されたことであろう。「岩」そのものも、聖書では「救いの岩」と呼ばれることが多いが、荒野の至る所で、モーセが杖で「岩をたたくと」水が出てきたことは、救いの象徴としての水が主から与えられることを示している。

*出エジプト17:1-3+6「イスラエルの全会衆は、主の命によりシンの荒野を旅立ち、旅を続けてレフィディムに宿営した。しかし、そこには民の飲み水がなかった。民はモーセと争い、『我々に飲み水を与えよ』と言った。モーセは彼らに『あなたがたはなぜ私と争うのか。なぜ主を試みるのか』と言った。民はそこで水に渇いた。それで民はモーセに不平を言った。『いったい、なぜ私たちをエジプトから連れて上ったのか。私や子どもたちや家畜を、乾きで死なせるためか』」1-3)「さあ、わたしはそこ、ホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む。」モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりに行った。」6)

*ヨハネ4章にもある通り、主イエスはいのちの水であり、イエス様が与える水を飲む者は、渇くことがなく、いのちの水が溢れ出るのである。

*ヨハネ4:14)「しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

●「パンと水」という、いのちの維持にもっと基本的な必要が、荒野でヘブルの民に示されたことは、イエス様の救いを象徴することであり、全時代の人類の救いに、誠の水であり、誠のパンであるイエス様の救いを信じなさいと言う教えの予型となっている。

●更に、エジプトを出たときに紅海に行く手を妨げられたとき、背後からエジプトの戦車が追いかけて来たが、紅海が割れて、水が逆立ち、民は海を渡り、その後エジプト軍の戦車が水没させられた。(紅海の奇跡)これも、「水のしるし」として偉大なことであるが、私は、この紅海の奇跡を見た民が、その後、先住民を怖れ、主のお力を忘れて、「約束の地に行かない」と言ったことが残念でならない。

4)「肉」

➡荒野で、水とパン(マナ)を受けたヘブルの民は、暫くすると「肉が食べたい」と叫びだした。

*民数記11:4「彼らのうちに交じって来ていた者たちは激しい欲望にかられ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて、言った。『ああ、肉が食べたい』」

「それを聞いたモーセは怒った。主も怒ったに違いない。その後、思わぬ所から、彼らに「肉」が与えられた。なんと「渡り鳥」が民の上に飛んできて、バサバサッと落とされたのである。それは宿営の周り、どちらの側にも約一キロの道のりの範囲で、地面から約二キュビト(約60センチ)の高さになった。彼らは驚喜して鳥を捕まえ、それを食べた。しかし・・・

*民数記11:33「肉が彼らの歯の間にあって、まだ噛み終わらないうちに、主の怒りが民に向かって燃え上がり、主は非常に激しい疫病で民を打たれた。」

三、彼らの「罪」の意味

1)民の罪の背景:「エジプトに戻りたい、先住民が怖い」

●出エジプト記と民数記にある、出エジプト後のヘブルの民の罪は、数も種類も多く、繰り返しなされるが、そのようになったのは、やむを得ないとも言える諸事情があり、又、苦しい状況下ゆえの人間の罪が明瞭にされるという主のご計画もある。

① 男だけで60万人(女子ども共では数百万人)が、「本来人が住めないし、歩いて移動するだけでも危険な荒野を渡る」という「「無謀」ともいえる救出作戦であり、モーセには、食料、水などを運ぶ救援(兵站)部隊も一切ない。=殆ど全滅した旧日本軍のインパール作戦に似ている=

② 目的地には、先住民がいる。背後にはエジプト軍がいる。

③ 途中、殆ど水も食料もない。(イスラエルの南部には川も、湖もない)

④ そのような厳しい状況下で、主の力と恵みを教え、「主の民」となるように訓練され、戒めを受けた。=十戒、律法、祭儀

●水、パン、肉・・・生きていく上での必要を求める中で、主とモーセに何度も反抗した。

金の子牛事件:出エジプト32:1-35=民とアロンの罪

●最も激しい反抗は、「エジプトに帰りたい」というものであるが、それは、モーセがホレブの山に登って降りてこない(モーセは死んだと思われた)時とコラの事件だった。

*32:1-2「民はモーセが山から一向に下りて来ようとしないのを見て、アロンのもとに来て言った。『さあ、われわれに先立って行く神々を、我々のために造って欲しい。我々をエジプトの地から導き上った、あのモーセという者がどうなったのか、分からないから。』そこで、アロンは彼らに言った。『あなたがたの妻や、息子、娘たちの耳にある金の耳輪を外して、わたしの所に持って来なさい。』」

➡5.6節では、金で造られた子牛の前に祭壇を築き、ささげ物を捧げ、いけにえを供え、食べたり飲んだりし、立って戯れた。

➡主は山を下るようにモーセに言われ、山を下りたモーセは、彼らが造った子牛を見て怒りが燃え上がり、石の板(十戒が刻まれている)を投げ捨て、金の牛も火で焼いた。

3)コラの事件*民数記16章:12人の斥候が約束の地を探ってきた後、カレブとヨシュアを除く皆が約束の地に入ることを怖れて、「約束の地には行かず、エジプトに戻りたい」、と拒否したとき、主が怒り。大人全員が約束の地に入ることが出来ず、ずっと荒野にとどまらなければならないと宣告された。

➡そこで、コラを先頭にして、会衆の上に立つ族長たち、会合から召し出された名のある者たち250人も一緒にモーセとアロンに逆らって結集した。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なる者であって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは主の集会の上に立つのか。」と。=モーセとアロンの指導、主の選びを拒否。

➡コラ一族は、足下の地面が割れて生きたままよみに落とされる。その後主の裁きが続き、コラの事件のあとにも1万4700人が死ぬという最も厳しい裁きを受ける。。

4)ミリヤム・アロンの罪

●アロンには、以前金の子牛事件での罪があった。

その後、姉のミリヤムが主導してモーセに対して反抗し、自分たちの指導権を主張する。

*民数記12章2「彼ら(ミリヤムとアロン)は言った。『主はただモーセとだけ話されたのか。我々とも話されたのではないか。』主はこれを聞かれた。」

➡主は3人に、会見の天幕のところへ出よと言われた。そして、言われた。

「聞け、わたしのことばを。・・・彼(モーセ)とは、わたしは口と口で語り明らかに語って、謎では話さない。彼は主の姿を仰ぎ見ている。なぜあなたがたは、わたしのしもべ、モーセを恐れず、非難するのか。」6-8)

➡ミリヤムの皮膚はツアラアトに犯され、雪のようになった。モーセはとりなしをしたが、ミリヤムは7日間宿営の外に閉め出された。

自分勝手に行動する、指導しようとする者への戒め。主導権を取ろうとする者への戒め。

5)私たちへの戒めのため:Ⅰコリント10:1-13)

Ⅰコリ10:13は、「試練とともに脱出の道も・・・」と、とても有名になっている「試練」の聖句であるが、ここでは、1-12のヘブル人へのことばであり、ヘブル人たちが荒野で体験した試練の中で起こした「罪」への戒めは、11節に「私たちへの教訓とするため」に書かれているとある。

*10:11「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」

➡つまり、イスラエルの民の反抗や罪は、私たちへの教訓とするために起こり、書かれている・・・これが主の御心である!環境や食などの不平、不満、教会内での指導権の主張、報告や相談、許可を取らない勝手な行動、派閥抗争などは決してあってはならない。主の怒りを受けるという教訓であることをしっかり覚えておきたい。

●祈り a

礼拝説教原稿―C④ 2019.9.8 聖書箇所:出エジプト3章1-14節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「主の召命」―召しに応答する生き方―

はじめに:先々週と先週2度の箴言で、神=創造主の知恵を教えられた。私たちは、この全能者である方の知恵を知り、こうして、礼拝にも集っているわけであるが、どこまで、召しにふさわしく応答しているかを考えたい。

一、母の胎内にいるときからの召し

1)詩編139篇13-16)

●最初に,よく取り上げる箇所であるが,詩編139篇13-16節を見る。

*13+15-16「それはあなたが私の内臓を造り,母の胎のうちで私を組み立てられたからです。」「私がひそかに造られ,地の深い所で仕組まれたとき、わたしの骨組みはあなたには隠れてはいませんでした。」「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書き記されました。私のために造られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」 

●13節と15-16節で、ダビデは、わたしが母の胎内で組み立てられた,仕組まれた=(DNAを)組み合わせられたときに、あなたが私を見ておられた、だから、「主よ。あなたは私を探り,私を知っておられます。」1)となり、「座るのも,立つのも知っておられます」2)となる。

 又、「あなたは前からうしろから私を取り囲み,御手を私の上に置かれました。」3)だから、「あなたの御霊から離れてどこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れてどこへ逃れましょう。」7)となる。

●だから、この139篇で、ダビデが最後に出すことばは、主を信頼し、主にゆだね,主に従い,導かれることを願う信仰のことばである。

●出エジプト記のモーセの誕生や召命,その後の働きを見ると、全て主のご計画通りであり、モーセは生まれる前から知られていたと教えられる。では、モーセの誕生から見ていきたい。

2)モーセの出生と召しまで

●モーセの出生と召しまでの記述を見ると、「母の胎のうちで私を組み立てられた」とのダビデのことば通り、モーセが、いつ、誰の元に生まれ、その後の生活、活動もご存じであり、さらに、重大な使命も果たせることまでご存じであったと言える。

① モーセは信仰深いヘブル人の両親のもとに生まれ、特別に可愛くて,すぐにはパロの命令(男児はすぐに殺害せよとの命令)通りには従えず、三ヶ月も隠し、その後隠し通せなくなって、やむなく篭に入れてナイルの茂みに置くが,姉のミリヤムがそれを見守って、無事にパロの娘に拾われる。(次女たちと水遊びをしていた)そして、パロの娘には息子がいなかったので、「この子は特別可愛いから」と,「自分の子」として育ててくれた。そして、モーセは王子の一人としてエジプトの英才教育を受けた。

② 又、モーセの姉が,モーセが川で拾われた際に王女に申し出て、「モーセの実母が、乳母として、預かる」となり、モーセの実母が暫く育てたので、その期間中には,実母から、ヘブルの教育も受けている。

➌ エジプトの王女の元に行ってからは,王子として学び働くが、自分がヘブル人であることを知り、ヘブル人が奴隷として扱われていることが赦せず、奴隷を殴っているエジプト兵士を殺害し,それが発覚して逃亡することとなる。

  • その後、ミデヤンの祭司イテロの元で羊飼いとなったモーセは約40年を過ごし、充分へりくだって後、時が来たとして召しを受ける。
  • 以上の経緯を見ると、モーセは生まれる前から,いつ、どこで生まれ、どう育つかまでご存じの上で備えておられたことが分かる。一人の奴隷の男子であれば出来ない仕事をするための「特別な歩み」であった。
  • その上、身を寄せたイテロは、ミデヤンの祭司であり、モーセ自身も無学な羊飼いではないから、その40年の人生の中で、多くの思推を重ね、おそらくヨブの苦難の情報も聞いて書き留めたと推測されている。(➡ヨブ記に)それは、民を率いた40年の荒野での生活に続いて本格化し、モーセ五書と呼ばれる聖書(時に創世記)の記述に進む。
  • もう一つは、エジプトにいただけでは分からない中東一体、特に荒野やホレブの山などを羊飼いとして40年も歩く中で、その全貌を知ることが出来た。これも、民を率いていくための準備となった。

➡そして、時が来て,神の山ホレブに羊と共に来たときに、主の招きがあった。

●一日一章で、創世記が終わり,出エジプト記に入る前に、ヤコブの死、その後ヨセフの死もあったが、二人の生涯はともにとても劇的で,そのまま一人ずつ映画が出来る程であるが、ヨセフが兄たちに売られてエジプトに先に来たこと、一家全員をエジプトに招いて移住させたとき,すべてを設計し,導かれる主のご計画、摂理と、そのお力に,ヨセフは驚嘆するが、これを読む私たちも,同じ思いを与えられる。ヨセフの兄たちから受けた苦しみやヤコブの苦しかった生涯も、全て主の民としての役割であり、備えであった。

3)私の場合も

●私自身は,モーセの百万分の一の価値もない小さい者であるから,並べて書く気持は一切ないが、こんな小さい者でも、45才で,子ども美術館が成功し、画家としても認められてのちに召しを受けたことで分かるとおり、20才、30才ではなく、40才を過ぎて始めて召されるというご計画だったことはとても良く分かった。そして、召しを受けてのちに、子ども美術館が、大阪府の援助があったために閉館工事をして貰えたことが、教会を始める備えとなったことは実に驚くべき主の摂理であった。(その準備として大阪府の教育委員とされたことも)

●又、何度かお話ししたことがあるが、30年間の子ども始動の活動中に、「危機一髪という大変危ないことが複数あったのに,それら全部が守られたこと」は、救われる前から御使いが側にいて=守ってくださっていた=という奇跡的な経験をさせていただいていたことに驚き、ゴリヤテと戦うときの少年ダビデのことばと同じ、主の守りを確信できた。

●皆さん一人一人も、同じような導きがあり、主の守りと導きがあったからこそ,今日があると思う。過去に苦しみがあり,今日も困難があると思うが、必ず主のご計画があり、私たちを通してそれをなされるのであるから,主を信頼して歩みたい。

二、召命のとき

1)その時が来た*出エ3:1-)

●エジプトから逃亡したモーセは、ミデヤンの祭司イテロの羊を飼い,その群れを追って神の山ホレブに来ていた。そこに主の使いが彼に現れた。芝の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに芝は焼き付きなかった。それで、燃え尽きない火が不思議だと,モーセが近づいてみると、神(最初は主の使いとあった)は、芝の中から彼を呼んだ。モーセは「はい。ここにおります。」と答えた。

●そのとき、「わたしは天から下ってきた」~この事は、イエス様のお声と考えて良い~、「あなたのくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」との仰せがあった。」

●また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した、とある。

●モーセへの主ご自身の権現の厳かさ,凄さは特別なものである。ここで大事なことは、イスラエルの民は、モーセへの,又、アブラハムなどへの主の御声の記述が,数千年に一度の,特別なことであり、誰にでも起こることでは決してないことを知っている。

(➡そこで、日本のクリスチャンが(他の国のクリスチャンにもあると思うが)、イスラエルに出かけた際に、「私に(神様が現れて)お声をかけてくださった」との証しを簡単にすることが多いので、そういうクリスチャンに呆れるとのことである。~三橋牧師による~

➡確かに、クリスチャンにその傾向が強い。FBの集会の写真を見ていても、立ち上がり、手を上げて熱心に賛美している部屋で、別の方を向いて両手を広げて熱中している人の姿を見ることがある。おそらく、彼は「預言をしている、預言の言葉を与えられている」と言われるだろうが、個々のクリスチャンに預言が与えられると言うことは,私は気をつけなければいけないことだと思う。歌手の方の証しを聞いていても、同じようなことばを聞く。

●「暗黒大陸」とアフリカが呼ばれていた時代に、ヨーロッパから宣教師として渡り、いのちを捧げて宣教された方、禁制時代の日本や中国大陸に渡った宣教師の=多数が殺されている=皆さん方は、何らかの主の御声を聞いて想いを与えられ、決断されたものと思うが、それがモーセと同じ声「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」を聞いたのかというと、新約時代では「聖霊様の声」「イエス様の声」などが殆どではないかと私は思う。又、それは,出来るだけ控えめにし、大げさに周囲の人に言わない方が良い。周囲の人は,その人のことば(声を聞いた、は特に)よりも、その後の行いの方を見る。強い決心とその後の行動が真摯なものであり、また主が共におられるとの摂理が見えれば,周囲の人も当事者へのことばを信じることが出来よう。反対に,ことばだけで行いが何もなければ説得力はなく、逆効果となる。

~イスラエル人の場合は「神の声、主の声」というと「ヤハウエ様だけ」と受け取ることが多いはずなので,特に安易に話さないことが大事であると思う。➡「聖書を読んで祈りの中で,そのような思いが与えられた」とのような表現が好ましいと思う。

●最後に,この場面で特に教えられるのは、「聖なる地である」として靴を脱ぐことを指示されたことで、私も,少し前からこのことを大事にしようと思い実行している。

2)生きている者の神*6)

●ルカ20:36-38に次のことばがある。「彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。それに、死人がよみがえることについては、モーセも柴の箇所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、このことを示しました。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」

➡このように、モーセがホレブの山の燃え尽きない柴の箇所でに主とお会いした際に、主は生きている者の神であると教えられた。

●このルカ20:36-38は、イエス様ご自身が、復活のことを教えている箇所であるが、聖徒たちは死んで滅んだのではなく,神の前に生きている者であり、いずれ復活の体を受けることを教え、アブラハムもイサク、ヤコブも生きていると教えている。


~正確に言うと、旧約時代は、聖徒はよみの慰めの場所で生きていて,キリスト再臨後、復活させて戴く。但し、主イエスの山上の変貌の際には(マタイ17章)、エリヤとモーセが現れているから、信仰の父祖の一部は、旧約時代でも天に上げられている可能性も高い~

●更に、新約時代では,聖徒たちは死者の世界=よみに下らず、天に上げられている。

三、固辞をしたモーセ

1)「私はいったい何者なのでしょう」*11)

●10節で,主は、「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」と言われた。

●しかし、モーセは自分には出来ないと辞退する。

① 強大なエジプト帝国に行き、数百万の同胞を救い出す・・・一人の部下も,軍隊もなく、こんな重大なことが出来るはずがない、とまずエジプトを恐れるのは当然である。

② 数百万の民を,荒野を渡ってカナンの地に連れてくる。民が従うはずがない,とも思う。

③ 列車や船で運ぶのでもない。荒野を歩いて来なければいけない。そんな過酷なことが出来るはずがない。

  • 「自分には能力も,組織も、財力も何もない」・・・どう考えても可能性はゼロである!
  • 「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ・・・」との主のことばがあった。
  • ➡「わたしが共にいる」との主のことばがある。
  • ここで、モーセは「私はイスラエル人のところに行きます。」と答えるが、民は、私が彼らに「あなた方の父祖の神が,私をあなたがたのもとに遣わされました」と言えば、かれらはその名は何ですかと聞くでしょう。わたしは何と答えたらよいのでしょうか、と問う。➡主のお答えは『わたしはある』=ヤハウエーという者であると答えられた。
  • このあと、さらにモーセは何かのしるしを,特に民に対するものを求めると、木の杖を蛇に変えられ,手に持つともう一度杖に戻った。(勿論,これ以上のしるしもあるということを示された)次に,主は4章で、「手を懐に入れよ」と命じられ,ふところに入れた手を出すと,彼の手はツアラアトに犯され雪にように白くなり、再び手を懐に入れると元に戻っていた。更に、モーセは4章10節からで,「自分は口下手」ですと言い、主の怒りを受けるが、兄アロンを共にしなさい、彼はことばの人だからと諭す。

2)「主が共にいてくださるなら」

●目に見えること,過酷な自然環境や民のことを思えば、モーセの不安はもっともであるが、「全能の主が共にいてくださる」これ以上力強いことはない。このあと、モーセは従うことになるが、エジプトでの10の裁きを経験して後は、モーセがあとに戻る気持は一切出なかったことは素晴らしい。民の前でも,ひるむことはなく,任務をやめたいということばは一度も出なかった。~これは、牧師にも必要なことだと思う、たとえどんなに苦しくても~

●歴史上、多くの宣教師が危険な宣教や奉仕、献身に身を捧げてきた。マザーテレサなども有名だが、最近のニュースでは、~これは、宣教ではないが~香港で,クリスチャンの男女のリーダー(写真は周庭・アグネス・チョウ氏)が160万170万と言われる大規模なデモを組織し,問題の条例撤回のために,逮捕をされながらも遂行して来たことは素晴らしい勇気であると感心している。5日朝現在、香港行政府が、条例の撤回を発表したが、それまでは全く見通しが立たず、今後どれだけの死者が出るか、逮捕者が出るか、中国軍が武力介入するのではないかとの恐れがあった。まだ完全に解決していないが,香港の若者のデモでは、賛美歌を歌いながら行進していたから,主の守りがあったのではないかと思っている。

2)牧師でも、それぞれ賜物が違い役割が違う

●私のFB関係で、東京の牧師でイスラエルの問題などをよく知っている方がおられ、勉強になると思ってFBフレンドになっているが、最近の投稿を見て少し驚いたことがある。特に,創造についての見解であるが、「創造論の働きも,一つの宣教として認める」が、自分はそこに全く関心を持たないとの姿勢であった。師曰く、「6日の創造は,その通りだと信じることだけで良い」という表現で、弁証法的に研究し、解説するのも,それはそれで、宣教の一つとして良いが、自分はそのことには感心、興味を持たないということだった。

 その方は、「東大卒」ということで、信仰というのは,疑わないで、書かれてい通り信じるだけですよと言われると,周囲の人は黙ってしまうということなのか、それとも、進化論に沿って聖書の記述をあざ笑う人が沢山いても,気にならないのかなと思った。

 だから、牧師も人それぞれで、異なる賜物を与えられているのだろうと思う。私なら、日本の神学校の100%近くが進化論に沿った解釈を取り、聖書の記述を神学で解釈して,それを広めている現状を重大なことと考えている。そして、聖書の真実性を,創造論によって気付くクリスチャンが多くなることが大事と思っているが・・・

3)信徒は、まず救いを!そして、それぞれふさわしい役割が

●今日は,モーセの召しが中心であるが、我々には、モーセのような特別重大な使命があるわけではない。(民族4500年の最大の事件)しかし、聖書は、このような父祖たちを用いて,主が歴史を作ってこられ、神の民を造り、預言者を送り、キリストを送られ、私たちの身代わりの十字架を備えてくださった。それは物語=作り話ではなく,救いのための重大なご計画であり、実際に私たちにも与えられる恵みである。

●だから、聖書を通して語られる創造主なる神の愛を知り,その救いを信じ,救い主キリストを自分のこととして信じて欲しい。

そして、与えられた救いを大切にし,一人だけの者とせず,多くの人にその恵みを分け与えて欲しい。一人一人役割が違うが、「教会員として何かを果たし、支える」という大切な役割を果たして欲しい。

●ただ、聞くだけの者ではなく、信じて,それを他の人にも知ってもらう,その為の何かの役割を受けていることに気づいて欲しい。

モーセが何度も固辞したように、誰でも、自分には何も出来ませんという気持があると思うが、主は,「わたしはあなたと共にいます」と言われている。この事を感謝して歩んで欲しい。

●詩編139篇13-14にダビデが書いたとおり、私たちは,私たちを母の胎内で組み立てられた方が、私たちの全てを知って下さっているのだから、召しに応答し、自分に傷がないか,不足がないか,なすべきことを知りながらなしていないといことがないか、など探っていただき、とこしえの道に導いていただくことが大事である。

●祈り


礼拝説教原稿―C③ 2019.9.1 聖書箇所:箴言8章1-31節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「わたしは・・・これを組み立てる者であった。」

―創造主の知恵―

はじめに:先週に続いて「知恵」について学ぶ。まず、「主を恐れることは知識の初めである。」との1:7のことばを学んだが、この神=創造主の知恵はどのように与えられてきたのだろうか。又、その知恵は誰を通してきたのか、ということにも触れている。

一、2-7章から

1)知恵のことば

3:18「知恵は,これを堅く握る者にはいのちの木である。これをつかんでいる者は幸いである。」とある。

ご存じの通り、創世記2,3章には「いのちの木」と「善悪の知識の木」が説明されていた。

善悪の知識の木は、「人間の悟り」であり、人間が自分が神となって判断すること,善悪を決めることであるが、それは「死」の道であった。創造主を否定し,自分で色々計画をするが,最終判断,特にその魂の値打ちは人には決めることは出来ない。

●しかし、「神=創造主の知恵」は「いのちの木」であると言われている。それは、永遠のいのちを受けると言うことである。人間の悟りや判断、計画では永遠のいのちに至らないことが明確に言われている。

●一方、主の知恵とは、「主は知恵をもって地の基を定め,英知を持って天を堅く立てられた。」3:19)又、「雲は露を注ぐ」3:20)とあるように、天地の基を定められた創造主の力からくるものである。よく考えれば,私たち人間のの知恵や悟りが,天地万物を創造し、その基を定められた方に匹敵するはずがない。しかし、高慢の罪がそれを忘れさせる。

2)神の知恵=すぐれた知性と思慮*21-24)

●3:21からは、「すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。」と、神(創造主の)知恵=すぐれた知性と思慮を見失うなと教えている。なぜなら、

「それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。」*22)

又、「あなたは,安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。」*23)

24)「あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき,眠りは、ここちよい。」24)

●更に27節では、「主に捧げること」の恵みを教える。

*27「あなたの手に善を行う力があるとき,求める者に,それを拒むな。」

➡今週の週報のB面にもある通り、英会話は,殆ど赤字で,特にここ10年は毎年約20万円の赤字である。(休止や閉鎖も検討せざるを得ない状況だった)

しかし、「英会話をやめれば良い。習いたければ他にいくらでもある」という姿勢ではなく、「英会話はチェーンの一つで、一つ抜ければ皆が崩れる」と受け止めて下さった方が1年分の赤字分を献金して下さった。すると、その1週後に,以前習っていた生徒一人が復帰して下さり、絵の生徒も2人入会してくれたから本当に驚きである。

●ここで、大事な事は、3人とも,子どもパーティーに参加されていたし、2人はアトリエにて絵を習っている生徒、又、一人の生徒のお母さんはゴスペルフラに来て下さっている方、と、このように、多くの活動が繋がって、みな支持されているからこそ,こうして恵みを受けたと言えよう。

●この事は、コンサートについても同じことになるかも知れない。春と冬の伝道会を完全にやめるのではなく、「何らかのかたちで継続」し、また「コンサートのためにと捧げてくれる方」があれば,こちらも継続は可能となるだろう。伝道会、特にコンサートは、英会話と違い、支出だけで収入がないので厳しいが、それでも、熱意と恵みの連鎖は起こることだと期待している。

二、知恵の初めに知恵を得よ*4-7章)

1)知恵を捨てるな*4章)

●4章のことばも知恵の勧めである。

*1)「子どもたちよ。父の訓戒に聞き従い,悟りを得るように心がけよ。私は良い教訓をあなたがたに授けるからだ。私のおしえを捨ててはならない。」と創造主は,私たちに「父として」語りかけられる。

*6)「知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。」

*7-9)「知恵の初めに,知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて,悟りを得よ。それを尊べ、そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめてくれると、それはあなたに誉れを与える。それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、光栄の冠をあなたに授けよう。」

●私が杞憂すること:

1)上の写真は何か?一般の新聞テレビでどれだけ報じられているだろうか?あおり運転や一国会議員が首相官邸で結婚の記者会見をしたことと比べてどれほどの影響力の差があるだろうか?

2)ブラジルでは右翼政権ボルソナロ大統領の命令によってアマゾンの熱帯雨林が焼き払われていると報じられている。アマゾンでは、地球の酸素の20%を供給してくれていた。しかし、右の図のように赤いところ=焼き払われたところが半分に達すれば,地球の酸素は10%減ることとなる。これまで消火活動を殆どしない政府に対して,今回のG7で,約21億円の緊急援助を申し出たが、ブラジルの右翼政権ボルソナロ大統領は,これを拒否した。焼き払ったあとは、牧畜やアフリカの砂漠のようになっても、地下資源を開発する計画だという。酸素だけでなく,写真のような動物たちの行き場がなくなる。「そんなものはどうでも良い」らしいから、知恵とは反対の「狂気」ではないか。尚、右翼政権ボルソナロ氏は26日、ツイッターで「マクロン氏によるアマゾンを『救う』ためのG7による『同盟』には、われわれを植民地のように扱おうとする意図が隠されている」と批判していたと言う。援助をするのは植民地支配を狙っているからだとして,熱帯雨林の消火や森林の復興をしないらしい。

*4:14-17)「悪者どもの道に入るな。悪人たちの道に歩むな。それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ。彼らは悪を行わなければ,眠ることができず、人をつまずかせなければ,眠りが得られない。彼らは不義のパンを食べ、暴虐の酒を飲むからだ。」

2)日本も危ない

●皆さん、こう考えていませんか?或いは、殆ど何も心配していない?

①地下水は上から下に落ちて流れていくもの。②福島原発の汚染水も,海底の地下水となって地上から遠ざかっているから影響はないはず。③事故を起こした原発のデブリも,取り出されて、いつかは全て解決されるはず。・・・

➡ところがそうではない!

  • 地下水は,圧力によって平行、あるいは上昇もする。
  • 海底地下水が,陸上の地下水に上昇することもある。
  • 現在、既に関東の水道が「ストロンチウム汚染」されている情報。

「【ストロンチウム人体汚染】「福島第一原発の地下水と関東の人体汚染」取材・文 神原将

 2014年広島県にて、とある専門医療関係のフォーラムが開催された。そのフォーラムに講師として出席した医師のひとりJ天堂大学S医師が、楽屋にて多くの医療関係者が挨拶に訪れる中、ある事実を発表した。「関東の2人に1人がストロンチウムに人体汚染されていることが分かりました。またそのなかの多くの方からプルトニウム汚染も見つかりました」

 S医師は、都内J天堂大学病院に所属しており、独自にここ2年間人知れず通院してくる患者の協力を得て、人体汚染を調査してきたという。」

江口工氏(チェルノブイリ原発事故の石棺対策の際に、汚染水の漏洩を防ぐために技術指導をした日本人エンジニア。黒部ダム工事でも、滝のように溢れる地下水を止めたことで有名。)によると、地下の世界では地上と違い、水は高いところから低い場所に移動するだけでなく、圧力によって、たとえば低い場所から高い場所へ、海側から陸側へといったように自由に移動するという。

そのスピードは100メートル進むのに1年かかる場合もあれば、数十キロメートルをわずかな時間で進むこともあるという。地表から眺めただけでは推測不能だという。

福島の地下水が関東にまで来ている可能性が高いと言うことである。

3)訓戒を憎み,叱責を侮った者の嘆き*5章)

●それは、次のように言われている。

*5:11-14)「そして、あなたの終わりに、あなたの肉とからだが滅びるとき、あなたは嘆くだろう。そのとき、あなたは言おう。『ああ、わたしは訓戒を憎み,私の心は叱責を侮った。私は私の教師の声に聞き従わず、私を教える者に耳を傾けなかった。私は,集会、会衆のただ中で。ほとんど最悪の状態であった。』と。」

~このようなことにならないように、自分のしていることを、「主の目から見ればどうであろうか」と,自分に都合の良いように考えて,自分勝手な行動、あるいは、軽率な行動だろうか、主に従うという姿勢が本当にあるだろうかと,常に点検しないと危ない。

*ヘブル10:26-27「もし私たちが,真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを,恐れながら待つよりほかはないのです。」

*ヘブル13:17「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいの見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなた方の益にならないからです。」

●だから、7章でも,次のように言われている。

*7:2「わたしの命令を守って,生きよ。私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。」

三、知恵は呼ばわる*8章)

1)わたしを愛する者を、わたしは愛する*8:17)

●*8:6「聞け。わたしは高貴なことについて語り、わたしのくちびるは正しいことを宣べよう。」10「銀を受けるよりも、わたしの懲らしめを受けよ。えりぬきの黄金よりも知識を。知識は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。」

*8:17「わたしを愛する者を、わたしは愛する」「わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」

➡このことば通り、私は主を愛し、主が愛して下さった。私は主を熱心に捜し,主を見つけた,と言えよう。これは皆さんも同じだと思う。7:2では「わたしの教えを,あなたのひとみのように守れ」とあったが、主は,私たちをひとみのように守られるとある。

*申命記32:10「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼(=イスラエル)を見つけ,これをいだき、世話をして,ご自分のひとみのように、これを守られた。」

2)創造の初めから・・・*22- )

●8:22からのことばは、「永遠」という抽象的な概念の言葉を使わないヘブル人独特の記述が続くが、「大地の始まりから:「山が立てられる前に」「まだ地も野原も,この世の最初のちりも造られなかったときに」・・・とあるのは、紛れもなく,「創造の始まる前から,永遠の昔から」との意味である。

●ここで、注目すべきことばが複数ある。

① 「永遠の前から」ということは、今の天地があって,「その後にキリストが、最初の人として生まれた」という意味ではない。それは、「キリストは被造物であって神ではない」との異端(エホバ)のとんでもない主張である。

② 27節の「天を堅く立て」、28節「深淵の面に円を描かれたとき」=海を定めたとき、29節の「地の基を定められたとき」=地球の基が定められたとき,これら全てが「天地の始まりを定めることば」で、その時に、「わたしはそこにいた」=「わたしは神(父)のかたわらで、これを組み立てる者であった。」=「創造の共同作業をしていた」ことを教えている。➡父、子、御霊の共同作業を教える。

  •  26節の「最初のちり」ということばは、これも、進化論の間違いを3千年前から預言することばである。➡わたし(牧師)が小学生で習った理科の教科書では(1950年頃)、「地球は太陽が爆発して、それが冷えて出来た星である。だから、地表は冷えていて、内部は熱い。」とあった。ところが、それは数十年後に(1980年頃から)間違いと判明した。「地球や他の星は,冷たい宇宙のちりが集まって出来たものであって、その為に表面は冷たくても,内部が熱くドロドロしているのは、重力による」と。

●箴言8章の22-31のことばは、こうして、永遠の真理のことばであることをはっきりと示してくれている。

3)いのちを見いだす者*34-36)

●わたし=神の知恵であるキリストを見いだす者は、いのちを見いだす者、恵みを受ける者とのことばをかみしめて今日の最後としたい。

*8:35-36)「なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。わたしを見失う者は自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する。」

●祈り ),

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