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礼拝説教原稿―①2019.2.3聖書箇所:Ⅱペテロ2章20-22節) 泉南聖書教会 大寺俊紀「救われた者(特に指導者)の罪」

―本当の信仰を受けていない?―

初めに:新改訳聖書は2017年に新しい版が出来ている。私自身の聖書はボロボロになったので、特に創世記と黙示録が読みにくいため、新しい2017年版を購入して、1970年版と共に、なるべく両方を読むことにしている。皆さんも新規に購入されるときは、2017年版を購入するように。礼拝では徐々に両方使うこととなる。

 さて、今日の聖書箇所は、20-22節では次のような違いがある。(表現の差だけ)

  • 1970年版*20)「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の罪からのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めての状態よりももっと悪いものになります。」21)「義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとって良かったのです。」22)「彼らに起こったことは、『犬は自分の吐いた物に戻る』とか、『豚は身を洗って、またどろの中にころがる』とかいう、ことわざどおりです。」
  • 2017年版*20)「主であり。救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。」21)「義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうが良かったのです。」22)「『犬は自分が吐いた物に戻る』、『豚は身を洗って、また泥の中をころがる』ということわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。」

一、終末時の二つの重大な罪*Ⅱペテロ1.3章)

1)預言の私的解釈*1:16-21)

●ペテロは、クリスチャンが罪を犯さないようにと教える目的から、その為には特に『ニセ教師にだまされないように』と強調している。

 2:1節から「あなた方の中にも、にせ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。」と書いている。その章の最後のことばが20-22節である。

●その具体例としてまず書かれているのが、1章16-21節のことばで、「キリストの威光の否定」となり、具体的には「キリスト再臨の預言を否定する」教えである。

➡だから、16節にある通り、「キリストの力と来臨」を否定するニセ教師たちは滅びをもたらす異端であるとして、ペテロ自身が「山上の変貌」を直接見せていただいた証人であることを16節に書いている。又、そこでは父の声も直接聞いたと17-18節にある。

➡又、キリスト再臨に関する聖書の預言を、私的に解釈することを厳しく禁じている。

2)聖書預言の私的解釈を避ける

●聖書神学を学んでいて一番驚くのが「終末預言」に関する諸説である。

まず、現在異端とされるものは、殆ど全て「終末のキリスト再臨」についての「解釈」がある。その殆どは、「キリストはすでに再臨している」「我々の教祖がそれである」(統一教会)というもので、「すでに来ているが、現在は目に見えない」(エホバの証人)との教えもある。

前者は、統一教会や、アメリカに多い、「教祖がキリスト」という異端集団。後者はエホバの証人。「幸福の科学」などでは、私は釈迦の子孫、キリストの弟などと言って、「私を信じよ」と東京ドームなどで5万人集めて叫んでいる。

●以上のものは、比較的わかりやすい異端であるが、キリスト教会内での様々な説、解釈は教会内に大きい影響を持っているが、それが徐々に信仰をゆがめ、教会を滅ぼす働きをするからいつも注意していないといけない。

①進化論と結びついて、創造も福音も否定するもの。それは3章3節から警告されている。(後ほど取り上げる)

②進化論の関係は特になく、未来を断定的に解釈する説を取るもの。大きい影響力を与えている。

●ペテロは特に①について詳しく説明しているが、21世紀の今日は、未来の預言について、終末時の患難時代などを詳細に解釈・預言して断定する説も、我々を惑わす危険性が大きいから、「私的解釈をほどこしてはいけない」という原則を大事にせねばならない。

➡代表的な未来預言の解釈(左側)と私たちの取るべき態度(➡)

  • 患難時代は必ず7年であり、前後半に分けられる。

➡ほぼ7年との記述があるが、必ず7年とは断定しない。

  • 患難時代の直前に「キリスト再臨」があり、それを信じているクリスチャン(教会)だけが天に挙げられる。そして、信じていなかった教会、クリスチャンは地上に残されて患難時代を過ごし、大迫害を受ける。(ディスペンセーション理論の解釈)

➡「キリスト再臨の時期は、患難時代の前、途中、終盤・・・のいずれかであり、人にはわからない。」から断定しない方がよい。(イエス様は、御使いも人の子も知らないと言われている。)再臨の時期を断定しての教派形成、活動は好ましくない。

  • その他、エルサレムに神殿が建ち、そこに反キリスト(獣)が立ち、「自分こそが神である」と宣言する。その時に再臨があるなどの解釈。欧州連合(ローマ帝国の再興)。「獣」に関する預言=バーコードの強制、像がものを言う・・・

➡「獣」の支配の記述は黙示録に多数あり、それらを注意深く見ている。全てが、どの順番に起きるのか、象徴的な意味は何なのか、それらは、一つに断定せず、色々な見方があることを知っておく。

  • 再臨のときのしるしは多数あり、ゴグ・マゴグ、ペルシャ、プテ、などの大軍によるイスラエル攻撃の時の再臨は、最も明確に書かれている。

➡他と同じく、解釈を断定せずに知識として持っておく。

➡エゼキエル、ダニエル、パウロ、主イエスなどの預言の一致するところは、最も確率が高いと思えるが、その時期や詳細については断定しない。

二、あざける者とならない*3章3-13節

1)創造を否定する者=再臨の否定になる

●今日の聖書か所である2章20-22節の警告は、次の3章に具体的に書かれている。それは「あざける者」だとある。

➡あざける内容は、「ノアの洪水の否定」であり、それは「6日間の天地創造」の否定から出ることであり、進化論に沿って聖書を見ることによって、「6日の創造と洪水を否定する解釈(神学)」はキリスト再臨という最後の救いの完成までも否定する者となるのだから、聖書をあざける者の最たる者である。

ここで、少しだけ「ノアの洪水」を否定する解釈を見てみよう。

  • 世界中に同時に洪水が起きるはずがない。常に洪水は一地域にしか起きない。
  • 世界を水で滅ぼすような大量の水がどこにもない。
  • だから、それは、中東の一地域で起きた洪水にすぎない。

➡この解釈は、「聖書はうそを書いている」というとんでもない解釈となっている。そして、「聖書は古代の書であり、数千年間の教会による研究成果である「神学の方が、より価値がある」との「置き換え理論」を取る。クリスチャンの科学者たちが聖書の真実性を研究することを支援し、期待し、そこから学ぶという姿勢はなく、最初に聖書を否定することから始まっている。それは、「聖書批評説」と同じ基盤。

大西洋を中心に無数の海底火山群があること、北のグリーンランド(北極付近)から、南極付近まで、太平洋にまで続く火山群は今なお温かいお湯を噴出しているから、洪水時には、「大いなる水」として大噴出したであろう。その上に40日間雨が降った。(写真左:大西洋と太平洋の海底にある火山群、右は平行地層、砂岩、泥岩)

➡洪水によって堆積した堆積層は世界中に広がり、アルプスやエベレスト頂上付近までが堆積層で出来ていることは、全世界に洪水が起きた何よりの証拠である。

例:グランドキャニオンに見られる平衡地層では、「砂岩」「泥岩」「粘泥岩」「礫岩=小石交じりの砂岩」が世界中に平均50センチの地層を造っている。(時々10センチや1Mの地層もある)これは世界中で見られる。(写真は泉南市の堀河ダム横で)

 進化論によれば、堆積地層は「川から流れ込んだ土砂が、海に流れ込み、地層を造り、それが隆起して地上に出た」との説である。しかし、これほどばかげた仮説はあり得ない。進化論では、一つの地層形成は数千万年と言うから、実際の地層で、砂が流れて来て砂岩の地層が出来、その後粘土になる粘泥岩や泥岩の場合は、粘土や泥だけが数千万年流れて来て堆積したとなる。それはあり得ない。

 実際は、約一か月以内の洪水のときに、「質量の違い」によって、泥水の中の砂や泥、小石などが分離して順番に積もったことは容易に想像できるのである。

何度も話したことのある「玉ねぎ岩=写真右」も、泥岩地層が数日の間に出来たという何よりの証拠である。

  ➡「創世記の否定」をしてしまうと、聖書の土台の否定であるために、キリストという建物も否定することとなる。それが「偽教師」の最大の特色。

2)「一日は千年のよう」の意味の曲解*8)

●クリスチャン、又、牧師、神学者、特に教会の指導者が気を付けるべきこととして、ペテロが警告していることは、聖書を自己流に(人間的に)解釈することであり、曲解することである。1:20に書かれていたし、3章の警告も同じである。それは、元々小さい者で、知識のない人間が、全知全能の主のことばを疑うこと、自分で理解できないから否定するという姿勢から始まっている。わからない段階では否定せず、聖書の言葉を信じながら回答を待ち、捜すという姿勢が大事である。

●3章では、ノアの洪水を否定することは、神を「あざける者」だと言われている。洪水は、当時の人間の罪を主が水によって裁かれ、今の天と地は、不敬虔な者の裁きのために、火で焼かれるためにとっておかれ、保たれているとある。3:7)

●そして、続く9節では、主は忍耐強くあられるから、ひとりでも滅びることを望まず、その裁きを送らせて、「すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです」と書いて、「悔い改めなさい」と教えている。

➡そこで、主は、私たちすべてが悔い改めるように、時間を下さって、千年、二千年と待ち続けてくださっている。(実際、この手紙が書かれてから、すでに2千年近く待っていてくださっている!)人にとっての千年は大変な時間であるが、永遠におられる主にとっては、それは一日に等しいから、「主にとっては千年も一日のようであるから」と、さばきを忍耐強く待たれていることを教えてくださっているのである。

➡しかし、悲しいかな。このことばも曲解し、又うまく使って、主の創造や裁きを否定する根拠とするのだから、「どこまで人は愚かな者か」と慨嘆してしまう。

➡それは、「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」ということばがあるから、創世記1,2章の一日(6日の創造)は、実際は、「一日が数億年、6日は数十億年のことだろう」との意味だと読めるではないかとの主張である。

ペテロが言っているのは、「火の裁きをなされる日を、千年を一日のように忍耐強く」待っていてくださっていることを教えているのだが、それを6日の創造を否定する根拠としている訳である。

三、「何事も創造の初めからのままではないか」*4)

1)洪水の否定=主の裁きの否定*5-7)

●4節の「何事も創造の初めからのままではないか」とのことばは、聖書の創造のことばを知っているクリスチャンや神学者(牧師)であることがわかる。聖書を知らない人なら、「創造の初めから」ということばは使わない。

➡しかし、彼らは創造の地球は素晴らしく、死もなかったという聖書の素晴らしさすら知らず、創造の初めから今の地球と同じだったとするのだから、本当に希望のない解釈である。永遠や千年時代(洪水前の時代)すら知らない、死のない永遠の世界も信じていないこととなる。ノアの洪水を信じないという事は、そんな希望のない神学となる。

●イエス様の再臨とノアの洪水との関連は、イエス様ご自身が明確に教えて下さっている。

*マタイ24:35-39+42」この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。ただ父だけが知っておられます。人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。」「・・・だから、目をさましていなさい。あなたがたは自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」

➡だから、「創世記は嘘だ」「ノアの洪水はなかった」と主張をする人、そのように教える人は、それは「イエス様のことばを否定する、あざける者」とされる。

2)敬虔な人でなければならない*11)

●マタイ24:45節からでも、イエス様は思いがけない時に来るのだから、「忠実な賢いしもべ」となりなさい。主人が帰ってきたときに、きちんと仕事をしていることを見られる「忠実なしもべ」は幸いです。「その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります」47)とある。最後の「彼に自分の全財産を任せる」というのは、永遠のいのちの中で、大切な働きをさせて下さるとの意味である。

●ペテロも、3:11で次のように書いている。

「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないでしょう。」

3)再び罪に巻き込まれる者*2:20-22)

●2章20-22節には、「一度イエス・キリストを知ることによって世の罪からのがれたのに、再びそれに巻き込まれて征服される」者のことを書いている。

●大事なことは、「そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態(救われる前)よりも、もっと悪いものとなります。」とある。・・・なんと悲しいことか!

➡罪からの赦しを受けるとすれば、そこには「悔い改め」がなければならない。悔い改めなしで関わり続けるなら、その働きは、救われる前の初めの状態よりも、もっと悪いものとなります、とある。

●新改訳2017によれば、「21)「義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうが良かったのです。」22)「『犬は自分が吐いた物に戻る』、『豚は身を洗って、また泥の中をころがる』ということわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。」と書かれている。

●参考までに資料を書いてお配りするが、クリスチャンが10年・20年在籍していた教会から離れる際に、「批判や不満や怒り」が少しでもあると、罪を犯しやすいから気をつけなければいけない。周囲の人も、巻き込まれないようにしないと、トラブルになるから、静かに、祈って行動したいものである。

●祈り

上の写真:海底の色の濃い部分が、海底火山で、現在でも温かい湯を吹きだしている。この大規模火山群は地球内部の「多いなるの噴出口」となり、ノアの洪水の水源となったと見られる。又、一つだったとみられる地球の陸地を大きく分かれ、オセアニア大陸と、アメリカ大陸をに分かれたと見られている。

地層の写真:砂岩、泥岩などが積み重なっている。泥岩には渦巻き状のタマネギ岩がある。

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