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礼拝説教原稿―⑦2019.2.17聖書箇所:エレミヤ書31章33-34節 泉南聖書教会大寺俊紀

「イスラエルが裁かれた理由」

―イスラエルと全人類との新しい契約―

初めに:先週、11-12日と西大寺キリスト教会で牧師セミナーがあり15人の参加で実施された。創造とイスラエルの問題が中心であったが、4回目の座談会のテーマ(話したいこと)を各自が出す際に、私は、昨年から「新天新地」の未来の約束を作品のテーマにしていること、キリスト再臨後の希望、特に永遠の希望が大事だと思うことを少し話したが、赤江牧師がそのことに賛意を示された。その際、「エホバの証人は、千年王国の訴えだけであれだけ成長しているではないか」、永遠の約束や未来の新天新地を訴えることが重要ではないかと言われた。そこで、私も「エホバでは、天国も地獄もなく、千年王国しかない。永遠のいのちも新天新地もない。しかも、肉体の復活ではないという曖昧なもの。」聖書の約束を広めること、聖書の約束は偉大なものだと宣教することを重視する必要を話した。 又、セミナーの中心はイスラエル問題だったので、今日のエレミヤ書も、同じテーマであり、大変良いタイミングであったと思っている。

一、イスラエルへの裁き

1)エレミヤの概略を振り返る*1-25章)*引用はすべて新改訳2017年版より

●今日は、大変珍しい進め方であるが、エレミヤ書を1章から31章までを見て、主のことば(エレミヤが語る)を追っていきたい。先週の異端によれば、教会を否定し、悪魔の組織であるとされているが、ましてやイスラエルには何も存在価値を認めない。しかし、創造主はイスラエルを選び、愛し、愛するが故に厳しく戒め、契約をして、預言者を通して指導してこられた。その愛と真実のことばを読んで主の御心を知ることは大事である。

●1章:エレミヤの召命:ベニヤミンの地、アナトテにいた祭司の一人、ヒルキヤの子エレミヤに主のことばがあった。アモンの子ヨシヤの時代、その治世の13年目。ヨシヤの子ゼデキヤの第5の月、捕囚まで続いた。

「わたしは、あなたを胎内に形造る前からあなたを知り、母の胎を出る前から聖別し、国々の預言者と決めていた。」4-5)「あなたを諸国の民と王国の上に任命する。引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植えるために。」10)

アーモンドの枝、煮え立った釜、北からこちらに、傾いている。

「裁きを下す。彼らが私を捨てて、ほかの神々に犠牲を供え、自分の手で造った物を拝んだからだ。」16)

●2章:「イスラエルの人々に向かって宣言せよ。「主はこう言われる。わたしは、あなたの若い頃の真実の愛、婚約時代の愛、・・・わたしへの従順を覚えている。」2)

「わたしはあなたがたを、実り豊かな地に伴い、その良い地を食べさせた。ところが、あなたがたは入って来て、わたしの地を汚し、わたしのゆずりの地を忌み嫌うべきものにした。」7)

「かつて、自分たちの神々を、神々でないものと取り替えた国民があっただろうか。ところが、わたしの民は自分たちの栄光を役に立たないものと取り替えた。11」

「今、ナイル川の水を飲みにエジプトへの道に向かうとは、いったいどうしたことか。大河の水を飲みにアッシリアへの道に向かうとは、いったいどうしたことか。」18)

あなたの悪があなたを懲らしめ、あなたの背信があなたを責める。だから、知り、見極めよ。あなたがたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、いかに悪く苦いことかを。」19)

偶像礼拝:「彼らの王たち、首長たち、祭司たち、預言者たちも。彼らは木に向かって、『あなたはわたしの父』石に向かって、『あなたはわたしを生んだ』と言っている。26-27」

弱者を苦しめる罪:「あなたの裾に見つかるのは、咎なき貧しい人たちの、いのちの血。・・・あなたは言う。『わたしは潔白だ。確かに、御怒りは私から去った。』と。あなたが『私は罪を犯していない』と言うので、今、わたしはあなたをさばく。」34-35)

●3章:「主は私に言われた。『背信の女イスラエルは、裏切る女ユダよりも正しかった。行って、次のことばを北の方に叫べ。『背信の女イスラエルよ、帰れ。・・・わたしはあなたがたに顔を伏せはしない。わたしは恵み深いから。―主のことば-わたしは、いつまでも恨みはしない。ただ、あなたはあなたの咎を認めよ。・・・』 』11-13A」

●4章:全地は荒れ果てる:「まことに、主はこう言われる。『全地は荒れ果てる。ただし、わたしは、滅ぼしつくしはしない。』27」

●5章:イスラエルの罪:「エルサレムの通りを行き巡り、さあ、見て知るが良い。その広場を探し回って、もしも、だれか公正を行う、真実を求める者を見つけたなら、わたしはエルサレムを赦そう。」1)

「『われわれの神、主は、何の報いとして、これらすべてのことを私たちにしたのか』と

尋ねられたら、あなたがたは彼らにこう言え。「あなたがたが、わたしを捨て、自分の地で異国の神々に仕えたように、あなたがたは自分の地ではない地で、他国の人に仕えるようになる。」」19)

「彼らは肥えてつややかになり、悪事において限りがない。孤児のために正しい裁きをして幸い見させることをせず、貧しい人々の権利を擁護しない。これらに対して、わたしが罰しないだろうか。・・・」28-29)

2)6章以降

●6章:災いが北から:「わざわいが北から見下ろしているからだ。大いなる破滅が。」1B)「まことに、万軍の主はこう言われる。『木を切って、エルサレムに向かって塁を築け。これは罰せられる都。その中には虐げだけがある・・・』」6)

7章:人身供与+生き方と行いを改めよ:「あなたがたの生き方と行いを改めよ。そうすれば、わたしはあなたがたをこの場所に住まわせる。」3)

「わたしの名が付けられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた-主のことば-」11)

「また自分の息子、娘を日で焼くために、ベン・ヒノムの谷にあるトフェトに高き所を築いたが、これは、わたしが命じたこともなく、思いつきもしなかったことだ。」31)

●8章:わたしの民は背信者:「人は倒れたら、起き上がるものではないか。離れたら、帰って来るものではないか。なぜ、この民エルサレムは、背信者となり、いつまでも背信を続けているのか。」4-5)「わたしは彼らを刈り入れたい。-主のことば―しかし、ぶどうの木には、ぶどうがなく、イチジクの木にはいちじくがなく、葉はしおれている。わたしはそれらをそのままにしておく。」13)

●9章:エレミヤの涙:「ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、7娘であるわたしの民の殺された者たちのために昼も夜も、泣こうものを。」1)

「わたしはエルサレムを石ころの山とし、ジャッカルの住かとする。・・・」11)

「主は言われる、『それは、彼らが、わたしが彼らの前に与えたわたしの律法を捨て、わたしの声に聞き従わず、律法に歩まず、彼らの頑なな心のままに歩み、先祖たちが彼らに教えたバアルの神々に従って歩んだからだ。』」13-14)

●10章:「主はこう言われる。諸国の道を見習うな。天のしるしにうろたえるな。諸国がそれらにうろたえても。国々の民の慣わしは空しいからだ。それは林から切り出された木、木工が、なたで作った物にすぎない。」1-3)。~そのあとも、偶像の虚しさが続く~

●11章:契約について:「この契約のことばを聞け。これをユダの人とエルサレムの住民

に語れ。『イスラエルの神、主はこう言われる。この契約のことばを聞かない者は,のろわれる。これは、わたしがあなたがたの先祖をエジプトの地、鉄の炉から導き出したとき、「わたしの声に聞き従い、すべてわたしが「あなたがたに命じるように、それを行え。そうすれば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」と言って、彼らに命じたものだ。」2-4』

「わたしは、あなたがたの先祖をエジプトの地から導き出したとき、厳しく彼らを戒め、まあ今日まで、『わたしの声を聞け』と言って、しばしば戒めてきた。しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず。それぞれ頑なで悪い心のままに歩んだ。そのため、わたしはこの契約のことばをことごとく彼らの上に臨ませた。・・・」7-8)

●12章:さばきの後の回復:「しかし、彼らを引き抜いた後、わたしは再び彼らを憐れみ、彼らをそれぞれ自分のゆずりの地、あるいは自分の土地に帰らせる。」15)

●14章:にせ預言者:「私は言った。『ああ、神、主よ。ご覧ください。預言者たちは、『あなたがたは剣を見ず、飢饉もあなたがたに起こらない。かえって、わたしはこの場所で、まことの平安をあなたがたに与える』と人々に言っているではありませんか。』主は私に言われた。『あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは、偽りの幻と、空しい占いと、自分の心の幻想を、あなたがたに預言しているのだ。』」13-14)

3)15-25章「バビロン捕囚七十年の預言」

●15章:マナセの罪:「わたしは彼らを、地のすべての王国にとって、おののきのものとする。ユダの王マナセがエルサレムで行ったことのためである。」「エルサレムよ、いったい、だれがおまえを深くあわれむだろう。だれがおまえのために嘆くだろう。・・」4-5)

●16章:先祖の土地に帰らせる:「それゆえ。見よ。その時代が来る-主のことば-。そのとき、もはや、人々は『イスラエルの子らを、エジプトの地から連れ上った主は生きておられる』と言うことはなく、ただ、『イスラエルの子らを北の地から、彼らが散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に帰らせる。」16:14-15)

●17章:安息日を守れ:「・・・いかなる仕事もするな、安息日を聖なるものとせよ。わたしがあなたの先祖に命じたとおりだ。」しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、うなじを固くする者となって聞こうとせず、戒めを受けなかった。22-23)」

●18章:エレミヤへの攻撃:「彼らは言った。『さあ、私たちは策をめぐらしてエレミヤを倒そう。祭司から律法が、知恵のある者から助言が、預言者からことばが滅び失せることはないはずだから。さあ、舌で彼を打ち、彼のすべてのことばに耳を傾けることがないようにしよう。』」18)

●19章:ベン・ヒノムの谷、虐殺の谷:「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ。わたしはこの場所にわざわいをもたらす。だれでもそのことを聞く者は、両耳が鳴る。」「またわたしは、包囲と、彼らの敵、いのちを狙う者がもたらす窮乏のために、彼らに自分の息子の肉、娘の肉を食べさせる。彼らは互いに、その友の肉を食べ合う。」9)

●20章;祭司による逮捕(足かせにつながれる):「パシュフェルは、預言者エレミヤを打ち、彼を主の宮にある、上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。」2)

「私が、『主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない』と思っても、主のことばは私の心の内で、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は打ちにしまっておくのに耐えられません。」9)~預言者への主のことば

●21章:いのちの道と死の道:(ゼデキヤ王が、祭司をエレミヤのもとに使わして聞く)

「『主はこう言われる。見よ、わたしはあなたがたの前に、いのちと死の道を置く。この都にとどまる者は、剣と基金と疫病によって死ぬ。出て行ってあなたがたを囲んでいるカルデヤ人に降伏する者は生き、自分のいのちを戦利品として得る。』」8-9)

●22章):公正と正義を行え:「主はこう言われる。公正と正義を行い、かすめ取られている者を、虐げる者の手から救い出せ。寄留者、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また咎なき者の血をここで流してはならない。」3)

●23章:偽りを預言する預言者:「永遠の恥辱、忘れられることのない永遠の侮辱をあなたがたに与える。」40)

●24章:ユダの捕囚の民を幸せにしよう:「わたしは、この場所からカルデヤ人の地に送ったユダの捕囚の民を、この良いいちじくのように、良いものであると見なそう。わたしは、彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。彼らをこの地に帰らせ、立て直して、壊すことなく、植えて、引き抜くことはない。」5-6)

●25章:70年の捕囚:「この地はすべて廃墟となり、荒れ果てて、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を-主のことば-またカルデヤ人の地を、彼らの咎の故に罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。」11-12)

二、回復の約束と新しい契約

1)バビロンに定住せよ*29)

●26章:エレミヤの逮捕と弁護する者:「しかし、シャファンの子アヒカムはエレミヤをかばい、エレミヤが民の手に渡されて殺されることのないようにした。」24)

●29章:エレミヤからの手紙(バビロンに行った者へ):「家を建てて住み、果樹園を作って、その実を食べよ。妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで、増えよ。減ってはならない。」5-6)

「まことに主はこう言われる。「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたに慈しみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。」10」

●30章:回復のときが来る:「イスラエルの神、主はこう言われる。『わたしがあなたに語ったことばをみな、書物に書き記せ。見よ、その時代が来る―主のことば―。そのとき、わたしはわたしの民イスラエルとユダを回復させる。―主は言われるー。わたしは彼らを、その父祖に与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。』・・・*2-3」

●31章:イスラエルへの帰還:「見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。」*8)

31:15節「ラマでの嘆きとむせび泣きの声」突然のキリスト預言:「主はこう言われる。『ラマで声が聞こえる、嘆きとむせび泣きが。ラケルが泣いている。その子らのゆえに。慰めを拒んでいる。その子らのゆえに。子らがもういないからだ。』」~ベツレヘムでの王(キリスト)の誕生を聞き、ユダの支配者ヘロデ王は、ベツレヘム近郊とラマで、2歳以下の男児を皆殺しにした。そこは、約1500年前、ヤコブの妻ラケルが埋葬された土地だった。マタイ2:16-18)

三、新しい契約とイスラエルの救い

1)「新しい契約」*31:31-34)

●8節で北の国からの帰還を約束された主は、31節から「新しい契約」を結ぶと言われる。「見よ、その時代が来る―主のことば―そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った―主のことば―。これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。-主のことば-。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低いものから高い者まで、わたしを知るようになるからだ。-主のことば-わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」

2)「律法を彼らのただ中に置き、彼らの心に書き記す」*33)

●31-32節で、出エジプトのとき(荒野で)に結んだ契約のようではないと言われた主は、33節では、わたしの律法を彼らのただ中に置き、その契約を心に書きしるすと言われる。

➡これは、「契約の内容を変える」ということではなく、イスラエルとの契約ということは根本的には変わっていない。

➡完全にキリスト教会に置き換えられたという事ではない。

➡その特色:

  • 「主を知れ」と言って教えることはない。34)
    • 彼らがみな、「わたしを知るようになる」34B)
    • 「わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさない」34C)

➡①と②で理解されることは、神に対する人の「共同体的関係」ではなく、個人的な関係に変わったという事と、1対1の霊的な関係で、自分自身の罪に対する責任を取り、赦しを受けるという関係になるということである。民族としての共同体的宗教活動や儀式ではなく、誰でも意識的にキリストの人格に対して、救い主又は主としての信仰をもって自分を服従させることが救いとなる、「キリストの血による新しい契約が神の主権的な恵みの実現である」というのが、一般的なキリスト教神学の解釈である。

3)イスラエルは完全に置き換えられたのか?

●「わたしの律法を彼らのただ中に置き・・・」33)「わたしが彼らの不義を赦し・・・」34)は、明らかに個人的、人格的な関係の上に不義(罪)の赦しがなされるキリストの贖いを示しているが、このことばのみを根拠にしてイスラエル、ユダへの救いが完全に教会、クリスチャンに置き換えられたとの「置換神学」には行き過ぎの感がある。

●イスラエル人、ユダヤ人がキリストを信じることは勿論歓迎すべきことであるが、主は100%イスラエル人、ユダヤ人から恵みを取り去ったとは考えていけないのではないか。

パウロがローマ書11章で書いたように、主の御心はイスラエル人とクリスチャンが一つになることであるから、主が彼らにどこまで厳しいか、あるいは恵みを与えるかは私たちが断定すべきことではない。主に委ねていきたい。勿論、異邦人にはキリスト以外にはない。

●祈り

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