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5,8月25日(日)箴言1章1-33節

礼拝説教原稿―C② 2019.8.25聖書箇所:箴言1章1-33節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「知恵とは」

―主を恐れることが知識の初め―

はじめに:箴言はイスラエルの王ソロモンの作である。(BS950年頃)これは、詩編に続く知恵の書で、この両書は実に奥行きが深く、人間自身の悟りによらず、主からの創造主故の真摯なことばに耳を傾けることが、知恵の始まりと教える。これを無視するところからあらゆる罪が生じる。

一、知恵と訓戒を学ぶ

1)悟りのことばを理解する

●箴言だけでなく、聖書のことばは、常に聖書全体の連れ合いを見ながら見ることが大事である。今日は1章であるが、後の章もことばや、他の聖書の言葉も合わせて見ていきたい。

まず、ソロモンは、この箴言の書は、創造主の知恵と訓戒を学ぶものであり、悟りのことばを理解することが大事だと教えている。

具体的には、2:5では「心を尽くして聡明を得よ。心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」とある。

〇2節の「悟りのことばを理解するためである」というのは、自分の悟りに頼らず、主のことばを理解するときに真の悟りが与えられるとの意味である。「自分の悟り」、それは「善悪を自分で判断する」とのアダム以来の罪の原点である。

「自分の悟りに頼らない」事は、箴言では何度も出て来る、一番大事なスタートである。

*箴言3:5「心を尽くして主により頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

〇悟りということばではないが、同じような意味で言われていることが多い。

*21:2「人は自分の道はみな正しいと思う。しかし、主は人の心の値打ちをはかられる。」*16:2「人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値打ちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」

*19:21「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」

➡14:12「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」

この「自分の道」「自分の行い」「多くの計画」「人の目にはまっすぐに見える道」は、すべて、人間の悟りの道、悟りから出た計画である。それらはことごとく無に帰する。

2)正義と公義と公正、思慮ある訓戒を体得するため*3)

●私たちは、「正義と公義と公正」をしっかりと体得しているだろうか?一人一人は、そして、政治はどうか?8月というのは、終戦=敗戦があり、原爆投下があったということで、TVでもその特集番組が多く、私も、歴史をしっかり知っておかなければいけないと、なるべく録画して午後などの休憩時間帯に見ている。

太平洋戦争戦跡地-戦没者の60%強140万人は餓死であった

●昨年の特集はインパール大作戦、今年はガダルカナル玉砕の番組があった。

 日本の、第二次世界大戦での兵士の死者は、殆どが戦闘によるものでなく、飢え死にだそうである。つまり、「国を守るために死ね」と言われていながら、戦うことなく、逃げ回り、あるいはジャングルの中を彷徨い、食糧が尽きて、日本兵士同士が殺し合って食べ合ったという実体が一番酷いものだった。その場合、殆どが、軍の司令官は武器弾薬と食料を送り続けることなく、兵士のみを行軍させて、又、敗走する際も一切の投降を赦さず、消耗し、餓死するだけの戦いとなっていたと報告されている。兵士は本当に悲惨な状態に置かれていた。

 それは、「正義と公義と公正」とは正反対の、ただ、無謀で、無計画なだけのものだった。国民、又特に政治家、国・軍の指導者たちに、「正義と公儀と公正」があれば、あのような世界史の中でもまれに見る、地獄のような状況に兵士や国民を追い込まなかったと思える。これは、単に過去だけでなく、今と、今後のことでもある。

3)「主を恐れること」*7)

●7節のことばは、箴言の中心聖句と言えるほどの重要なことばである。

「主を恐れること」これが、知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。7)

●この「骸骨」の写真は、「進化論が崩壊」というネット記事であるが、このような記事は日本のマスコミには取り上げられない。

これによると、「[特報]ダーウィンの進化論が崩壊 かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」」とある。

●上の記事は、創造論による発表と言うより、進化論を研究してきた学者による。

「20万年以内」という数字も、後日は10万年以内、1万年以内と変わるだろうが、いずれにせよ、「DNAの検査によって、一切進化はなかった!」と結論されている。

尚、この骸骨の写真入りのFB記事は、私もどなたかの記事のシェアであるが、これも、約20人がシェアされたから、クリスチャンでこの発表を喜んでくれた人が多いことを示している。(牧師は少ない)

主への恐れということ:以下のことは、「主への恐れの欠如」であると思える。

●実は、「知恵」についての一番大事なことは「主への恐れ」である。

① 聖書の創造の記述を否定する神学:「6日の創造はあり得ない」からと、進化論にそって考え、「数十億年かかった」と決めて、それを教える。

② 聖書記述通りを信じるのは「根本主義」「原理主義」で、イスラム過激派アルカイダやISと同じ「過激派」だと否定する。

➌「聖書は、嘘、間違いの土台の上に立っているから、創世記は12章から教えなさい。6-11章のノアの洪水もなかった。」と教える。それは、「第三の裁きを否定する」こととなる。

➡キリスト自身が、「再臨はノアの洪水と同じ」だと言われているなどは無視する。

➡十戒の安息日の教えにも、6日の創造を教えるが、無視するなど多数ある。

  • 大多数はキリスト再臨を教えるが、教派・教団によって、「必ずこのようになる」と断定した「預言神学」を持つものが多い。

~それらは、外れる可能性が高く、混乱させる。失望や恐怖を与えることもある。

●ペテロが、その二つを「終末のときの最大の特徴=教会指導者の誤り、嘲る者となる」と警告していることに注目せねばならない。

1)私的解釈の注意:Ⅱペテロ1:20-21「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人のしての私的解釈を施してはならない、ということです。」

2)終わりの時の嘲る者:Ⅱペテロ3:3-13)「終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠ったときからこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。』こう言い張る彼らは次のことを見落としています。(故意に無視していますの意味)すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。」

二、罪人たちと歩くな10-19)

1)彼らと一緒に歩くな*1:10-19)

●罪人たちと一緒に歩くなとして、いくつか具体的に書かれている。

*11)人の血を流すために待ち伏せする、罪のない者をねらう。

*13)ぶんどり物

*16)血を流そうと急いでいる。

*19)利得をむさぼる者の道。

●上の例を見たところ、11-16節の記述はあまり関係ない人が多いと思える。

しかし、19節のことばなら、犯罪人でなくとも、犯しやすい。

2)富と罪、悪と誠実に関することば:箴言から

*10:16「正しい者の報酬はいのち。悪者の収穫は罪。

*10:23「愚かな者には悪事が楽しみ。英知のある者には知恵が楽しみ。

*10:4「財産は激しい怒りの日には役に立たない。しかし、正義は人を死から救い出す。」

*11:24「ばらまいても、なお富むひとがあり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。」

*11:25「おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。」

*17:1「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」

*19:1「貧しくても、誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさる。」

*19:11「人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の栄光は、そむきを赦すことである。」

*20:8「さばきの座に着く王は、自分の目ですべての悪をふるい分ける。だれが、『私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた』ということができよう。」

*20:11「幼子でさえ、何かするとき、その行いが純粋なのかどうか、正しいのかどうかを明らかにする。聞く耳と、見る目とは、二つとも、主が造られたもの。」

*20:22「『悪に報いてやろう』と言ってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。」

*28:6「貧しくても、誠実に歩む者は、富んでいても、曲がった道を歩む者にまさる。」

*31:30「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」

三、わたしの叱責に心を留めるなら*20-33)

1)知恵は、ちまたで大声で叫び・・・*20-)

●先日、落語家が出演する「大喜利」や、お笑い芸人の「漫才」の中で、聖書に関する話が出てきて面白かった。そして、聖書の記述がよく浸透していると思った。=つまり、20節にあるとおり、『知恵は、ちまたで大声で叫び、広場でその声をあげ・・』なのである。

イ)そのときのテーマは忘れたが、落語家は、「モーセの十戒」を、ごく自然に口にし、司会者はじめ皆も知っていて、誰も「何それ?」と言うことなく、違和感を持っていなかった。

ロ)芸人の漫才でも、『うちの先祖は偉い』とか自慢し合い、何度も何度も、『うちはアダムとイヴ』、『リンゴ!』と叫んで終わるという繰り返しで、創世記の二人とリンゴのことも皆がよく知っている=ネタに使われていた=とわかった。

●「わきまえのない者たち」「あざける者」「愚かな者」・・・は、いつまで、あざけりを楽しみ、わきまえのないことを好み、知識を憎むのか、と主は言われている。*22)

*23)「わたしの叱責を心に留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。」と主は言われている。しかし、・・・

*24-25)「わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。わたしは手を伸べたが、顧みる者はいない。」「あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れなかった。」

2)主の怒り*26-33)

●1章の最後は、主のことばに聞き従わず、叱責の声にも心を留めない者への、主の裁きの警告である。

*24)「わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。」「わたしは手を差し伸べたが、顧みる者はない。」

*25)「あなたがたはわたしのすべての忠告を無視しわたしの叱責を受け入れなかった。」

➡それで、わたしも、26節からは主の怒りのことばが発せられる。

*26)「あなたがたが災難に会うときに笑い、あなたがたを恐怖が襲うとき、あざけろう。」

*28)「そのとき(恐怖、災難、苦悩があなたの上に下るとき)、彼らはわたしを呼ぶが、わたしは答えない。わたしを探し求めるが、彼らはわたしを見つけることができない。」

*29)「なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れることを撰ばず、わたしの忠告を好まず、わたしの叱責をことごとく侮ったからである。」

3)まとめ

*32-33)「わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。」

「しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」

●祈り: n

4,8月4日(日)創世記18章1-9+16-33節

礼拝説教原稿―C① 2019.8.4聖書箇所:創世記18章1-8+16-33節 

泉南聖書教会 大寺俊紀

「もてなしととりなし」

―信仰の父アブラハムが見せてくれたもの―

はじめに:今日は、6-7月に行った聖書入門説教シリーズの①の後、シリーズ②に至るまでの暫くの間の説教で、旧約(有志)の一日一章から与えられている。今日の主人公は「信仰の父アブラハム」であるが、彼には特筆できるものが多く、私たちが学ぶべき事が多い。

一、信仰の父アブラハム

1)創造主を怖れる信仰心

●アブラハムが信仰の父として尊敬を受けているのは(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教共通)、創世記12章以後の、主の御声に聞き従ったことにあるが、それは、この章以後にも、イサクを捧げたこと(22章)などにも見られる。

 少し整理すると、12章、15章で、「ここから出て行きなさい」との「主の御声に聞き従った」事に始まるが、それが出来た理由は、当時の社会(第二次シュメール文明)にあって、誰の指導を受けるでもなく、「偶像礼拝」を疑問視する最も大事な信仰心=主への怖れを持っていたことである。太陽、月、星、動物・・・あらゆる「目に見えるもの」を偶像として作り、それを祭壇に置いて崇拝することを、罪深い愚かなこととして否定するする気持があった=主は彼の心を見られ、同時に(おそらく)偶像崇拝をしていなかったことが主の目にとまり、カルデヤのウルから出てカナンの地に向かえとの、声を聞いたのである。

●それは、「目に見えるものは、目に見えない方が造られたもの」との創造主信仰によるものであった。クリスチャンにとっても信仰の土台とせねばならない出発点である。

28日に奉仕に来られた安井師と昼食を取りながら話したが、最近は、殆どの牧師、神学校は「有神進化論」になっており、6日の創造を信じ、教えるのは本当に少ないそうであるが、同時に、終末論でも歪みを見せており、殆ど聖書の私的解釈になっているとのことである。

 少し具体的に言うと、終末には「ディスペンセーション理論」=「患難時代は7年と断定し、患難前に再臨軽挙される」との説の教会が多い。又、この説の教会はブラザレン派のように「6日の創造」を信じているようでも、同時に「間隙説」も信じるものが多いから、6日の創造を信じていることにならない。

又、教派、教団による終末論の対立も特に激しいとのことである。どちらにしても、「創造の否定か終末についての私的解釈」の危惧が高い。➡私たちは、創造に関しては純粋に聖書通りの6日の創造を信じ、終末に関しては「特定の解釈」で断定しない事にしている。

~特にディスペンセーション理論、「獣」や千年王国の断定などは危険。

➡これらの点で、私が、誰かからに特に教わったわけではなく、純粋に聖書を読んで「聖書の私的解釈や創造の否定」をしなかったことは特定の神学だけを学ばなかったゆえんであり、「人間の教え=神学には警戒する」として、一番大事なことを、聖書と聖霊に導かれてきたからだと感謝している。

2)家族愛と勇気*14章)

●14章の記述を見ると、アブラハムや甥のロトは非常に豊かになっていて、しもべや家畜も増えていたが、シヌアル、エラサル、エラサル、ゴイムの4人の王たちが、他の5人の王と共に一つになって責めてきたために、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツエボイム、ベラの王は財産と食料を奪われた。ソドムに住んでいたロトも財産やしもべたちを奪われた。

 この報を聞いたアブラハムはしもべ318人を連れてダンまで追跡し、彼らを打ち破り、すべての財産としもべたちを取り戻した。

 ロトはアブラハムの家族ではなく、親戚であるが、こうして、アブラハムは不正を許さず、勇気ある行動で皆を守るという大きな仕事をした。その後、ソドムの王が、彼を出迎えに来た。シャレムの王・祭司メルキゼデクはパンとぶどう酒で出迎えたが、アブラハムは全ての物の10分の1を彼に与えたが、ソドムの王からは何一つ受け取らなかった。アブラハムはそのような賢明な人だった。

3)イスラエルの苦難と救いの預言を受け取る*15章)

●15章ではアブラハムに対して二度目のことばがある。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる』と。そのあと、13節からは厳しいイスラエルの歴史の預言もなされる。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。そして、四代目の者たちが、ここに戻ってくる。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。」

➡上のことばには三つの重要ポイントがある。

  • 奴隷となって400年間の苦労=400年と言えば、日本では江戸時代から昭和、平成までとなり、歴史的に大変重みがあり、民族としての積年の想い、主の救出を待つ想いが強まるに充分な年月。
  • アブラハム自身は「長寿を全うして葬られよう」とあり、彼でも天に上げられていない=黄泉下りを明言されている。(エノク、エリヤふたりだけが天に)
  • 「エモリ人の咎が」ということばは、イスラエルがカナンに入るときにはエモリ人の咎が増し加わっていて、それを滅ぼすときという主のご計画であるということ。

二、御使い=神の働き人を見きわめる力

1)99才のアブラハムに3人の御使い*18)

●17章で、再び主がアブラハムに現れて約束をしている。しかし、さすがに、アブラハムも「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても九十歳の女が子を産むことが出来ようか」とつぶやいてしまう。*17)そして、「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」*18)とも言う。すると、神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラがあなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名付けなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」と。*19)

●その後、18章になるとアブラハムのところに主が現れた。日の暑い頃、アブラハムが天幕の入口に座っていると、「三人の人」が彼に向かって立っていた。

 「三人の人」とあるから、明らかに「人のかたち」をされているが、主の御使いだとアブラハムは見抜いた。彼は走って行って、地にひれ伏して礼をして言った。「ご主人。お気に召すなら、どうかあなたのしもべのところを素通りなさらないでください。」と。*3)

➡このときのアブラハムの判断と対応は後に絶賛されている。

*ヘブル13:1-2「兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。」

➡実は、約30年前、私が洗礼を受けた直後くらいに、創造科学研究会の副会長の堀越暢冶牧師を訪問したことがあるが、その時、堀越師は、ランチをご馳走して下さり、師は、店の席に着いたときに、このヘブル13:2の「旅人をもてなしなさいのことばがあるからね」と言われていた。更に、半年後くらいに電話を下さり、「堺市の聖書幼稚園で講演会をしますから来ませんか」とのことで、伺うと園長先生を紹介され、堀越牧師の紹介だと言うことで、すぐにその場で幼稚園での子どもの絵の指導と母親学級を要請されたから、あのときに堀越師を訪問したことが、その後の教会スタートにつながる貴重な導きだったと言える。

2)へりくだって最高のものを用意するもてなし*18章)

●3節からのアブラハムのもてなしはとても面白い。「少しばかりの水をもって来させますから」「私は少し食べ物を持って参ります。」「あなたのしもべのところを素通りなさらないで下さい。」・・・そう言いながら、実際は「早く、3セアの上等の小麦粉をこねて、パン菓子を作っておくれ。」とサラにせかし、若い者には柔らかくておいしそうな子牛を渡して、料理させている。そして最後は、凝乳と牛乳と料理した子牛を三人の前に持ってきて供え、自分で給仕している。

●食事を取った彼ら、御使いたちは、食後、アブラハムに質問している。「あなたの妻サラはどこにいますか。」アブラハムが「天幕の中にいます」と答えると、ひとりが言った。「わたしは来年の今頃必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子が出来ている。」と。

➡天幕の中で聞いていたサラは「心の中で笑って」「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」と言った。

➡それを知って御使い=「」と太文字になっている=は、「に不可能なことがあろうか」と。~そのときの、サラとのやりとりが面白い。「私は笑いませんでした。」「いや、確かにあなたは笑った。」~

3)教えられること=本物を見抜く洞察力

●アブラハムは三人の人たちを見て(遠目からすぐに理解して)御使いと理解して最高のもてなしをした。彼の「洞察力」が本物だということである。

●安井師が来られたときに、ほぼ毎回昼食を取りながら情報交換をするが、話を聞いていて、日本の教会(牧師)は、殆ど「進化論」と「終末の解釈」に惑わされているとの事である。しかし、幸いなことに、私は、この二つとも、そのおかしさに気付かせて戴き、間違った解釈に陥らなかった事で、主の守りに感謝している。~最初1年行った教会は、創造を馬鹿にし、2年間行った二番目の教会はディスペンセーション理論だった。どちらも、その誤りに気付くことが出来た。

又、創造を確信したときに堀越牧師を訪問し、それが聖書幼稚園につながって20年間働きが出来て、皆さんの祈りに支えて戴いたこと、又、安井師に出会ってから、誰の進言もないのに師を支え、応援することに導かれ、それがその後の安井師の立派な創造の働きに少し貢献できたことなど、何れも、誰からも教えられてこなかったが、すべて「主の導き」だったと言える。

それは、言い換えれば、「本物を見抜く力」「聖霊様に導かれ、それを理解する力」である。これがないと、「人の教え」、「神学=人間、教派、教団の解釈」に振り回されるから、とんでもない過ちに陥る恐れがある。

三、もてなしの基本原則

1)「思惑」のあるもてなし

●一般社会では、「食事のもてなし」は重要なファクター(要因、要素)となっている。

聖書でも食事のもてなしは少し描かれているが、あまり重要視していないから、記述が少ない。

  • エジプトで首相となっていたヨセフは、兄弟たちを食事に招いた。兄弟たちはヨセフのご馳走に目をくらませた。食事に招致されたことを理解できず、度肝を抜かれた。
  • ダニエルは、王の食事とぶどう酒を断って、水と菜食を求めた。=王の食事に与る(アズカル)ことの意味は大きい。
  • 893の世界では、改まった席での食事と杯を受けることは兄弟関係(血の同盟・誓い)となる。(例、任侠山口組~分派はいのちのやりとりになる。)
  • 政治や会社などでは、上司紹介の食事の席は「派閥関係」入りに繋がることが多い。
  • 教会でも、派閥形成を考えている者は、一部の者だけを自宅の食事に招くことが見られる。(牧師には内緒で、一部だけに声かけをしての集まり、レクレーション)

➡テトス3:10「分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい」

~勿論、皆さんに声かけをして、希望者だけが映画やコンサート、ランチなどに行く、秘密にしないものはこの中に入らない~

2)もてなし=キリストの弟子への、よいもてなしは重要とされる

①アブラハムの例にもあるように、主の御使い、主の御用のための働き人をもてなす(必要を与える、慰労する)ことは、大事だと教えられている。

*マタイ10:42わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら(食事なども良いこと)、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」

②パウロの手紙でも、多くの箇所で、働き人を大切にし、もてなし、必要を与えることを求めている。*ヘブル13:1.2「兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。・・・(注)初代教会当時は、巡回伝道者は命がけの旅をして来た。」

3)共に働く同労者への友情として

●私は、他の牧師に出会ったときや訪問を受けたとき、訪問者・客の方にはご馳走するが、逆にこちらが出かけたときはお返しをされる、又、何度も会うこととなると割り勘となる。一方的な師弟関係にはならない。「友情のしるしとしての交わり」である。「共に働く同労者」「励まし合う関係」と考えている。牧師は、殆ど金持ちはいないから、大勢に振る舞うという人はいない。

 過去、たった一人だけであるが、「私は、もてなしはしない」と言われて、家にお邪魔したときもお茶も出さない元牧師がいたが、「伝道とはもてなしである」という人もいる中で、特異な方だった。

4)愛としてのふるまい、祝宴をする場合*ルカ14:12-14)

ふるまいについてイエス様が言われている箇所がある。

*ルカ14:12-14)「また、イエスは、自分を招いてくれた人にも、こう話された。『昼食や夕食のふるまいをするなら、友人、知人、兄弟、親族、近所の金持ちなどを呼んではいけません。でないと、今度は彼らがあなたを招いて、お返しをすることになるからです。祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しが出来ないので、あなたはさいわいです。義人の復活のときお返しを受けるからです。』」

●「ふるまい」「愛と善行」としてなら、「お返し」をしてくれる人はふさわしくない。お返しを出来ない人にこそ、ふるまいをすべきであると教えておられる。「施し」に近く、「返して貰うことを思わないで貸す=与える」ということである。

しかし、このことばは「愛と善行」としてのふるまいであり、家族、友人、仲間などとの友人として、一緒に交わりの食事を取ることとは少し意味合いが違う。それらが全ていけないと言うことではない。ルカ14:12-14で話されたのはお金持ちのパリサイ人であり、彼らが、常に自分並み、或いは以上の身分の人だけを招いて振る舞う習慣であったから、「何の意味もない、善行、施しにはならない」と教えられたのである。

●最近の事では、「子ども食堂」のことが教会活動の一つとして注文されている。先日、紹介した塩井淳子さんもヘブンリーガーデンでされている。(来られたときに伺いたい)それは、様々な事情で、食事を満足に取れない子どもたちを教会で提供するという働きである。

白浜の教会では「三段壁」に自殺願望で来た人たちの支援をされているが、自殺願望を断ち切り、自立、回復に必要な人は一緒に教会で暮らし、弁当店を教会で経営しながら、彼らが一緒に働いている。

●今の当教会には、新事業は困難だが、何も出来ないと諦めてはいけないだろう。特に大地震などが発生すれば、支援活動の何かをしなければいけないから、最低、その日のためにその備えをしておきたい。又、こちらの計画とは無関係に、主が与えられる任務には従わなければならない。

四,とりなし*18:16-33)

●最後に少しだけ、とりなしも見なければいけない。18章の後半は、食事を終えた御使いは、アブラハムのところから立って、ソドムを見下ろすほうへ上っていった。アブラハムも見送りに来ていた。主は、ご自身の計画をアブラハムに知らせるべきかどうか考えられた。(17-19)そして、知らせるべきだと決められ、ソドムとゴモラへの裁きのために、調査に来たことを教える。「わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」と言われ、ソドムの方に進んで行かれた。

●アブラハムは主の前に立ち、近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。もしや、その町の中に50人の正しい者がいるかも知れません。・・・その中にいる50人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。」と、とりなしをする。そして「全世界をさばくお方は、公儀を行うべきではありませんか。」とも言う。それに対して、主は、「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人のために、その町全部を赦そう。」と答えられる。

●ところが、アブラハムは、自分のことばに、不安になり、「もしや、五十人の正しい人に五人不足しているかも知れません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるのでしょうか」と問い、「四十五人見つけたら滅ぼすまい」との答えを得る。・・・それが、どんどん進み、四十人、三十人、二十人、十人と数が減っていく。アブラハムに自信が亡くなったためであるが、何度変更しても、主は同じ答えで答えて下さった。そして、最後は、アブラハムは何も言えなくなり、主は去って行かれ、アブラハムも自分の家に帰っていった。

●アブラハムの最後の気持はどうだっただろうか?「十人もいない」ことに気づいたのだろうか?しかし、御使いたちはソドムの町でロトを見つけてくれた。

ソドムとゴモラの町は焼かれ、ロトとふたりの娘だけは助けられた。娘の婿たちは「悪い冗談だと思い」同行しなかった。ロトの妻ですら後ろを振り返り、塩の柱になった・・・結果は、かろうじて三人だった。とりなしをしたアブラハムはロト親子三人を救い、立派に役目を果たした。彼は主に信頼された。

●もてなしをよく考えて行うことと、とりなしのいのりの大切さを教えられる。

●祈り 1

3,7月21日(日)やさしい聖書入門シリーズ1-3

礼拝説教原稿―B⑪2019.7.21聖書箇所:ピリピ2章6-9節 泉南聖書教会 大寺俊紀

「キリストの救いとは?」

-人か、創造主ご自身か-:やさしい聖書入門説教シリーズ:Ⅰ―3

はじめに:シリーズ1:2の「エントロピーの法則」との関連の上で、キリストをご紹介します。キリストがなさった色々なしるし、奇跡やことばの意味を掘り下げます。

七、「永遠=(ひとが知らない次元)から来られた」方!?

―創造主故の力―

―しるしは、物理学最大の法則を破綻させているー

●皆さん、キリストが三年半の間にされたことを思い出して下さい。それらは、キリストは「神=創造主」であることを示していますが、では、神とはどのような意味、内容でしょうか、分類して考えてみます。

1)時間と空間を自由に動かすことができる。今の地球の時間空間を設定された方

➡それは、人が知らない次元(永遠の天国)から来られた方、宇宙を造られた方だから、

●今の地球の法則に縛られません。法則そのものを操作できる方です。

それは、機械製品の設計者、制作者と同じです。例えば、パソコンの設計(制作)者は、パソコンの限界に縛られません。パソコンが壊れても、又次の機種を制作できます。これと同じです。

●そして、一番大事なことは、最後は法則そのものを変えられて、理想のものにされる方だと言うことで、それは「永遠の死のない世界」の創造です。その時に、赦されて=子とされて、その世界に入れて貰える者とされるために信仰が必要です。

(イ)様々な病の人々を即座にいやされました。

*ルカ7:21「ちょうどそのころ、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩む多くの人たちを癒やし、また目の見えない多くの人たちを見えるようにしておられた。」

*ルカ8:54-55「しかし、イエスは少女(ヤイロの娘)の手を取って叫ばれた。『子よ、起きなさい。』すると(死んでいた)女の霊が戻って、少女はただちに起き上がった。・・・」

これらは、次のことを示しています。

  • 創造主で、もともと病も死もない世界(地球、人)を創造されました。ですから、一度地上に来られて、それを示し、愛を持って癒やされています。
  • また、今後、信じた者の、病、死を取り去って下さるということです。
  • 又、その病気、障害を持つ方の人生の時間を、元の健康な状態のところまで戻し、病を取り去るとも言えます。そして、真の癒やし主、救い主を知りなさいと教えています。
  • 死者の蘇生も、「時間を戻して」生きている時間とその状態に戻されています。

(ロ)湖の上を歩かれた。湖の嵐を静められた。

*マタイ8:26「イエスは言われた。『どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。』それから起き上がり、風と湖を叱りつけられた。すると、すっかり凪になった。人々は驚いて言った。『風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどういう方のだろうか。』」

*マタイ14:25「夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。」

●今の「気象」「自然現象」や「地球の引力の法則」を設定された方、コントロールできる方だと示しています。ですから水の上を歩くこともできると思えます。又、嵐をおこし、また静めることもできる方です。

(ハ)カナの婚礼で、水をワインに変えられた:約千人の群衆にパンを与えた(二度)

*ヨハネ2:1-11「イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現わされた。・・・」

~カナの結婚式に呼ばれたときに、ぶどう酒がなくなりました。そこで、六つの水瓶いっぱいに水を入れさせて、それを良いぶどう酒に変えられた。(カナのしるし)

*マタイ114:17-20「弟子たちは言った。『ここには五つのパンと二匹の魚しかありません。・・・人々はみな、食べて満腹した。そして余ったパン切れを集めると、十二のかごがいっぱいになった。食べた者は、女と子どもを除いて男、五千人ほどであった。』

●時間を半年戻し、ぶどうから実を集め、ぶどう酒に変える工程を一気に進ませてワインを出現させました。これは、「無から有を創造された方」でないと出来ないことを教えています。種から小麦粉を、そしてパンを作る工程を、創造主故に一気に戻して、また瞬時に時間(行程)を進ませ、約千人の人々にパンを与えた訳です。

(ニ)ノアの洪水も起こされた方=創造主であるが故に、人の罪を裁こうとして

➊ ノアの洪水も起こされた方です。(父と子イエス様がなされたと言えます。イスラエルの民がエジプトから出たときに、紅海の海を割って、民を渡らせた方です。

*イザヤ書54:9「このことは、わたしにとっては。ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。」

➋ キリストはご自身の再臨もノアの洪水と同じだと言われています。ヨナのしるしも同じです。洪水もヨナのしるしも、どちらも、父とともにイエス様がなさったことと思えます。

*マタイ24章37-39節「人の子の到来は(=キリスト再臨)ノアの日と同じように実現するのです。洪水前の日々にはノアが箱船に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するものです。」 *マタイ12:40「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩地の中にいるからです。・・・」

2)死者のよみがえりは、エントロピーの法則を設定し、廃棄される方と示す。

➡それは「永遠のいのち」

①死んだ人の魂を黄泉・よみから戻し、からだを何年か前に戻して、生かさせたとみれます。又、終わりの時に死者をよみがえらせる方だと、示してくれています。

●新約聖書の中では、ヤイロの娘、ラザロなど複数の死者を死からよみがえらせていますが、

それは、その人達だけにとどまりません。この聖書の記述を読む一人一人も、信じて待っていれば、黄泉に落とされることなく、天に上げられ、更に、イエス様再臨のときに復活の体=死のないからだを受けます。

3)「自然界の回復の預言」は、地球をノアの洪水前の状態に戻され、回復させる方だと教えています。

*イザヤ65:17+20+22+25「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。」「そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない。そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。」「わたしの民の寿命は。木の寿命に等しく、・・・」「狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食い、・・・」

●このイザヤ書65章の預言は、再臨後の、最後の審判と永遠までの過度期と思われますが、一度、洪水前と同じ豊かな状態の地球に回復させる、動物の肉食がなくなるというものです。

神学的には「千年王国」と呼ばれます。まだ、死のない時代になっていません。永遠のときには死はなくなっています。

4)死後三日目の復活は、永遠の死のない世界(地球)にされる方だと示しています。

*ローマ10:9.10「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。」

➡この「救い」とは、一時的、部分的な赦しや慰めではありません。永遠におられる創造主が、永遠の世界に、「子」として置いて下さるという、素晴らしいものです。聖書の最後は「死」のない永遠の世界を約束されています。

八,聖書の記述がキリストの真実を証明しています

1)時代を超える「紹介」=キリスト預言

  •  最初の人・アダムに言われたことばは、キリストの贖いの死と解決を教えています。

*創世記3:15「わたしは敵意を、おまえと女との間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」

➡これは、アダムを誘惑した蛇(サタン)に対してのことばですが、「女の子孫」とは、女から生まれてくる彼(男の子、キリスト)がサタンを撃つ=死を滅ぼすために蛇(サタン)の頭を打ち滅ぼすこと=彼もかかとを打たれて少し傷つくこと(十字架)を預言しています。

  •  モーセのことば:申命記18:15「あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。あなたがたはそのひとに聞き従わなければならない。」(2017新改訳版)
  •  アブラハム:*ヨハネ8:58「イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなた方に言います。アブラハムが生まれる前から、【わたしはある】なのです。』」

~アブラハムは、約4500年前の信仰の父ですが、イエス様は、彼が生まれる前からいる(存在する、ありて有る者である)と言われています。

  •  ダビデへのことば:(直接の子・次の王ソロモンのことでなく、キリストの預言)

*Ⅱサムエル記7:12-14A「あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国をとこしえまでも堅く建てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。・・・」(2017新改訳版)

  •  ダビデの詩編の言葉:
  • 詩編16:8「私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。」(2017新改訳版)
  • 詩編110:1「は、私の主に言われた。『あなたは わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。』(2017新改訳版)
  • 上の16:8の詩に対して、イエス様ご自身が、説明しています。それは、ダビデの前にいるのはイエス様であると言うことです。(地上に来る前=受肉前のお姿)

又、110:1の詩は、太文字のは父であり、父が子なるキリストに言われていることばで、それをダビデが聞いています。

そこで、キリスト自身が、このことを説明しています。

 ➡マタイ22:42-45「『あなたがたはキリストについてどう思いますか。彼は誰の子ですか。』彼らはイエスに言った。『ダビデの子です。』イエスは彼らに言われた。『それでは、どうしてダビデは御霊によってキリストを主と呼び、『主は、私の主に言われた。【あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで】と言っているのですか。ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子でしょう。』』(2017新改訳版)

  •  ダビデの預言詩*詩編22篇:この詩には、キリストが十字架上で苦しむ様子が書かれています。そして、その結果、民が平安を受けることも。
  • イザヤ書:7:14「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」

同53章全文例4.5節「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」●このほか多数あります。

  • ダニエル書:7:13「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲とともに来られた。・・・」➡キリスト再臨の幻

ダニエル書9:25-26:キリスト誕生=登場の年:「それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六二週の間に、広場と堀が作り直される。

その六二週のあと、油注がれた者は絶たれ、彼には何も残らない、・・・」

 ➡AD26年に30才で世に登場し、3年半後に十字架で「絶たれる」

  • ミカ書:5:2「『ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。』」➡キリストはベツレヘムで誕生するとの預言。
  • ゼカリヤ書:11:12-13「私は彼らに言った。『あなたがたの目にかなうなら、私に賃金を払え。もしそうでないなら、やめよ。』すると彼らは、私の賃金として銀三十シェケルを図った。主は私に言われた。『それを陶器師に投げ与えよ。わたしが彼らに値積もりされた、尊い価を。』・・・」➡イエス様が銀30シェケルで売られ、その銀で陶器師の畑が買われる。  ●その他:旧約聖書の約400カ所にある。

九,何のための十字架の苦しみと死?

●皆さん、イエス・キリストの死についてはどのようにお考えでしょうか?①何かの失敗をして捕らえられ、殺された。恨みを買ったなど。②弟子(ユダ)に裏切られた。③反対勢力に嫉まれて殺された。④わざと逮捕されて殺されたと聞いたが・・・意味が分からない・・・

●では、キリストが神様であるのなら、何故殺されたのでしょうか?

➊全能の神様なら、逮捕されるとき、或いは、十字架にかけられてからでも、御使い(天の軍勢)が来て助けることができたのではないか・・・或いは

➋「神様でないから、普通の人のように殺されて死んだのではないだろうか?」という疑問も持たれます。

➌人を救うために、身代わりの死を遂げられて、復活されたと聞いたが、何故、そんな苦しみを受けられたのか分からない。死を滅ぼす、罪人を裁くと言うのなら、天からそのように宣言して裁きをされたら良いのではないか・・・というのが普通の感想、疑問でしょうね?

➊の疑問:御使い(天の軍勢)が来て助けることができたのではないかは当然の疑問です。

➡逮捕されるとき、ペテロは刀をとって大祭司のしもべの一人に撃ってかかり、その耳を切り落としましたが、そのとき、主イエスは次のように言われました。

*マタイ26章52-54「そのとき、イエスは彼に言われた。『剣をもとに治めなさい。剣をとる者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。』」

~御使いの軍勢を送ることは簡単ですが、それをしないで逮捕される、それは聖書の約束~

➋の疑問:逮捕されないように逃げることも出来ましたが、しませんでした。あえて逮捕され、刑を受けられました。前もって予告しています。

➡マタイ16:21「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。」

➌の疑問への答え:聖書はこの様に教えています。

*ローマ3:23-24「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」

~天から裁きを下すなら、誰一人救われません。ですから罪に気づいて、身代わりの裁きを受けて下さったイエス様を信じる者だけが赦されます。身代わりに死んで下さったからです。

*ピリピ2:6-9「キリストは神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げてすべての何にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下のすべてが膝をかがめ、全ての舌が、『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」

➡苦しい裁きを受けられたのは、私たちが受けるはずの裁きを身代わりに受けて下さったと言うことです。

●イエス様は、信じる者を弁護して下さいます。最後の審判で死に定められることはありません。

*マタイ10:32-33「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。」

           ●祈り

1,7月7日(日)やさしい聖書入門説教シリーズ1-2

礼拝説教原稿―B⑩2019.7.7聖書箇所:Ⅱテモテ3章16節 泉南聖書教会 大寺俊紀

「聖書とは?―その真実性-」

― やさしい聖書入門説教シリーズ:Ⅰ―2 ―

はじめに:先週のシリーズ1:1のメッセージでは、「聖書とは?」のタイトルで、「裁きからの救い」ということをお話ししました。

 今日は、シリーズ3のキリストの救いにも少し触れながら、裁きと救いを教えている「聖書の真実性」をテーマにして話します。

四、「真理」とは?

―「真理は、完全な存在の方でなければ書けない」―

―聖書預言は、物理学最大の法則すら破綻させるー

●皆さん、「物理学の最大の法則」が何かご存じですか?

それは、「エントロピーの法則」だそうですね。ひと言で言えば、「万物は滅びる」しかし、「エネルギーの総和は変わらない」だそうです。動植物、人間、目に見えるもの全て滅びに向かっていること。どんなに新しい町や建物、車なども、全て数年も経過すれば古くなりますね。「古いものが新しくなっていくということは決してない」というのが物理学最大の法則=「真理」ならば、「進化論」はその反対ですから、成立しないのです。

 「元素から、次にアメーバー、微生物・・・水中動物、魚などが陸上に揚がって両生類に進化し、それが、鳥類や哺乳類に、やがて人間に進化しましたとの進化論は、絶対に成立しない」と科学自身(最大の法則)が証言しているのですから。笑止千万ではないでしょうか。

●ところが、もっと面白いことがあります。この「エントロピー」の法則は、価値が高い「絶対の真理」で、この法則の前にはニュートンが発見した万有引力の法則は無価値だと言えるほどだそうですが、聖書の多くの奇跡の記述や今後のキリスト再臨の預言の前には(誰も否定できないかたちで確認できれば)、エントロピーの法則が破られると言う、凄いことなのです。(いくつか例を挙げましょう)

  • キリストが「再臨」されれば

~世界中が知っている二千年前の人物が、預言通り、天から雲に乗って再臨されれば~

(但し、雲が気象学的なものか、御使いなどの比喩であるかは関係なしに~

  • 「万物は滅びる」という大前提(エントロピーの法則)が崩れます!

イ)二千年前の歴史上の人(キリスト)が生きている。しかも天から降りてくる!「不死と永遠」の証明。「天国」=神の国の証明。

ロ)過去の聖徒たち(死んだ人たちも)降りてくる!=人間も不死のいのちを受ける。

ハ)生き残っていたクリスチャンも天に上げられる!=死の法則の消滅

ニ)これらは「死の克服」の証明=永遠のいのちの証明です

  ➡現代の宇宙物理学の法則の破綻

   今の人類が知っている次元をも超越している多次元の事象の出現です。

●聖書の真理が証明されるかどうか?

●私たちは、その日を黙って見ていてはいけません。➡実現してからでは遅い!

―時空を超越した方=創造主が書かせた書?―

―エントロピーの法則が成立しないことを聖書は示しているー

ある科学者の証言:(アメリカ国家保安局の学者。多くの博士号を持つ女性)

「あるとき、職場の科学者の男性が、聖書を手渡して、これを読んでみないかと言われた。

私は、「これはいつ書かれたもの?」と聞くと「数千年前」との返事でした。それを聞き、私はあきれて言った。「私たち科学者は、2年前の研究データでも既に古くて価値がないことを経験しているのに、2千年、3千年前の書に真理があるはずがないでしょう。」と。そして、数日読んで、すぐに返そうと思ったとのことでした。

 ところが読んでみて驚いたのは、2千年前のことば、2500年前のことば、3500年前のことばが完全に一致していて、お互いが補完し合っており、矛盾、対立するものが一切ない。500年前、千年前に預言されたキリストの生涯が、全て書かれたとおりに実現していることがわかった。歴史も、全て事前に書かれたとおりになっていること。これらは、「永遠に存在する方が欠かせなければ絶対に書けないもの」と気づかれ、聖書の救いを信じてクリスチャン・宣教師になられたとのことでした。」

●お互いに会えない人が書きながら、一致している

●聖書の一番驚くことは、「時空を超越して一致している」と言うことで、「連れ合い=複数証言がある」とも言えます。

 聖書はBC1500年からAD100年頃までの約1600年間に、約40人の人が66巻を書いています。時代によっては、数人は会うことは出来ます。(例、パウロはペテロ、テモテ、ヤコブに会っています。)しかし、500年以上離れた時代の人が同じことを書いている。その複数証言が証言の真実性を保証します。

このことが証明することは、聖書は人間の意思によってもたらされたものでなく、「永遠に存在される創造主が、人類の救いのために、主の救いのご計画を知らせて下さったもの」ということです。

*Ⅱテモテ3:16)「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」

「神の霊感による」ここに、鍵があります。人間の想い、思想、哲学、空想や科学でもありません。創造主が「夢や幻」のうちに、ことばや映像を与えて示されて書かせられたものですから、書いた人間の意思や能力によりません。人間には、数千年後のことなど理解できるはずがありませんから。

-「複数の証言」=連れ合いがある-

●例はいくらでもありますが、最近取り上げたことを中心に復習します。(キリストに関するものは次回に多く取り上げます)

①「6日間の天地創造」

イ)創世記1,2章、

ロ)出エジプト記22:11「それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。」

ハ)マルコ10:6「しかし、創造の初めから、神は、彼らを男と女に造られました。」

ニ)マタイ19:4「イエスは答えられた。『あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から【男と女に彼らを創造され】ました。』」

ノアの洪水

  • 創世記6-11章 
  • 詩編104:6-9「あなたは大水で衣のように地をおおわれました。水は、山々の上にとどまりました。水は、あなたに叱られて逃げあなたの雷の声で急ぎ去りました。山を上り、谷を下りました。あなたがそれらの基とされた場所へと。あなたは境を定められました。水がそれを超えないように再び地をおおわないように。」

「山を上り、谷を下りました」は2017年訳聖書新改訳で、水を主に表現しているが、元々の新改訳では、「山は上がり、谷は沈みました」と訳されていて、こちらの方が良い。洪水後に山は造山運動で上がり、反対に海の深みは海溝として一層深くなったと推測されている。

  • マタイ24:37-39「人の子の到来は(=キリスト再臨)ノアの日と同じように実現するのです。洪水前の日々にはノアが箱船に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するものです。」➡キリスト再臨はノアの洪水と同じ真理だと語られている!
  • イザヤ54:9「これは、わたしにはノアの日のようだ。ノアの洪水が、再び地にやってくることはないと、わたしは誓った。・・・」
  • エゼキエル14:14「たとえ、そこにノアとダニエルとヨブの、これら三人のものがいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだ。-・・・」
    • ヨナ記の奇跡(ヨナは三日間魚の腹の中にいた
  • ヨナ記の記述:預言者ヨナは、三日間大きな魚の腹の中にいた。
  • マタイ12:40「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩地の中にいるからです。・・・」(ルカ11:29-32も同じ)
  • マタイ16:4「悪い、姦淫の時代はしるしを求めます。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」

-御使いガブリエルの登場-

-真理は、永遠に存在する方でないと知るはずがない-

●御使いガブリエルと言う名は聞いたことがある方も多いと思います。この方のことを知ると、聖書が「時空を超越している」を証明していることに気づくと思います。

●一つは、有名な処女マリヤに御使いが登場して、「処女受胎」を告知する場面で、世界中の美術館にその主題の絵が飾っています。フィレンツエの美術館レオネルド・ダ・ヴィンチ

  • 母マリヤへの告知:この絵の左がガブリエルですが、処女マリヤに聖霊による受胎を教え、「名をイエスと付けなさい」と命じます。BC5年、今から約2000年前です。

*ルカ1:26「さて、その六ヶ月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。・・・」(38節まで続く。)

② 同じ御使いガブリエルは、バプテスマのヨハネの誕生の前に、その両親の前に現れて、ヨハネ誕生を知らせ、預言者としての役割を教えます。名も「ヨハネとしなさい」、と。

③更に、御使いガブリエルは、預言者ダニエルにも現れて色々と指導をしています。(500年以上前です)

*ダニエル:8:16-17(27まで続く)

「私(ダニエル)は、ウライ川の中ほどから「ガブリエルよ、その人にその幻を理解させよ」と呼びかけている人の声を聞いた。彼は私が立っているところに来た。彼が来たとき、私はおびえて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ、人の子よ。その幻は終わりの時のことである、・・・」

➡このあと、ガブリエルは、今後世界帝国に起きることを説明し。更に、終末に起きることまで預言してそれをダニエル書に書かせます。

➡さらに、教えを受けたダニエルは、キリストが誕生する年を預言し、再臨することも預言

ここで、次のことがはっきりします!

  1. 御使い(ガブリエル)は未来のことまで正しく伝えているから、時間と空間を超えて存在しています。人間の認識できない世界、永遠の世界があることを示している。
  2. 御使いを遣わす「創造主なる神」は永遠の方であることになります。
  3. ガブリエルによって教えられたことばは神から出たものであり、全て完全に成就しています。そのことばは、時空を超えた真理であることを証明しています。
  4. 現代の宇宙物理学最大の、絶対的真理が崩壊することを示しています。

「万物は滅びに向かう」という法則は成立しなくなります。創造主は過去と未来を超越して存在しています。ですから「滅びる=死ぬ」ということが絶対の法則でなくなり、解決されています。死や、滅びのエントロピーの法則から解放されます!

➡聖書の約束=キリストの救いを信じる者は永遠のいのちを受けます。

五、「真理」と「救い」の書・聖書

―「救いと裁きがあると教えています」―

●最初に触れたアメリカ国防総省の科学者のことばを思い出して下さい。彼女は「2年前の書、学術書であっても、既に真理と言えない書が殆どである。」と言われました。ところが、聖書を読んで調べて、「数千年前の書でありながら、真実だと証明されているから、真理の書と言える」と理解しました。

ということは、聖書は新しい研究結果によってどんどん書き換えられている人間の研究の成果ではなく、永遠の真理として与えられているということになります。

そうすれば、それは「誰が、何のために書いて下さったのでしょうか?」

  • 誰が:既にお気づきの通り、永遠の創造主の書であると言うことです。有限の人間には書けない書を書いて下さっています。(人間に書かせて下さっています)
  • 次に「何のために」は:被造物である私たちを愛して、救うためです。但し、それは、これまでと同じ、主に反抗し、従わない者は「子」とされる資格がありませんから、私たちに教え、導き、ふさわしいかどうかを見ておられます。聞くだけでは救われません。

➡アダムが「善悪の知識の木の実を食べてはならない」と言われたと同じように、聖書が教えて下さって入る「罪とキリストによる救い」を信じるかどうかが問われています。

これを信じる者は「救われます。」しかし、信仰と従順がなければ、救われることがなく、先週お話ししたとおり第三の裁き(最後の審判)があります。アダムと同じように罪に定められ、今回は永遠の裁きを受けます。

  • 過去に2度の裁きがありました。

先週見たとおり、人間に死が入っているのも、(現在、地球上ではエントロピーの法則に支配されている)又、その後ノアの洪水が起こされて、今見る地球になっていることも裁きです。(不信仰者が天に上げられず、黄泉に行くことも裁きの中の一環です。)

  • 今度の裁きは「火の裁き」だと警告されています。燃える地獄の火に焼かれ続け、苦しみが永遠に続くことになります。
  • しかし、愛である神=創造主は、私たちが、「子」として、愛する対象として、そばにいて欲しいと願って、度々預言者を送り、最後には約束通りに救い主を送って救いの道を備えて下さいました。
  • 万物の創造主でしたら、〇×人だけと言うことはなさらないはずです。「日本人だから日本の宗教」というのはおかしいのです。何人であっても、みなアダムの子孫であり、ノアの家族から出た者です。同じように愛し、住まわせ、救いを受けることが出来るように導かれています。

*使途の働き17:26-27「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見いだすこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりからから遠く離れてはおられません。」(2017新改訳)

六、「斉一説」=進化論神学

―ノアの洪水は、間違った神学理論を否定しています」―

●ペテロは、今の世の終わりの時に「創造と裁きを否定する神学が、ノアの洪水を否定する」ことを前もって警告されています。

「進化論によって6日の創造を否定する神学者たちは、ノアの洪水も否定し、何も激変(裁き)はなかった」と主張します。しかし、それは人を惑わす偽の教えです。

*ペテロ3:3-5「まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲るものたちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。『彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。』こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。」

●ペテロが警告しているのは、明らかに20世紀以降の進化論に立つ神学で、それは・・・創世記の1-5章の「六日間の創造と洪水前の人類の長寿を否定」し、・・・

  • 洪水を否定する、つまり二度の裁きを否定する・・・この立場に立つと、・・・

③キリスト再臨も嘲るようになるのですから、もはや「キリストの敵」でしかありません。キリスト教界の内部にそれが広がるのが終わりの時の最大の特徴です。彼らの神学=教えでは、「聖書の創造やノアの洪水を真実と教えるのは、「根本主義」「原理主義」だ」と、ISやアルカイダ並に非難されます。

『彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。』とのペテロ3:4のことばは、キリスト教内部の牧師、神学者のことばだと分かります。創造も洪水も、再臨も知っていて否定しています。又、このことばは、「斉一説」という裁き=激変がなかったという進化論の説です。つまり過去の裁きはなかったし、今後もないというもので、これは、聖書とは大きくかけ離れるものです。

しかし、そのことを2千年前にペテロが警告・予告して下さっているのですから、聖書はことば通り信じることが大事だと教えられます。

●祈り

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泉南聖書教会

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